日本では、個人の財産が大きく移転(あまりシックリこないが、他に適当な言葉を思いつかないのでご容赦いただきたい)するのは、ほぼ相続に限られる。その大きな理由は、死亡時以外での財産の移転には、高額な贈与税が課税されることがある。

しかも相続にあたっても相続税が課税されるため、日本の富裕層にとっては築き上げた「財産」を如何に減らさずに子孫に残すかが重要な課題となっている。

 

日本では、どんな財産家でも三代後には没落すると俗に言われている。

 

元々、日本の相続税は高額であったものが、米国を手本に小泉改革時に大きく引き下げられた。それが税収確保が急務の状況で、近年再び引き上げられたも。日本では一般的に相続税・贈与税の課税強化に関しては肯定的な世論が強い。多くの日本人は金持ちが嫌いなのである。いかにも「世界一成功した社会主義国」とも揶揄される日本らしい。

 

相続税・譲与税は、日本人が考えるほど世界的には一般的な税目ではなく、資本主義国の多くではごく一部の超富裕層のみに適用される税目であり、税目そのものが無い国も多い。

超富裕層の多いアメリカなどでは、有力議員への献金・強力なロビー活動の結果、相続税はあるものの形骸化が進み課税はほぼ行われていない状況になっている。

 

資本主義国において、個人が所有する財産(私有財産)は絶対であり、国も例外ではない。死亡という全ての人にとって不可避な理由により高額の税金を課すのは、資本主義の原理原則に反する側面がある。個人が築き上げた財産は、その形成過程で所得税などが課税されているため「二重課税」であるとの指摘にも合理性がある。

 

国家公認で財産を自由に継承できる英国などでは、そのために複数の制度が発達し、法制度化されている。

 

「遺言=WILL,TASTATE」「信託=TRUST」「財団=FOUNDATION」である。

 

なお、ここで説明するのは英国・米国等英米法系の国々における制度であり、日本の法制度ではないのでご注意いただきたい。日本ではどの制度も本来とは違うものとなっている。そのため日本の法制度に詳しい方は、かえって理解が難しいかもしれない。

 

各制度に共通するのは、個人が築き上げた財産を個人の意思・目的に従って活用するための仕組みということである。

注目するべき点は、重要なのは「財産」そのものであり、「所有者」ではない点である。

 

多くの日本人は、「財産」は人(自然人、法人を問わない)が所有するものと認識しているが、欧米(特に知識階層)には財産は独立した存在であるとの認識が強い。信託・財団が身近に存在していることも大きいが、経済学理論などで、財産=資本、資本が自律的に活動する「会社組織」などを学ぶことで、そのような認識が一般化しているのだろう。

 

所有者により「意思・目的を与えられた財産」に注目することで、この3制度の理解が容易になる。

どの制度も基本的な目的は同一だが、財産に与えられた目的の具体性や財産が存続する期間の違いにより、便宜的に3つに区分されている。この区分は相対的なものであり各国共通ではない、

 

なお、ブログの制約上表組みが難しいが、理解を容易にするため相違点を簡単な表に整理しながら読まれるのが良いと思う。

 

 

「遺言」

 

遺言は、財産所有者が、自身の死亡時の財産移転(分割・処分などを含む)を予め定めておく仕組みである。多くの国では、遺言は所定の書式と手続きによって書面化する必要があり、その書面が「遺言状」である。

 

遺言の特徴は、その効力の発生が財産所有者の死亡時に限定されていることにある。近年議論のある脳死などを死亡とするかは各国の立法上の問題であり、将来に向けて意思表示が不可能な絶対的な状況を死亡と考えると分かりやすい。

死亡による効力発生前であれば、財産所有者は、遺言を所定の手続きにより変更・撤回することができる。

 

その効力は所定の手続きにより、遺言が執行されたとき発生し、直ちに効力を発生する。

例えば所有する家屋を特定人に相続させるとの遺言が執行されれば、法的には所有権は直ちに移転する。但し、実際には相続人の相続放棄の意思確認や登記手続きなどに時間が必要である。

 

