ギジリの呪文についての考察 その1 | Liber Kukulcan

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いつの間にかZektbach考察が主になっちゃってたブログ

過去の考察をお読みになる際には
更新された日付に基づいて書いているのでご注意を

はい、いよいよ公開といたしました
ここでは、「蛇神の咒力を使ったもの」を呪文と称して取り扱います


この呪術について、脚本家の酒井臨氏は
このようにツイートで発言しています


カガチジンが蛇神・火産(ホムスビ)の力を用いる際に唱えます。
奇しき光から与えられた咒力と引き換えになります。
宣説言と邪説(ヨコサマゴト)は対を成します。神留る⇄神避る


これらをふまえて読んでもらえると幸いでございます

では、意味を見ていくことにします

・聞き取ったものを書き下したもの
・聞き取った内容をそのままにひらがなで記載したもの
・呪術の内容の意訳したもの
・意味と引用と思われるものの補足説明

という順序で記載しています


なお、聞き取り間違いや意味の解釈について、
何か意見がありましたらコメントのほどよろしくお願いいたします


ネタバレ防止のため白文字してありますので
反転してご覧くださいませ



ギジリがジャコツの村を燃やしたときの『火産の契り』(Disk1 2 14:16)


あめにかむづまりまして、

きたなきかも、いやしきかも、

かがちのうつしきあおひとぐさをくらいてくものなり

せのへびがみもて、ほむすびのあれにたてまつらんや


天に神留まりまして、

汚きかも、卑しきかも

カガチの現しき蒼生を喰らいてくものなり

背の蛇神以て、火産の神に吾れに奉らんや


天に鎮まります
穢れであり、貧しくである

草のよう生い茂っているカガチを負かしていく者である

背中にある蛇神の力を使って、火を司る火産の神の力、俺のものへとなれ!


神留まる

神が鎮座すること

留まるとは、どこかに行かないで止まっていること


かも

詠嘆を表す言葉

「なぁ」や「かぁ」にあたる


ツクヨミが口から吐き出したものを

穢哉、鄙矣、寧可以口吐之物敢養我乎」

(穢れている、卑しいかな、口から吐き出したゲロを御馳走にしていたのか!)

と怒ってもてなしていた保食神を切り殺してしまいました



現し(うつし)

神の住まう世界とは別の今いる現実の世界のこと

蒼生(あおひとくさ)

人々の生きているさまを生き生きと茂る草にたとえた言葉

転じて、すべての人のことを指す


古事記にはイザナギの姿を見られたことを怒って

宇都志伎青人草」を殺すという記述がみられる


また、日本手記の第11文には

ツクヨミが殺した保食神の亡骸からなった五穀をみて

「是物者則顕見蒼生可食而之也」

(これらのものは地上に生きる人々が食べるものである)

とアマテラスが喜んでいったと記載がある



吾に奉らんや
スサオノがヤマタノオロチを倒す見返りとして

クシナダを嫁にもらおうと父親に

「汝当以女奉吾耶」日本書紀正文第一巻第八段

「汝之女者、奉於吾哉」古事記上巻

(そういうことであれば、娘を差し出さないか)

といいました




イドが唱えた『火産の宣説言』(Disk1 3 9:42)


ほむすびののりとごと

あめにかみずまりますかがち

みしゃぐちのみことをもちてかみつどいにつどいたまいて

あまつつみ、くにつつみ、

くさぐさのまがごとつみけがれをときはらいすてむと

ほむすびのあれませるなるべし


火産の宣説言


天に神留まりましてカガチ、

ミシャグチの命を以て神集いに集い給いて

天津罪、国津罪、

種々の禍事、罪、穢れを解き祓い捨てんと

火産の生れ坐せるなるべし



天に鎮座します、カガチ、ミシャグチの神の力により

神様たちががあつまりまして

天に起こった罪、国に起こった罪

様々な不吉な言の葉、罪、穢れを解いて祓い、捨てるように

火産の力よ、火よ生まれよ



神集いに集いて

単語としては「集い」

二つ言葉を重ねることで意味を強めるようにすること(畳詞)


天津罪 国津罪

大祓詞によりますと世界に生まれた罪のこと



天津罪は以下の通り


畔放(あなはち)

田の畔を壊すこと

畔(あぜ)とは田んぼの境界線にしてある盛り土のこと

是が壊れてしまうと水が溜められなくなってしまって

稲が育つことができなくなる

溝埋(みぞうめ)


