昨日、土曜日0806夕方から、

棒術の稽古を1時間半、結構楽しく行って

でも帰宅するや腰が痛む。そして、あれこれ調子悪く、

ちょっとやりすぎたかと後悔しつつ、内緒内緒と何気ない顔で過ごすも、

今日は眠たい、涼しいのに眠たい。

眠たければ眠る、と言う気楽な境遇がありがたい。

 

この稽古中、ずっとサングラスをしていた

それは悪魔のような赤目になっていたから。木曜日より結膜充血

 

でもうまく緊急予約が取れたので金曜日早朝、診察だった。

ネット検索の結果と同じで、10日くらい待つしかないと。

熱い紅茶に綿花を浸し、それで目を温湿布して、まつ毛の際にある

油分の?浸出孔の詰まりを排除せよ、と。

と言うのも、この油分と涙との混合が目を保護する、さもないとドライアイ。

 

そして面白いことに診察中、あたしのお気に入りの女医さんが

睫毛を3本右目に見つけて取ってくれた。充血してるのは左目だったけどね。

睫毛が除去されると現金なもので、途端にスッキリした。

 

外に出ると、黒猫が優雅に目の前を歩いて行った。見惚れるくらい美しい。

確か、黒猫は良いサインではなかったっけ?

 

温湿布、効果あり。すぐに赤みは薄れてはきたが妙に目が光るのだった。

 

無くなった補聴器については諦めモード。

 

バスがストライキではなく、”病欠多数のため”不定期便でしか動かない、

その運行表は一応ネットで見ること可能だが、

どっこい、それを当てにしたらひどい目に合う、その見本みたいなことはすでに

 

月曜日0801にやらかした。

バスで3駅分の道を往復歩いて、即席ラーメン買いに。

行きは暑いバス停で1時間近く辛抱したが、ついにバス来ず、

 

帰りは時間表にないのでポツポツ歩いていると何と1台やってきたが時遅し。

あたしはもう補聴器屋までたどり着いていたのであった。

 

ため息つきつき、ドアを開けようとするとだめ。14時。

慌てて細長い店員が、鍵を開けにきた。いいのよ、その急ぎ足だけで十分。

 

ホンブルク大学病院耳鼻科からの検査結果など見せて、

「でね、この書類におたくのサインをもらってきなさいと言われたので」

「いやーこれはうちとは関係ないですよ、必要ないです」

しばらく押し問答、でも気のいい彼はもう一度よく見てくれた。

 

「なるほど、ここに書いてある3種類の補聴器を・聞こえない耳で検査して、

もうインプラントしか方法がないとサインするわけです。

だからこれから3種類注文して、それがきたらお電話しますから予約日を決めましょう」

「それはそれは助かります。ごめんなさいね、お金かかります?」

「いいえ」「するとおたくの仕事が増えるだけですか、申し訳ないですわ」

「いえいえ、そうなっていますので、そうしなきゃならないんですから」

と気の良い二人が数十秒時間を取ってしまった。

 

後ろで、気配を感じられなかったのだけど、もう3人も待っているのであった。

でもニコニコしていたのでほっとする。

 

などなどゲーテ広場まで来ると、もう足が痛くて歩けないのに気づく。

いつもの左脚の痺れ痛ではない。

ベンチに腰掛け、靴を脱ぐ、バスに乗るつもりだったし、暑いのでサンダルを履いていた。痛い。

いつも以上に口呼吸しながら、やっと帰宅。

 

 

確かに、パッとしないことばかりが続いたのみだったなあ。

目の充血が起こる前に、火曜日だったか、ふと足を触ると気づいたのであった。

足が痛んだはずだ、大きな水膨れがあちこちにできているではないか!

 

しかも、皮膚の薄いところではない、そこならとっくに破れていただろう、

そうではなくて、外反母趾のため足のあちこちこすれて、

そこがタコになっている、皮膚が厚いのだ、

その下に水が溜まっているのである。

タコの下に水が。

押すと結構痛い。しばらく歩くの厳禁だ。運動靴にするべし。

 

そして、また今日の話に戻ると、

眠りは良くなかったし、あちこち痛い。例えば口すらすすげない、

セルマ のために洗面器に水を入れたのを数メートル運ぶことさえ、痛くてたまらなかった。

それはあたしの役割じゃないので、する必要なかったのだけど、

玄関前の洗面器が空っぽになっていたので、できないなどとは思わず始めて見てびっくりしたと言うわけである。

 

さて、恒例のブランチの前に、キッチンの椅子に座って、目の手当ての準備を始めた。

日が燦々とさしている。素敵な時間帯だ。

突然、

あ、大変、頭の中が貧血、、、とわかった。

 

若い頃、長風呂して湯船から出ると立ちくらみが起こったものだが(血圧急低下?)、それと同じ感じで頭が絞られる、座ったまま気絶しそうだった。

 

しかしそうはならず、スッと消えてくれた。やれやれ、、、

と熱目の綿花をまぶたに当てると、

紅茶の香りと暖かさが気持ちよかった。

日光の中で。

 

そうだ、この空気の成分、6割は物質で成っているとか。

光はそこを通ってくる時、物質に当たると跳ね返って、また宇宙空間に戻る部分がある。それで例えば有害な紫外線にしても全部が地上に降り注ぐわけじゃないんだって。

 

そうそう0805金曜日には

我ながら突拍子もないアイデアが浮かんだっけ。

「生きて死ぬことは、誰かの守護天使業務につくということ、そのための地上の邂逅と経験と運命の流れがあった」

これは立派な死の定義改善案である。それから瀕死の学友ヒーサにメールした。

 

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昨日突然湧いたアイデアだけど、人間が死ぬことの意味として、

地球上でもろもろ経験して縁を作ってのち、次の仕事、誰かの守護天使となる!

もちろん、死ぬほど悲しんでいるChristianもその対象となるのかな、と思ったことでした。

彼は無神論でしょうから、永遠に別れると感じてるでしょう。十分に守ってあげられなかったという後悔も。

でも、彼は本来優しい人なので、十分ヒーサに幸せをくれたはず、今度はバトンタッチで、あなたがきっと彼の晩年を見守る役目かも?

きっとそれはあなたの魂も喜んで引き受けるつもりだと思う。今はそんなこと考えるのもしんどいとか、感じるかもしれないけど。

彼とのコンタクトは保つからと、とりあえず口約束してあげてください。

私の妄想で、死の新解釈ができて喜んでいるところ。そんなものですが一応お知らせまで。

草花が萎れて枯れてゆくように、生のエネルギーが移動していくみたいなのだろうか。

こんなこと言うのはひどいかもしれないけど、もしできたら「地上を去ると言う感じ」をできるだけ教えて欲しい。

最後まで困った友でごめんね。云々

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0806土曜日 あたしがやっていること、それは

物理法則と・自分が認められる仕組みを持つ・聖霊的存在つまり宇宙創造的システム

これらを・すり合わせようとしているなー(但し、物理法則も幻像界に属するが、その幾ばくかは真理であるだろう、繰返し証明可をクリアしていれば)

 

認められる条件とは:

「存在・システム」のエネルギーの本質は「愛」である

 

人類自身を含め、我々が・存在するかに見る宇宙と世界と思考と人工物は(宗教も物理学もスピも含め)幻像である

 

完璧な実相界は実在するが不可視不可知である

 

幻像界において唯一、リアルな価値を持つのは、

人間の自由意志行為としての神との協働仕事(純然たる根源的システム)である。

その具体的な内容と仕組みは不可知な部分がほとんどである。