こんにちは

徳島♪藍住♪ピアノ・リトミック教室です。


今日は終戦記念日ですね。

何年か前に九州新幹線の開通に合わせて

九州旅行に行きました。


福岡や長崎までなら

また行く機会もあるだろうけど、

鹿児島まではなかなか行けないよね〜

ということで思いきって鹿児島まで。


そして、あまり深く考えず足を運んだのが

『知覧特攻平和会館』でした。

そこには特攻隊で出撃した方々から

家族へ宛てた遺書が展示されています。

本当に膨大な数の展示ですが

時間をかけて全て読みました。


私よりずっと年下の若い青年が

出撃する前日に書いた手紙。


婚約者に宛てた手紙では、

『自分のことは忘れて

    誰かと結婚し新しい人生を歩んでほしい』と。

とりわけ多かったのは

お母さんへの感謝の手紙でした。


『国のため、天皇陛下万歳』

という印象が強かったのですが、

『自分が特攻に行くことで戦争に勝ち、

    それが家族を守ることに繋がる』

そんな思いが強く感じられました。


後日テレビで見たのですが

これらの資料の大半は

ある1人の方が全国を回り

何十年もの時間をかけて

集められたそうです。

特攻で亡くなった1036人

全員の遺影も集められています。


これらを集められたのは

板津さんという男性で

この方も知覧から特攻として

出撃したのですが、

エンジントラブルで

帰還されたそうです。


でも一緒に出撃した仲間は

誰も帰っていなくて、

その後 ご本人の強い希望で

出撃が決まりますが

悪天候により2回の延期。

そして4回目の出撃が

8月15日と決まっていた中で

終戦を迎えたそうです。


板津さんはこの後ずっと、

自分だけ生き残ってしまった…

と苦しまれたそうですが、

生き残った自分にはやることがある‼️と

遺影などを集め始めたそうです。


早期退職までして

遺書や遺影集めをされた板津さんが、

奥様に

『家族との時間をあまり持たず

   資料集めばかりの人生で申し訳なかった』

と謝ると、奥様は

『あなたは立派なことをした。

   私の誇りです』

と仰いました。

それを聞いた板津さんは

『生き残って幸せだった』

と仰っていました。


私たちが今 平和に過ごせているのは

こういう過去を乗り越えてきた方々の

お陰ではないでしょうか。

特攻隊だけじゃなく、

その食事を作っていた方、

看護師さんや整備士さん、

終戦後には日本の復興のために

遊ぶことなく必死で働いてきた

多くの日本人。


それに比べて自分は?

暑いとか寒いとか、

美味しいものを食べたいとか…

それなりに、自分なりに考えて、

仕事や生活が出来ていると

思っていたことが恥ずかしく

申し訳なく思いました。


今 自分が生きている意味、

そして社会のために出来ること、

色々深く考えさせられました。


中学の修学旅行で

広島の原爆ドームへ行きましたが、

中学生の私には

戦争の悲惨さは伝わっても、

今 自分が生きている意味まで

考えるには至りませんでした。

大人になった今、

ぜひまた行ってみたいと思っています。




1945年のこの日、第二次世界大戦が終了しました。

▼本日限定!ブログスタンプ限定

あなたもスタンプをGETしよう