・遺言の作成は、財産所有者(被相続人)のみで行える単独行為である。つまり、遺言状作成時に相続を受ける者(相続人)の合意や了解は必要ない。

・遺言状は、財産所有者の意思を記載した単なる書面であり、その執行には執行者が必要である。一般的には法が定める弁護士等の所定の資格を有する人や機関が執行者となる。

・遺言の対象となるのは、現に存在する財産である。実務的には遺言状作成時に所有している財産である。遺言は執行と同時に完了するので、執行中に財産が果実(財産の運用による利益)を生じることも滅失することも無いためである。

・遺言が執行されると、所有者の財産は遺言状の定めに従い各相続人に移転する。その時点で被相続人の意思・目的は消滅する。

 

最後の項目が遺言による相続の最大の特徴で、他の2制度と大きく違う点である。

例えば、財産所有者が相続発生時に未だ生まれていない孫の修学費用のため残したい思う財産があっても、相続人は相続発生時に存在する子となり、相続された財産は子自身の財産となる。仮に遺言状に使途を記載したとしても、子が遊興費などに使ってしまった場合、道義的はともかく法的には責任を問われることはない。

別の言い方をすれば、遺言により財産所有者が財産に付与することのできる意思・目的は、死亡時点における財産移転に関することに限定されている。

 

 

「信託」

 

信託は、財産所有者(被相続人)が所有する財産の全部又は一部を自身の所有から分離し、所有者の意思・目的に従って一定期間執行(運用・活用・分割・移転などだがピッタリくる単語が見つからない)させる仕組みである。

 

信託化された財産は、財産所有者(日本の法律用語では「委託者」)から分離され、執行者(日本の法律用語では「受託者」)によって、信託に内在される意思・目的に沿って、相続人などのために(日本の法律用語では「受益者」、生前にも執行されるので相続人に限らない)に運用、移転、処分される。

重要なのは、信託化された「財産」「意思・目的」は、信託化されることで財産所有者から分離され、信託そのものに帰属する点にある。執行者が従う意思・目的は、信託そのものが有する意思・目的であり、旧財産所有者の意思・目的ではない。

 

財産所有者(委託者)は、任意の時期に自身の財産を信託化することができる。信託化にあたり、自身の死亡時までは信託の受益者を自分自身に定めることも可能であり、その場合は財産を信託化しても日々の財産に関する経済活動は、信託化前と何ら変わることがない。例えば、貸家を所有していて家賃収入を得ている場合、その家屋を信託化すると所有者は信託に変わるが、信託が受け取った家賃は、受益者として信託に定めた委託者(旧財産所有者)に信託から支出される。

 

英米法での本来の信託は、遺言と同様に財産所有者のみの単独行為である。日本の民法でも、信託は遺言によって設定できるとされていることが、信託が契約ではないことを良く示している。委託者が財産を信託化することで、以後の信託に関係するのは受託者と受益者になる。委託者は存命であるか否かに関わらず基本的には信託とは無関係である。(但し、委託者が存命中は所定の手続きにより信託を変更できるよう信託に定めることで関係を維持するのが一般的である。)

 

委託者(旧財産所有者)の死亡と信託の存続は当然に無関係であるが、委託者(旧財産所有者)の死亡時に目的が変更となる信託は多い。死亡を条件とする変更が相続である。受益者であった委託者が死亡することで、新たな者が受益者になることで、相続が行われる。

例えば、委託者が所有する自宅を信託化し、信託後も住み続ける場合、自宅の所有権は受託者に変わり、委託者は使用権を持つ受益者となる。委託者が死亡した場合に子が住む場合は、子が新たな使用権の受益者となるか、子が受益者として所有権の移転を受けることで相続が完了する。どちらにするかは信託に定めることで選択可能だが、子死亡後に孫が住み続ける場合は、使用権のみを移転させれば良い。

 

ところが、日本の現行法では、生前に行う信託は、委託者と受託者が結ぶ契約とされている。日本語の信託の解説に「委託者が、財産を受託者に信託する。」「信託契約」などの文言が見られるのは、そのためである。信託を契約の一形態とすることで、理論上・実務上様々な問題が生じるのが、日本で信託が一般化しない理由の一つであろう。

 

信託化された財産の意思・目的を、実際に実行するには人(自然人又は法人)の行為が必要である。信託を実際に執行するのはが受託者である。受託者は自分自身の為ではなく、信託に定める受益者の為に行動する。

