Turiiの叙事詩を踏まえた上で動画考察Ⅴ | Liber Kukulcan

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いつの間にかZektbach考察が主になっちゃってたブログ

過去の考察をお読みになる際には
更新された日付に基づいて書いているのでご注意を

これで一気に最後まで行くぞ!!!

こればっかやってもRistacciaの考察が始まらないので

一気にやっちゃいますw


では、今回も公開されたTurii~Panta rhei~の叙事詩、

第5章をTuriiのムービーに照らし合わせて見ていきますよ!
(第5章公式文)

http://www.konami.jp/bemani/bm2dx/bm2dx16/song/turii.html


尚、前回行なったTurii動画の考察を元に行ないますので

まだ見ていない人は先に目を通してください。

http://ameblo.jp/na2sif6/entry-10180916685.html



・・・ということで今回は絵巻物が終わってからのところですね

次のシーンで星の民達は必死に踊り続けていますね

連れ去られたマルクトが最後に踊っている事も考えると

どうやらこの踊りは流転の儀式の一連の流れを象徴したものだと思われます

しかし最後の黒い手でよってその踊りは完成しないと言うことですな


第5章の叙事詩によると、
マルクトはマシノワに連れ去られ、

残された9人の星の民は乱れた法則を元に戻す術を持たずやがて滅んでしまった。

こうして1人の青年の些細な思いで断ち切られた調和の環は、

星の因果律を大きく乱す結果となった。

となっていますね


そう考えるとこの手はマシノワ人の手という事になりますね

その手はマルクトを逃げ出させないように何十にも絡めている所などを見ると

悪意は満々って言う所でしょう

ちょっと前に出てきた絵巻物の絵の手も

マシノワ人がマルクトに何かしたと捉えると何となく辻褄は合うような気がします



そして、例のマルクトと滅んだ生物の図が来ます

この部分はクオリアに目覚めたマルクトを表しているのかな


クオリアとは私たちの感覚に伴う鮮明な質感を表す言葉

一言で表すと我々が感じる「感じ」のこと

「空の青々とした感じ」や「黒板を引掻いた時の感じ」、

「冷たい氷を触っているときの感じ」などなどクオリア

今目の前になくともそのときの情景が一気に広がったり感じたりしたと思います

これによって人間の内面的なものが生まれるとされています


でもってこのマルクトを初めとする星の民はこのクオリアがないと言うわけ

(これは「哲学的ゾンビ」と言う存在のようです)

つまり、星の民達は人間として普通の行動は出来ますが

行動を起こす事によって生まれる内面の感情が起こらないと言うことですね



状況的に言うとマルクとは「マリーの部屋」と呼ばれる

思考実験に似たような事をしていますね

この話はちょっと難しいのでウィキペディアのほうで見てもらう事として

(ウィキペディア「マリーの部屋」)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B

マルクトの場合は「色彩」ではなく「感情」といった面でいえると思います


マリーのようにすべての事柄を知っているというわけでもありませんが

経験によって何かが生まれたというわけですね

比較対照して行動を起こすわけでもなく

自分の意思(感覚)で動く事もなかったマルクトが

外に出たことのよって色々な刺激を貰い、はじめて感情を持ったという事かな



とどのつまり、

ここのシーンはマルクトは周りの対応とかで

自分が何故存在したかを知ったということですね

周りの絶滅した生き物は長い間刻まれてきた遺伝子の記憶で

マルクトが目を開くという行為はそれに気がついたということですね


叙事詩で言う
後にクオリアが徐々に目覚めたマルクトは

流転すべきであった自分が存在している事により

この星に大きな混沌を招いている事に気付き

・・・の部分がこの部分だという事



そして叙事詩はこう続きます

自己の存在を無に帰そうとするが

もはや乱れた因果律ではマルクトの存在を消すことができなかった――。

この行為は自分を消そうとして何かを作動させたと言うことでしょうな

儀式で存在を消せるようなので、それを独りで執り行ったのかもしれない


しかし、結果としてはムービーのように巨大な樹がマシノワの都市に生えただけ

マルクトは巨大な樹の上で佇むだけとなっています

そしてトゥーリのハープの周りにはいるはずの星の民達がいません


残された9人の星の民は乱れた法則を元に戻す術を持たずやがて滅んでしまった。

と書かれているのでもうこの暴発した時期には滅んでしまったんでしょうな

儀式も10人揃って行わなければいけなかったのかも

これから分かる事は星の民はマルクト1人だけということです



失敗した(と思われる)儀式

乱れまくっている因果律でマルクトは正しい方向に処理されずにいたという事ですね

天真爛漫な顔がかなり陰気で空ろな顔になったので

もう今までどおりの姿になれないでしょうな・・・

最後に佇む姿になんか恐怖を感じでしまいますね

最後のシーンで雷と太陽の二つの対比も気になりますが

これは叙事詩の公開を待つことにしましょう・・・


これをもちましてTuriiの叙事詩考察を終わりにしたいと思います

あくまでもまだまだ謎が多い叙事詩なので

これが完成形・・・とはいきませんがこれで取りあえずの一区切りw

叙事詩公開で新たな謎が解明できるので

Turiiを新たに考察する時はZektbachアルバムが発売したときかな・・・


次は物語の根本であるRistacciaの考察と合間見えましょうぞw



最後にここまで読んでくださって

ありがとうございましたm(_ _)m