2020年に52歳で、食道癌で亡くなった主人と家族のリアルな記録です。

当時の日記を元に、主人が最期まで闘い抜いた事を残したいと思いました。

お読み頂けたら嬉しいです。


なるさん(主人)会社員

 パート

たろう(息子)高校生・ラグビー部

ことり(娘)小学生


2019.1.2

なるさんは、6時半ごろ起きてきたが、めまいスターがするとソファーに倒れ込むように座った。


顔色が悪く、気持ちが悪いと、冷や汗アセアセをかいている。

昨年末、電車で倒れた時と同じ感じがするとの事。



触れてみると、手足が冷たく、脈も早い。

水分を取り、ソファーに横になってしばらく休んだ。

幸い、その後、少し落ち着き、朝食を食べられたのでホッとした。



今日は、私の実家へ行く予定だったが

「やめておこう」

となるさんに言った。しかし

「行くチャンスがなくなるから行く」

と言う。


具合が悪くなったら、我慢せずに、すぐに帰るのを条件に行くことにした。


毎年、お正月は、実家近くの父方の叔母の家と、車で30分ほどの母の実家にも挨拶へ行き忙しいのだが、今年は顔を出さずに、私の実家でお昼を食べたら、帰ることにした。


母のご飯はおいしいので、なるさんもことりも、たくさん食べたおせちキラキラ


帰り際、母が、なるさんのいない所で

「あなたも無理しちゃダメよ。いつでも、なんでも言いなさい。できる事は手伝うからね。たまには、これで息を抜きなさい」

と、そっとお小遣いを手渡してくれた。


ありがとう。お母さん。

父を癌で亡くしたばかりの母。

母が見せてくれたから、私もしっかりと向き合っていくよ。

家族を守っていく。

家族に支えてもらいながら…。


たろうは、部活の仲間と毎年恒例の大学ラグビー選手権を観戦しに秩父宮ラグビー場へ行ったラグビー




2019.1.3

G病院病院 放射線3回目


今日はめまいもなく、風邪が抜けたような感じで体が楽になったと言うなるさん。


今日から、また治療が始まる。

さすがに道路はガラガラリムジン後ろリムジン前

1時間もかからず病院へ着いた。

いつもは、2時間弱…。

こんなに近かったの?

いつもこうならいいのに。


待ち時間はあったものの、支払い等の業務はお休みのため、昼前には帰宅できた。

ことりが1人で留守番していてくれたので、早く帰れてよかった。


お正月もこんなにたくさん放射線を受けに来ている人がいるんだと驚いた。


会計札束 6,800円



2019.1.4

G病院病院 放射線4回目

今日も道路が空いていた。

放射線の待ち時間も短く、早く帰宅できた。

会計札束 6,800円


咳が落ち着いてきたかと思ったら、また出てきた。

背中と前と痛みあり。

放射線の影響なのかはてなマークガンが原因なのかはてなマーク不安だと言うなるさんガーン


夜、病院から来週月曜日、入院確定との連絡があった。




2019.1.5

G病院病院 放射線5回目

今日も早く帰れた。

会計札束 6,800円


咳と体の痛み。そして、体力の低下。

特になるさんは、抗がん剤治療に向けて、体力の低下を気にしている。


少しでも体力をつけようと、努力するなるさん。

キツイと思うのに、夕方散歩へ出かけたが、足が思うように出なかったり、息が切れたりと、頑張っているのに、どうしようもないタラーとさらに不安に感じているみたいだ。

夜には、柔軟運動や腕立て伏せもしている。




2019.1.6

明日から入院の為、今日は治療もお休み。

午後、義父が様子を見に来てくれた。


なるさん、頭痛と体の痛み、咳で辛そう。明日からまた辛い、抗がん剤治療が始まるので、精神的にもダウンダウンダウンダウン

元気がない。