信託は独立の存在で、信託を執行する受託者に帰属するものでもない。従って受託者が死亡などにより不在となっても信託が消滅することはない。受託者となる者は、信託設定時に指定するが、辞退等で受託者が決まらないときは、受益者の申立により最終的に裁判所が指定することとなる。信託にとって受託者は不可欠な存在であり、受託者不在により信託が宙に浮かないよう詳細の規定が置かれている。

 

信託化された財産は、意思・目的を完了するまでの期間、存続する。英米では、抽象的な目的を持つ永続する信託を認めていないが、国により無期限の信託を認めている場合もある。英米が期限のある信託のみを認めているのは、後述する財団との棲み分けが主な理由と考えられる。

 

信託の意思・目的は、達成の時期が予想できる程度に具体的である必要がある。「孫〇〇が成人するまでの間、毎年〇〇円を与える。」は十分に具体的で時期が特定できる例であるが、「妻△△が死亡するまでの間、毎年××円を与える。」のように時期が特定されていなくても、その時が確実に訪れるのであれば信託が可能である。一方で「恒久的な世界平和が実現するまで、国連組織に毎年〇〇円を寄付する。」ことは、恒久平和の定義や目的が抽象的で時期が特定できない例である。もちろん「宇宙人が地球を侵略した際は、総額を国連軍に寄付する。」といった規定も、常識的に考えて蓋然性に欠けるので信託に馴染まない。

 

信託化された財産が、目的を達成し完結するには一定の期間が必要である。その間に信託財産が生み出す果実(利子・家賃・地代等)は信託に属し、信託の定めにより受益者に交付される。受益者を誰にするか、交付額や時期をいつにするかは、信託化にあたって信託の内容として定められるが、将来の不確定な条件により複数の選択肢を定めることも可能である。例えば「孫〇〇が成人した際に○〇〇円を与える。但し成人前に死亡したときは、死亡時に母××に〇〇○円を与える。」「子〇〇に家業の維持・発展のため毎年〇〇円を与える。但し家業を廃業したときは、以後は与えない。」などである。

信託の特徴と遺言との違いは、このような柔軟性にある。

 

既に述べたように信託は、財産所有者が存命中にも設定が可能であるが、その目的は大きく2つある。

一つは、信託化することで財産を自身の所有から分離することである。例えば子供や親族の養育に要する費用分の財産を信託化することで、安定して確実に子や親などに長期に渡り金銭を与え続けることが出来る。仮に財産所有者が営む家業が傾き、財産全てを失った場合などにも、既に信託化された財産に影響することはない。

もう一つは、財産所有者が死亡した場合の影響を小さくすることが可能になる。信託の設定により任意の時期に、相続と同様な状況を実現することができる。財産移転などは信託の設定時に実行することで、失敗を防ぐことができるかもしれない。

家業を相続した子供に商才がなく、家業が傾く例は少なくない。先代が存命していれば、自ら復帰したり、改めて別の子に相続させることも不可能ではない。

その意味で、江戸時代の隠居制度は信託制度と良く似ている。家業を円滑に継承することは、洋の東西を問わず重要であるが、日本では「隠居制度」、英国では「信託制度」がその役割の一旦を担ったのだろう。

 

 

 

さて、随分長い記事になってしまったが、記事を分けると不便なので、このまま一気に財団も説明してしまおうと思う。最初に書いたようにブログは本当に論文には向いていない。

 

 

「財団」 

 

財団は、基本的に信託と同じ仕組みである。所有者から一定の財産を切り離し、意思と目的を与えて、受益者に経済的利益を与える財産移転の制度である。

 

財団と信託の違いは幾つかあるが、財団それ自体が執行機関を持つ法人であることが最大の違いである。後述するように財団の目的は信託に較べて抽象的であり、存続期間も長いため、より執行を確実にするため法的に法人格を与えられている。

 

財団の本質は、信託と同様に「意思・目的を持つ財産」そのものであり、執行機関はその目的を達成する必要上、存在しているに過ぎない。また、本来の財団は、財産所有者が財産を移転・相続をするという至って個人的目的の為にも利用できるものである。

 

