聖五月、この季語が好みである。短歌が今日はできたので、これまで使っていた帳面が尽きるそのページに書いておいた。思いつきの絵を添えて。
天と地に泰山木とドクダミのまっしろつぼみ 我に笑みかく
0508
先月末に、あたしゃまた月が見えない家に住んでるよ、と嘆いていた。
ひ弱な感じの七十歳付近の、まだ歩ける男性が新しく入所してきて、まずは懸念していたことがやはり当たったので、車椅子利用者の下の世話をする特別広いトイレをあたしも使用することにした。そこを彼は使わないようだったので。
5月2日が満月らしいと偶然に知った。
五月1日の宵にそこへ入った。天井ギリギリに高窓がある。朝日がそこから燦々と照り入ってくるのだ。大女のあたしはそこから、黄色に実った麦畑を眺めてうっとりする。
その宵も窓に顔を近づけた時たしかに月への予測はあったかもしれない、なぜならしつこく木の葉をすかして見渡していたので。
そして見つけた、きんきんに輝く丸い鏡を。この大きさの月をもつ地球との関係、なんてラッキー。すぐに人に言いたくて、当直の山野さんに伝えた。小さい彼女は一緒に喜んでくれる。
翌晩、少し遅れた、と思ったが、窓からばっちりの大満月が輝しく存在していた。まさに丸かった。誰かに言いたくて、当直のサトーさんに訥々と伝えた。彼はわざわざ見に入った。あたしが部屋の扉から顔を出して待っていると、サトーさんが出てきた、そして親指を立てて「見ました」と満足を示した、彼はかなり背が高い。
こんな忘れられないような出来事、ありがたかった。
ただ、最近の老化現象では、大事なことを驚くほど忘れている、消えている、あるいは熟語の漢字の組み合わせを間違う。不思議なほど間違った組み合わせを書いてしまう。
この、プレゼント的な月と窓のことを忘れたくないものだ。
もうひとつ忘れたくないプレゼントもらった。
5月4日次男のMAOから連絡あり、翌日5時間近く時間を融通できる、と。
あたしが、藤の花を見たい、自由が欲しい、外食がしたいとSOSを出していたのだ。
藤の花はどこにもなかった、もう過ぎたのかまだなのか、不明だったがそれにもまさる経験を与えられた。
ちなみにその日のあたしの服装には意味があった。
暑そうだったので黄色のTシャツを着た、それはMAOが神戸だかにライブに来た時、
もう30年近い昔のこと、彼のバンド名がデザインされているものを色違いで2着買った。夜のライブに出掛けたのである。耳が壊れそうな音量には参ったが、演奏する時、
MAOの様子が神がかっているのが印象的だった。
そしてそのTシャツには全く色の合わない、レンガ色の上品そうなトッパーを重ねた。
これも30年近い昔の思い出の品。長男が自裁したあと論文がえらく表彰されたので、
その表彰式にその服で東京まででかけた。
プラチナのイヤリングもつけた。オババの品が少しあがっただろうか。
こんな特別仕様で、すっかり安心して、あとは任せ切って車で運ばれていく。
まずは「ハンバーグ食べ」だ、濃い味付けが久しぶり、肉はミンチしか食べられない。
オレンジジュースにはショックを受けた。
久しぶりの食パンがなんと飲み込めない。柔らかいのにだめで、皮の部分は
長いままだと勝手に喉に入っていく。がっかりした。
その後、検索して、辿りついた宇土市の自然公園。
大きな池があり、その周囲に立派な桜並木が続いている田舎の公園で、
もう緑一色なのだが、それが湖とマッチして半端ない雰囲気を作り上げていた。
人も少ない。感嘆するほかなかった。息子も見惚れていた。
花はひとつもない。青と緑の世界であった。隣接した山には鹿もいるそうだ。
青鷺が立っていた、黄色い美しい嘴をのばして彫像のように。
しかし笑ってしまったことには、動いたと思うと水にはまってしまい、
明らかに慌ててもうひとっ跳びして陸に到達したのである。
近くのカインズに行くと、もう汗をかいている。レンガ色から黄色になる。
中は寒いかもよ、と息子に注意される。外の花売り場ですぐに目的のブーゲンビリアを見つけた。
レジで、買ってあげるから、と息子が言う、生涯で初めて、
母親に母の日の(子供の日)花を買うのだ。
母の日の花なんて考えたこともなかった、と呟く声が聞こえた。
MAOは、6歳の時に消えた母親を消した、考えないようにした、と聞いたことがある。
そうして生き延びたのだ。
あたしも、今更母の日の花を買ってもらうつもりはなかったのだが。
二人にとってどんなにかスペシャルだったことか。
さて、どうしようと時間を考えながら、比較にはならないながら、
墓参りをご無沙汰してる二人の一致点はすぐに決まった。
MAOの父親、あたしの初恋の人が最後に納棺されている。
彼は何も悪いことはしなかった、妻がとつぜん心変わりして
「異人さんに連れられて行っちゃった」だけである。もちろんあたしは親権に固執して
家裁で訴え、学校から拉致までして、裁判所で子供の意見を尋ねさせた、それはなんの効果ももたらさなかったけれども。
こう書くとまるであたしが悪事を美化しているように見えるけれども、今でも自分を許していない、たとえ神が許しても自分は自分を許さない、と今でも覚悟している。
神の心とシステムを構築して信心し、許すはずだということになっているけれども、
決して意識人間としての自分を許すわけではない。形而上学的にどれだけ立派な理由が存在しようとも。
それでも、まるで家族が集まってでもいるかのように、山の上の墓所で
意外と安らかな気持ちでMAOとうろうろして、最後は蚊に追い出されて帰路についた。