田んぼに水を引く溝を埋めること

水を引くために土を掘っていたのを埋めることを指します

水が外に出せなくなってしまって、

稲の根が腐ってしまう原因になります



樋放(ひはなち)

田んぼに水を引く樋を壊すこと

樋は人工的に作った管です

樋で水の調整ができなくなってしまいます


頻播(しきまき)

他人が巻いた種の上にさらに種をまいてしまうこと

誰の土地なのかうやむやになってしまうことや

栄養を分散させる結果となって丈夫に育たなくなってしまいます


串刺(くしさし)

他人の田畑に杭を立てて、収穫物を自分の物だと主張すること

また、杭を立てて足元を封じる妨害行為ともいいます


生剥(いきはぎ) 生きている馬の皮を剥ぐこと

なお、スサノオが天斑駒(あめのふちこま)を生剥をして

アマテラスの逆鱗に触れてしまったことがある


逆剥(さかはぎ) 馬の皮を尻の方から剥ぐこと

生剥、逆剥は対になっています


屎戸(くそへ) 糞尿などの汚物で汚すこと

とくに清潔を保ってなければならない神聖な場所で行うことを言います

スサノオはアマテラスの目の前で脱糞したそうです


このように稲の育成にかかわるようなことが天津罪の内容です

重要視されていたことからこのようになっています


また、国津罪はこのようになっています


生膚断(いきはだたち)

人に傷をつけて血を流すこと

穢れを生む行為という認識があった


死膚断(しにはだたち)

人を殺すこと

屍に触れることも含んでいました


白人(しろひと)

肌の色が白くなる病気とも

胡久美(こくみ)

太りすぎてぜい肉が付きすぎている人とも言われています

白人、胡久美とも見た目が悪いことの現れです


己が母犯せる罪(おのがははをおかすつみ)

己が子犯す罪(おのがこをおかすつみ)

いずれも近親相姦のこと


母と子と犯せる罪(ははとこをおかせるつみ)

子と母と犯せる罪 (ことははをおかせるつみ)


他人の女とその娘を犯すこと (たにんのおんなとそのむすめをおかすこと)

他人の女とその母を犯すこと (たにんのおんなとそのははをおかすこと)

いわゆる不倫のこと


畜犯せる罪

獣姦のこと


昆虫の災

ムカデ、蛇などよる災難のこと

虫に刺されて腫れ上がったことを忌避したと思われる


高津神の災

雷など天災地変による災難

空にいるものという意味


高津鳥の災

空を飛ぶ鳥による災難

昔は幼い子供が鳶などにさらわれて食われることがありました


畜仆し(けものたおし)

家畜を呪でい殺すこと

他人の財産をねたんで、財産であった家畜を殺してしまうから


蠱物為る罪(まじもの)

他人を呪い殺すこと

カガチジンの元ネタである憑き物筋もこの考えがありました

国津罪の内容としては、

日々起こる様々な罪をまとめたものといわれています


なお、元ネタは大祓詞の言葉から

黄泉の国から戻ってきたイザナギの神が禊をしたときに生まれた

祓戸大神がどのように罪穢れを浄化するかを語られています



イドがエンカムイを封印をした『禍津神の邪詞』(Disk1 3 16:28)



天に神去りまして

首縊りの神の命以て

赤酸漿、ミシャグチを鎌首をな斬り給える御佩刀の刃の血

天にた走り昇りて、岩群にた走りつくべし


あまにかむさりまして

くびくくりのかみのみことをもちてあかかがち、

みしゃぐちのかまくびをなきりたまえるみはかしのやいばのち

あまにたばしりのぼりて、いわむらにたばしりつくべし


天に神が居なくなりまして

首を絞め殺す神の力によって
真っ赤な蛇の瞳、ミシャグチの持ち上げた頭を切り捨てた太刀の刃の血よ

天に飛び散り、大地に飛び散れ



赤酸漿(あかかがち)

これはお彼岸に飾られるほおずきのこと

蛇の赤く血がたぎった瞳をたとえたもの

ヤマタノオロチの容姿を伝えるときにこのように言われています

「彼目、赤加賀智而」古事記上巻

「眼如赤酸漿、」日本書紀大一章三文

(その眼はあかかがちのように)


鎌首(かまくび)

