豪華版考察ⅣーⅡ 罪は神を生んだ | Liber Kukulcan

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いつの間にかZektbach考察が主になっちゃってたブログ

過去の考察をお読みになる際には
更新された日付に基づいて書いているのでご注意を

はい、豪華版Zektbach考察これで最後っす!
今回はEPIC Ⅳ「PECCATUM」を触れます
話が難しいので書き上げるのが大変でした・・・(^^;)
よって、頭が回るうちに読むことをオススメしますwww


なお、KONAMI及びZektbachとは関係なく行っており
以下の文は「非公式」です

「The Epic of Zektbach豪華版」の付属している絵本の内容に触れます
よって、この絵本を持っていること前提に書いてあります

また、今回は「神」について触れる点があるので
神を論じる事に嫌悪感がある人はお引き取り下さい

以上の事を了解したかたのみ
お先に進み下さい



・・・宜しいですね?
では、参ります!!!


本文を見ますと
アンネースが誰かに言われてますね
アンネース視線からいえば
「罪が神を生む」なんて、
今までやったことが真っ向から否定して
むしろ逆な事を言われてますな・・・

では、これはどういう事を指すのかを考えてみたいと思います


まずは「神」から考えていきます
そもそも、神というものは、いろいろな考えがありますが
始めは自然や思考、災いなどを
説明するのに人に置き換えたもの
簡単にいえば擬人化ですな
日本の神道やアメリカ原住民のシャーマニズムなどが当て嵌まります

大体は人知を越えた存在なので
信じられたり畏れ敬ったりされます


この畏敬の念は次第に変わってきます
人よりも強いものを持ってるので
あたかも神が人を支配していると思うようになったのですな

このようになったのは時代を経るごとに
神がもつ物事の理由や情報よりも
神の威厳さだけが伝わるようになったからのようです
こうして、神は伝えるものから支配するものになったのです


お次に罪について
罪とは辞書(大辞泉)で引きますと

1、道徳・法律などの社会規範に反する行為

2、罰。1を犯したために受ける制裁。

・・・とあります
つまり、守らなければならない事を守らないことや
それを破ることに対してのお咎めですね
ここでいう罪とは2の意味を指してます

さて、この罪と捉えると、必ず必要になるものがあります
それは裁く基準となるものです
我々はこれを「法律」といったり「教典」といったりしますな
問題はこの基準が曖昧なのです


例えば、シンガポールという東南アジアの国の法律を見てみますと
「ガムの持ち込み禁止」
「バケツに水を溜めてはならない」
・・・と、我々からすると奇怪な法律が存在します

しかし、これには理由があるのです

ガムの話は昔、街中にガムの捨てた跡が残り、駆除も大変なお金がかかりました
そして揚句の果てには電車の扉にガムが張られ
扉が開かない事が起こって社会的問題になったから

また、バケツの水は
マラリアの媒介となる蚊が発生するのに必要な水場となるから
(蚊は1週間で成虫になる)

このように、一つの国単位で見ても法律は多種多様であり
周りの環境によっても大きく左右されるものです
よって、罪が生まれるのにも法則が違うわけ


ではこの二点を踏まえまして、本文をみましょうかね

まず、神という絶対的な支配者から教えられたことを
罪と成す為のルールとして取り扱ったのが
アンネースの考え方ですね

しかし、神から罪にするここに問題があると謎の人物は言っているのです
確かに神は物事を擬人化した存在で
正しい道理を得ていると考えられますが
見えない人の手が加わっていることが多いのです


神は支配するものとして見た場合
その神が頭として、下々の者を引っ張る姿に見えますね
つまり、一族のシンボル的なものもあるのです

ここで、ある一族と一族が戦をするとします
その時に神の意志を伝える巫女が
「神は力を御与え下さりました!」
と、一言声をかければどうなりますか?

・・・おそらく、戦士たちは士気が一気に高まるでしょうw
神は我々とは違って、超絶的な力がある(とされる)ので
その神が力を貸してくれるとなると
とても嬉しくも頼もしくなるのです


このことは人からの視点に変えると
実に合理的な事だと感じられますな
戦を指揮する人は、一言だけで民が従い、一つになるのです
また、責任が起これば神のせいにすればいいのですから
絶好の隠れみのになるんです
(普段は神を疑うなんてしませんしw)

こうして、見えざる手は我々を操るこてが出来るわけ


さて、話は戦に戻ります
戦というのは大体は勝ち負けがつきます
負けた一族の神は勝った一族の神よりも上であるとなります
この負けた神は、勝った神に取り込まれて
眷属に成り下がったりします

さらには相手の神をあえて蔑んだ例もあります
ベルゼブブという悪魔かいい例
七つの大罪で「暴食」を司る悪魔です
しかし、名前の由来は
カナン人の言葉(ウガリット語)で
「バアル・ゼブル」と呼ばれた神
意味は「気高き主」で、
バアルはカナン人が信仰した、水を治め、嵐と恵雨の神です
この気高き主はカナン人では信仰があったものの、
ヘブライ人はこの神を嫌って
「バアル・ゼブブ」と文字って罵ったんですな
(意味は「蝿の王」)
それが彼らが残した書物「旧約聖書」(列王記)に残り
キリスト教に渡って悪の存在となり
16世紀末の罪と悪魔を論じた本で
七つの大罪に繋がるわけ


以上の事から神は人の手によって弄られ、
純粋無垢で規則のものではないから
神から罪は生まれなく
人から罪が生まれるということを言ってるのです


また、ここでいう罪の理念は
「他者を排除すること」だと思います
罪が出来るのは規律があってこそ
この規律は地域差や人物などで誤差があります
故に他者には解らないものがあるのです

この違いは純粋に嫌悪感を示したり
物事を支配するのには邪魔になるものです
これを順当にする為に時として規律を生み出し
神という依り代で身を隠しながらも行って来た歴史が
現実にはあるわけです


この謎の人物がアンネースに言ったのはこのことではないでしょうか?



以上でごさいます
頭パーン\(^o^)/で書いたので
若干支離滅裂になってる感がありますね(^^;)
もし解らない場合は個々で説明いたします

なお、神は存在するかと聞かれて
私はいると答えますね
というのも、私自身霊感が半端無いぐらいあるんですよ・・・
普通に神社で戯れる白狐にあったり
死亡事故現場で佇む人がいたりと
身近に感じることが多いです
最近では前回オフ会で行った東京タワーの近く
あそこにいると寺にいる感じがして
ものすごく違和感がありました
後々調べてみたら本当にお寺の跡でしたwww
(あの辺りは増上寺というお寺の一部だったそうです)
あれはマジでビビったね・・・
故に私はいると思います

ただ、神様と呼ばれるものは
人が考えるようなものではないかな
例えるならば四次元の存在が神だと思います
我々からすれば超越的な力
(時間に左右されない、
無い(と我々が感じる)ものを生み出すなど)を
使えるのは神しかないでしょwww
今もつ知識からすれば四次元(あるいはそれ以上の次元)の人が
人に干渉する時に色々ある理由がここにある気がします

個人的にはそれぞれの神には個性があって
この違いが興味深いし味わいが堪らないのです!o(≧∀≦)o
人の思いが集う素晴らしい存在なのになと
調べていて思いましたとさ