それから途中にある伝統工芸館に立ち寄った、特に理由はなく、
何となく都合が良かったから。しかし美しく並べられている手工芸の作品には
二人しておおいに感激した。彼もこんなものに触れる機会はないのだろう。
あたしにはもちろん何かを買うつもりはない、ミニマリスト。最後に、眺め回して
「もしひとつだけ買うとしたら」とあたしは指差した、
「あの紺色の夏のワンピース」と無邪気に。変な気はない。
ホント、麗しかった。人間の飽くことを知らぬ追求心はどの分野でも目覚ましい。
あとは、急いで夕食のお弁当を買い、MAOの次の用事に間に合うように(多分音楽関係)
送ってもらうのみである。ヒライで鯖寿司とじゃがサラダと柏餅を買った。
MAOはあたしがたくさん買うので笑っていた。
「俺もつい買い過ぎちゃうんだよね」とまた笑った。笑われると嬉しい。
まるで母の日のプレゼントを予定していて、それを見せびらかすように施設内をねり歩いた、ように見えたことだろう。
これで、あたしだけの庭にハイビスカス、ブーゲンビリア、それに長く嫁に預けていた横浜からの白バラとくちなし、サボテンが並んだ。
ゴーヤと朝顔はあまり生育は良くないが。
神さん、ありがとう、幸せな母と子の時間でした。びっしりと。
施設の副理事長である旧友が、「彼のためにも元気で長生きしてね」とあたしに書いてくれた。あたしは前世に?どんな善をなしたからこんな幸せに恵まれるのだろう?と初めて問うてみた。問い自体を考えたこともなかった。
実は、この日一つ忘れていたことがあった。
というか、祭日なのでそもそも考えに入れていなかったこと、年金を貰うには毎年生きている証拠を提出しなければならない、ホームからは遠い市役所でハンコを押してもらわねばならないが、MAOの時間がいつ空くか次第なので予定が立っていなかった。
翌朝、これが気になり書類を出してみた。すると、早速プレゼントが来ていた。
というか、そこにすでにあったのだ。コンビニでもらえる住民票で十分なのだった。
文字を読んでも理解するわけではないので、逆にプレゼントとなった。なんという逆説、というかプレゼントの不思議。
即実行できた。5月7日のことである。
しかもその日の午前9時、特別コーヒーを一人で楽しんでいると、ゴルフしますか、と声が掛かった。ゴルフ場というのは実に気持ちいい場所らしいのでOKと思った。
しかし芝生ではなく、グラウンドゴルフ、つまりホームの前にある小さな広場で行われるのだ。自由に参加させてくれるという。やります!とあたしはにっこりして言った。
したことないけど、外に出るチャンス、ひょっとしたらそこで太極拳や棒術稽古ができるやも知れぬ、かなり飢えていたあたしには渡りに船である:神さん、ありがとうござんす。
近隣の普通の老女たちが楽しそうに遊んでいるのに、ちっとも喋らないあたしが混ざって遊んだ。涎垂らしても土の上だからあまり支障がない。
今日から、新しい物質備忘録を使い始める。そんなことはとても楽しみをくれる。
それはMAOと一緒にコインショップでみつけたものなので尚更に。
こんなあんなで、ひとりで、誰にも言わず、言えず、ウキウキしているのだが、最近難聴についてわかったことがある。
六十歳前ごろから難聴となり、ドイツ語の授業に支障がで始めた。
補聴器、勿論買ったが、どうも違和感があり、ドイツでも同じことを繰り返して今に至る。テレビの視聴にはイヤホンを使う。
左の耳では自在に聞こえ理解できる。右を試してみた、多分大音量にすればより音の情報が増えるだろうと。しかし、聞こえてきたのは理解不能な声音であった。
日本語ではない。雑音とも言える。つまり、耳の機関の崩壊の程度により、
そこからの情報は脳の該当場所での解析に反映される、それが今や不能なほどの崩壊らしい。だからいくら高価な補聴器を両耳つけても、かえって雑音を大きくするので違和感があるはずだ。機関の不具合の影響が補正されるのだと信じていたのに。
そのわりには、検査はもっともらしく行われたなー。
両耳で音楽を聞いてももはやまるで違うものを聞くことになる、かなりの痛手だ。
ここの住人、ほとんど難聴だ、あたしよりも聞こえが悪い、
テレビを見ていても聞いてはいない、文字を多分読んである程度理解しているのだろうか、もし見えるのなら。
今朝、試しに部屋のあちこちの老婆に対し、テレビが聞こえているかを尋ねてもらった、
全員首を振った。あたしは左がまあまあ正常なので、彼女らよりは聞こえている。
職員との意思の疎通が悪いのも無理はない、そこの認識はあまりなされていないようだ。
耳の中へ怒鳴らないと聞こえない場合が多い。
耳が聞こえないのによく喋る人が一人いるが、自分だけ勝手に喋り、
相手の言葉は何も聞かない。迷惑をかけているとは夢にも思っていないらしい。
思いつき:
0504
最後を迎えると五感や肉体による意識はなくなるが、別の自分意識はあり、別な感覚を感じる、考えるのかもしれない。
0508
血液や酸素に依存している細胞などの生化学的次元では生きていなくても、その下位のミクロの次元では死んでいないか、死後もそこはまだ働いている、本来の速さと集中度で。
とは、あたしの希望的推論なのだけれども、同日のXでの情報に驚かされた。
科学的らしい計測で、肉体の死後にもなお幾ばくかの時間、脳内に旺盛な全く別次元の動きがあるということがわかったとか。興味深い科学の成り行きだ。
最後に:
ゴーヤ係にプラスして、花の水やり、猫の餌やり担当に任命された。
無給だが自由へつながる。


