1。

 

0811木曜日 歌友とLINE中に、ポトリ

「oh, no, あたしゃJBに感謝したことなかった! 感謝しろ!とばかりで」

これはまずいと 

翌々日から空念仏。

 

0815月曜日朝 寝ぼけている時 ポトリ

聖霊の無限大のうねりの海の

ポツポツ浮かんでは消える泡のような

幻像人間の苦悩の様子が浮かんだ、甚大から見る些少の事件、

それもあるさ、大したことない、みたいな価値の減少を感じた。

意外な感覚だった、気持ちは軽くなった。

幻像のJBがつまんないことしてるのを気にするこたぁない

ちびちゃいことさ。

 

昼の友達の輪の大丈夫瞑想で ポトリ

JBがそうなって欲しいじゃなくて、現にそうなんだよ、

あいつ、あの人は白馬のプリンス、敬愛に値する。

赤虫も命の仲間なら 同じ尊い命と思えるなら、彼もそうだろ。

 

その夜遅く

JBが自室のゴミを片付けているのを発見

前代未聞。

すぐに手伝う。本当の敬愛が湧いてきたのであった、この彼に会えて嬉しかったのだ

あたしのこの心、なんて軽薄にして😅軽々しいんだろ!

さらに

0816火曜日夜、JBがいきなりあたしの肩を揉み始めた。

前々日に、

仲良しだったうちの両親がお互いに指圧とかし合っていたことが話題になり、「あんたもさ、あたしの肩を揉んでくれたらいいのに」とふとこぼした。

力強すぎて痛い、が前代未聞。

心ざし、受けよう!

 

2。

 

0817水曜日 昼の瞑想 ポトポトと何かしらねど:

黒白が不条理なまでに入り混じった、

不公平と不正と不幸と苦悩の多いこの現世

何故に生きねばならない?

 

無目的、カルマ、生の体験、修行 このいずれの可能性も、要するに

幻像界の中でのすったもんだ である。

おそらくパラレルワールド、9次元 云々の

「科学的仮説」にしてもこの壮大なRPG世界の内部のことである。

世に名高くなった「思考現実化方法論」「浄化方法」すら

幻像界独自、そこでのみ必要なものだろう!

 

つい巻き込まれて忘れてしまうが、前提としてわかっておくべきこと。

 

そして、

何が起ころうと大丈夫、死んだらもっと大丈夫

と全宇宙に向かって叫ぶ、いい言葉だ。

 

人類消滅があるとしても、その前に選別とか分別とかあるはずない、

全て一なるものであるので、実相完全円満であるので。

 

ネクストジェネレーションが起こるとしても

その時期は幻像人類が満足するまで引き延ばすこと可能である。

 

目に見えるこの現象の向こうに

見えないけれど真の世界が光り輝いている。

みているこの物質的の世が我らの描く幻で

彼方が永遠の実在である。

 

宇宙のこんな仕組みだけをしっかり掴んでいれば良い、

あとはあふれる愛を受けたり発したりすれば良い。

大丈夫の我らである。

笑う(死ぬ)だけの我らである。

 

臨死体験だが、

脳が壊れて働かないのに精妙な幻を見ることはないのではないか、

だからそれはやはり魂の体験することである。

 

(老婆のよ迷い言の感あり😅)