予告したとおり今回はちょこっと趣旨を外して絵の方について見てみることにしてみます。
調べてみるとなかなか興味深い!
お陰で彷徨いまくってましたwwwwww
主にアンネースの姿を描かれた絵師のshio・・・じゃなくってミカエル・ケロリッチ氏がオラトリオの曲コメで語った補足の補足的なことをやりたいと思います。
・・・とその前にまずは文の解説。
七つの大罪のところに触れておきます。
まずは七つの大罪とはなんぞやということについて
漫画でも敵側としてこれをモデルとしたキャラが何人も生み出されています。
例としては、鋼の錬金術師のホムンクルス、家庭教師ヒットマンREBORN!のヴァリアーなどが挙げられますね。
七つの大罪の元はキリスト教において人間を罪に導く可能性があるとされている欲望や感情を括ったのが始まりだとされています。
そのため、16世紀の終わりには七つの大罪を犯させる悪魔のリストも登場したりしています。
また、これと対極の位置を成す七つの美徳も存在してとかなり幅広い範囲に広がっているようです。
この件に関しては詳しいサイトがあったのでリンクを張っておきます
さて、話を元に戻しましてミカエル・ケロリッチ氏が語った絵の内容の中に『寓意』という単語が重要になってきます。
意味的には教訓的な比喩ということ、実際言うよりもなんかに置き換えたほうが、その事が連想しやすかったり身に響いたりすることです。
多分ほとんどの人が実感が湧かないと思いますので、ここで実際に試してみます。
イソップ童話の「ウサギとカメ」。
話が分かっている人ばかりかと思いますが、めんどくさがらないでまずは一通り読んでみてください。
ウサギさんとカメさんはある日レースをしました。
ウサギさんは足が速いのでぴょんぴょんとあっという間にカメさんを追い越してしまいました
カメさんは足が遅いのでのろのろとしか歩けません。
ウサギさんは「よぉーし、少しカメさんを待ってあげよう」と思って居眠りをしてしまいました。
その間カメさんはのっそのっそと歩き、いつの間にか寝ているウサギさんの横を通ります。
ウサギさんが起きた時にはもう、カメさんはゴールについていたとさ
・・・これを読んでどう思われたでしょうか?
「ウサギは自意識過剰だな」とか「カメは地道に歩んだから、こうして勝てることが出来たんだよ」とか感じることができたでしょう。
では次に、とっても偉い先生とかが自分に「自意識過剰はあかん!」とか「地道にやれ!」とか言われた時を想像してみてください。
・・・明らかに身の染み方が違いますね。
こういうことです。
他には赤を見れば熱血とか青を見ればクールと連想することも『寓意』の中に含まれます。
つまりケロリッチ氏は「他の物を介していろんなことを伝えようとしたものを、不安ながらもアポカリの絵の中にたくさん仕込みました」ということを言っているようです。
次回はそういう絵の表現のものを拾えるだけ拾おうと思います。
どう頑張ってもこれ以上短くならん!
哲学とか奥が深すぎる(´Д`;)
恐るべしZektbach叙事詩!!!