鎌のように曲がった首の格好のこと

蛇を頭を持ち上げた時のたとえ

そのほかにも蟷螂の腕の鎌の部分を挙げた時にも言う


縊り(くびり)

首を絞めて殺すこと


御佩刀(みはかし)

身につけている太刀のこと

「抜下其所御佩之十拳剣」、切散其蛇者」古事記

(身に着けている十拳剣でヤマタノオロチの腹を切り散らした)

天と岩群は対句になっていると思われる
天高くあるものと、地上にあるもので血が飛び散るさまを強めている


元ネタはスサノオがヤマタノオロチを倒した時の逸話から



ギジリがクヌエノヒメミコにかけた『火産の神の宣説詞』

クカルにかけたものもこれに同じ


天に神留まりますカガチ、ミシャグジの命を以て

黄泉の国の竈にて煮炊きたるものを聞こし召しつれば

猛く、激しく、一日に千頭縊り殺さむ

穢れ火の竈食いして火産の生れ坐せるなるべし


あめのかむづまりますかがち、みしゃぐちのみことをもちて

よみのくにのかまどにてにかしきたるものをきこしめしつれば

たけく、はげしく、ひとひにちからくびりころさむ

けがれびのへぐいして、ほむすびのあれませるばるべし



天に鎮座していますカガチミシャグチの力によって

死者の国にある竈で料理したものを食べて、死者の国の者になったので

力強く、激しく、一日に1000人絞殺します

穢れた火で料理したものを食べて現世には戻れないので

火産みの神の炎よ、出でよ



縊る(くびる)

首を絞めて殺すこと


イザナミが姿を見られたことに怒って

夫であるイザナミに呪いを吐いた時の言葉から

「汝國之人草一日絞殺千頭」古事記

(あなたの国の人々を私は1000人殺しましょう)


竈食い(へぐい)

黄泉の国のかまどで煮炊きしたものを食べること

黄泉竈食いともいう


日本には同じ火を使った竈の食べ物を食べることで

その集団に入るという考え方がありました

(同じ釜の飯を食うはその名残りの一つ)

この場合、黄泉の国の穢れた火で調理されたものを食べたので

現世にある国へは二度と戻れないことを意味していました

イザナミがイザナギのもとに帰れなくなった原因です


「悔哉。不速来。吾者為黄泉戸喫」古事記

「吾夫君尊、何来之晩也。吾已食飡(「ン」に「食」)泉之竈矣」

日本書紀第五段六文

(悔しいです、我が夫イザナギよ、なぜ速く来なかったのですか?

既に黄泉の国のものを食べてしまいましたよ)



ギジリがクカルに施した『蛇祓いの邪詞』(Disk2 3 18:36)


蛇祓いの邪詞

天に神去りまして

黄泉津大神の命を以て

是がカガチの鎌首をな斬りほふるアメノホアカリの刃の血

神遣いに遣い下らしめきて

底つ根の国に去ね



へびはらいのよこさまごと

あめにかみさりまして

よもつおおかみのみことをもちて

こがかがちのかまくびをなきりほふるあめのほあかりのやいばのち

かむやらいにやらいくだらしめきて

そこつねのくににいね


天から居なくなりました
地下の国イザナミの神の命の力によって
このカガチの蛇の頭を斬ってばらばらにする刀、アメノホアカリの刃の血は

神の力で下へ下へと追い払い、

死者の国である底つ根の国に去れ!


黄泉津大神(よもつおおかみ)

イザナミのこと

イザナミが住人になったので黄泉の国を治めることとなった

「故、号其伊邪那美神命謂黄泉津大神」古事記

(ゆえに、イザナミの命は黄泉津大神と申し上げるようになった)


屠る (ほふる)

動物の体を切ってバラバラにすること

神遣う(かむやらう)
神の命により、天から追放すること

天の岩戸事件でスサオノの処遇について

「於是、八百萬神、共議而、於速須佐之男命(中略)神夜良比夜良比岐

(そして、神々は相談し、スサノオを天から追い払ってしまった)

とある



底津根の国(そこつねのくに)

地下にある死者の国のこと

黄泉の国とほぼ同じ意味で使われています


以上でございます


所感がありましたらコメントのほどよろしくお願いします






去ぬ(いね)
その場から立ち去ること、時が経つこと、死ぬこと

なお、方言でこの言葉が残っています