2020年に52歳で、食道癌で亡くなった主人と家族のリアルな記録です。
当時の日記を元に、主人が最期まで闘い抜いた事を残したいと思いました。
お読み頂けたら嬉しいです。
なるさん(主人)会社員
私 パート
たろう(息子)高校生・ラグビー部
ことり(娘)小学生
2020.1.21
G病院 退院
会計 95,448円
1人で迎えに行こうかと思ったが、何かあった時の為にと、たろうに一緒に行ってもらう事にした。
大量の薬や輸液、荷物を持って、点滴をつけたまま、車椅子でぐったりのなるさんを1人で連れて帰るのは、無理だったと思う。
(車の乗り降りも支えが必要だし、車椅子や輸液や荷物を運ぶ為に、病院で借りた台車も返却しなくてはならないから)
やっとの思いで車に乗り込んだ、なるさんは、起きると痰が粘つき?!ゼロゼロと苦しそう
咳もひどく濃い血痰が出ていたので、ずっとシートを倒して目をつぶっていた。
車の揺れは、弱った体には堪えるようで、運転にはとても気を遣った。
家までの道のりが、こんなにも長く感じたのは、初めてだ。
渋滞もあり、長い時間の移動はかなり疲れたと思うが、無事に帰宅することができ、ホッとした。
1週間ぶりの我が家。
車から降りたなるさんは、たろうに支えられながら、ゆっくりと玄関へ。私はその側を点滴を持ちながらついて行った。
「あぁ…」
と掠れた声で言い微笑んだなるさん。
おかえりなるさん。
16時ごろ、ことりが学校から帰宅。
1週間ぶりに見たお父さんは、さらに痩せ細り、弱っていて、かなりのショックを受けたようだ
ことりは、なかなか、なるさんの近くへ寄り、声をかけることができずにいた。
17時前、訪問看護師のSさんが来てくれた。
とりあえずは、毎週月曜日の16時に様子を見に来てくれることとなった。
17時、輸液パック交換。
パック開通をことりにお願いした。(2種類の輸液が分かれて入っているパックを押し開通させて混ぜる)
1回目で成功
私は、できる限り、この役目をことりに任せようと決めていた。ことりは、その後、私が交換するのをじっと見て覚えたいと言った。ことりの中で、なにか覚悟が決まったように感じた。
朝、病院でしてから12時間以上、排尿していなかったため、尿意はないとの事だったが、なるさんをトイレに連れて行った。
色も濃く泡泡。
結構溜まっていたと思うがしたいという感触は無いらしい。
気をつけないと(排便もしかり)
薬の種類と量が多く、把握するのに一苦労。
上を向けないので、試行錯誤した結果、小さな紙コップを切り開き、その上に粉薬をのせるとスムーズに粉が落ちてくれる。
寝る前、ことりのベッドで話をした。
「お父さんが辛そうだし、痩せちゃってるし。着替えているのを見たら、骨の形が見えた。それにお父さんには言えないけれど、変な匂いがするの」
と不安に思っているようだった。
それでも、ことりは自室へこもることなく、リビングでお父さんを気にかけながら過ごしている。
ことりも戦っている。
そして、自分でできることを探して、懸命にお父さんを助けようとしている。
がんばれ、子供たち。
強いお父さんの血が君たちにも流れているぞ。
お母さんも負けないぞ。
なるさん、みんなそばにいるからね。