日本に関しては、近年の法改正まで財団は公益を目的とするもの以外、実質的に設定が出来なかった。財団の設立には監督官庁の許可が必要とされ、公益目的以外の財団は許可を得ることはなかったし、財産の私的利用も厳しく制限されていた。

日本の法制度に詳しい方は、以下の説明が英米で定着している財団制度に関するものであることに留意し、誤解のないよう注意して欲しい。

 

財団と信託には大きく3つの相違点がある。

目的の抽象性の度合い、存続する期間、執行機関の有無である。

 

信託の目的が具体的であるのに対し、財団の目的は抽象的で壮大なものでも構わない。

「配偶者・子に財産を相続させる。」のような具体的目的の為には信託制度が適当であるが、「キリスト教精神に基づく世界平和の実現」「人類の福利厚生の向上」「宇宙の神秘の解明」「自然環境の維持・改善」といった崇高な公益的な目的や、自らの「直系子孫の将来に渡る経済的支援」といった個人を特定できないが特定の条件に合致する受益者への利益供与といった私的目的の為には、財団制度を利用することになる。

繰り返しになるが、財団の意思・目的は、公益(不特定多数を受益者とする)に限定されるものではなく、特定の個人やグループのみを受益者とするものでも構わない。

 

目的の抽象性とも関係するが、財団の目的の実現のためには一般に相当の期間が必要となる。

財団は、基本的には財団化された財産そのものを取り崩して目的を実現するのではなく、財産を運用して生み出された果実(利子)を使って目的を達成する。その為、財団化する財産は相当程度大きくなければいけない。財産が小さければ、執行機関の維持などに必要な経費を生み出すことが出来ないためである。

財団化された十分に大きい財産が生み出す利益を使って、定められた目的を長期間に渡り実現するのが財団である。目的によっては、あるいは完全な実現は永遠に不可能な場合もあり、その場合は財団は永続することになる。なお、目標を達成した場合は財団は解散する。

 

時に抽象的で壮大な目的は、常に状況に応じて具体的な目的・目標・手段を定めなければ実行することが出来ない。

「宇宙の神秘の解明」の為には、宇宙探索衛星の打ち上げ、巨大な望遠鏡を持つ天文台の建設、優れた天文学者の育成など、様々な具体的な手段があり、どの選択肢を選び、どのような支援を行うかを決定しなければならない。

財団化された財産そのものには、その能力がないので、財団には法人格が与えられ、意思決定と執行を行う常設の機関が付属する。理事会・財団職員などである。

 

財団は法人の形で存在するが、財産が主体であることが重要なポイントとなる。財団の理事会は、財団に内在する意思・目的を具体的な目標にするのであり、理事会を構成する各理事が自由に意思目的を決定するものではない。

財団の意思・目的は、財団化にあたり定められており、基本的に理事会には意思・目的を変更する機能は与えられない。信託と同様に、旧財産所有者が理事会の一員として、意思・目的などを変更することは可能である。

 

生命体として寿命のある一個人が、実現に数世代を要するような目的の達成のために、その財産を利用する方法が財団である。

所有する財産を財団化することで、生きているうちには不可能な崇高な意思や希望の実現、困難な課題の解決への取組みを永続させることが可能となる。私的な目的は総じて短期間に実現可能であるが、公益のためには長期の取組みが必要である。

公益目的の財団の例は幾らもある。ダイナマイトで巨大な富を築いたノーベルが、その財産を財団化して創設したのがノーベル賞である。人類のために偉大な業績を残した人々を顕彰し賞金を与えることで、平和と人類の発展を願ったノーベルの意思を長期にわたり具体化している。鉄鋼業で巨万の富を築いたカーネギーも財団を設立した。熱心な慈善活動家だったカーネギーの意思に従い、幅広い公益分野に継続的に今も経済支援を行なっている。マイクロソフト創業者のビル・ゲイツが、若くして巨額の財産を公益財団化したのも良く知られている。今はビル・ゲイツ自身が夫人と共に理事として財団運営に参画しているが、その死後もビル・ゲイツの意思は財団により永続することだろう。

自らの財産が、永遠と自らの意思に従って使用されることは、崇高な意思を持つ財産所有者にとって至福であるに違いない。

 

公益目標を全く持たない財団は少ないが、特定の者のみを受益者とする財団も多数存在する。受益者が限定されるため、広く一般に知られることがないだけである。

有能な政治家を輩出したアメリカのケネディ家も、大富豪だった祖先が創設したプライベートな財団を持つ一族の一つである。その目的はケネディ家の子孫に十分な金銭的援助を与えることにある。自伝には、ケネディ家に生まれた男子は、出生と同時に財団から有名私立校で十分な教育を受けるに十分な巨額な金銭を贈与されると書かれている。英国・米国の歴史ある大富豪の多くは、先祖が獲得した財産を基にした一族の為の財団を持っている。富豪の赤ん坊が「銀のスプーンを加えて生まれる」と言われるのは、このような財団の支援の比喩に他ならない。

 

財産の所有者が、財産をどうしたいかの意思を、死後も長期に渡り継続させることこそが、財団化の理由であり目的である。

財団が、公益のために活動するか、至って私的な目的のために活動するかは、一代で財産を築き上げた財産所有者の意思次第である。

あくまで私見ではあるが、欧米では莫大な私有財産を築いた場合、それを社会に還元することは富豪の義務であり、その行為への大衆の賞賛こそが、莫大な財産より貴重であるとの意識があるように感じる。それが、ローマ帝国時代に大富豪が劇場や公衆浴場、図書館などを争うように寄附した伝統によるものなのか、公への貢献を重視するキリスト教の影響なのかは分からない。しかし、英国・米国に、大富豪の名前を関した図書館・学校・劇場などが至る所に存在するのは、まぎれもない事実である。

 

信託・財団は、財産所有者が存命中でも設定・設立が可能であるが、遺言によっても設立できるとされている。生きているうちは、自らの自由な意思で財産を使いたい、死亡した後は信託・財団に意思を引き継ぐと言うことである。(この規定は日本の民法でも同様である。)

実際に財団を設立するには多くの準備が必要であり、理事会の構成など設立に必要なことを遺言状に詳細に書き込む必要があるが、英米における遺産相続において、財団活用が一般的であることが良く分かる。

 

もし貴方が超富裕層と呼ばれる巨額な財産の所有者なら、世界平和や自然保護、世界遺産ジョージタウンの街並み保全などの崇高な目的のために、その財産を財団化してはどうだろう。英米法に準拠する法体系を持つマレーシアであれば、それは思うより簡単である。

 

 

 

最後に日本の「信託」「財団」制度の特徴を、参考までに説明しておきたい。

 

日本において「信託」制度は、信託銀行が運用する金融商品としてのみ長く利用されてきた。近年の法律改正により本来の信託に近い「個人信託」「家族信託」が可能となったが、法規定・制度とも不十分な状況にあり普及活用されているとは言い難い。日本の法制度の特徴は、生前の信託を契約の一形態と見做していることにあり、そのため「信託」を「信託契約」とする専門家や専門書も多い。「信託」と「契約」は全く違うものであり、契約の一形態として条文が構成されているため、違和感がある部分や無理も多い。契約当事者である委託者と受託者を中心として条文が構成され、目的をもった独立した財産である「信託」の意味が解りにくく、権利者としての受益者の具体的な法的保護も不十分である。受託者の資格要件が緩く、受託者の不法行為について受益者の保護を図る制度が弱い。受託者の資格要件や報酬額を法律で明確にし、信託を作成・執行する公的機関などを設置するなどしなければ、制度の活用普及は難しいと思われる。

 

日本において個人財産を原資とする「財団」は、近年まで実質的に公益目的のものだけが設立可能だった。しかも設定には主務官庁の許可が必要だったため、実際問題として巨額の財産を持ち官公署とも深い関係がある限られた個人以外が財団を設立することは不可能だった。近年の公益法人改革の一環として、公益目的以外の財団の設立が登記により可能となり、官庁の許可も不要となったが、財団設立が一般化したとは言い難い。歴史的経緯から本来の財団制度に関する一般の理解が不足しているのが大きな原因と思われるが、現行法が財団の設立を、主に法人の設立手続きとして条文構成しており、相続方法の一つである財団の目的や効果が十分に伝わらないことも理由の一つであろう。多くの日本人が今も「財団」と「公益財団法人」を同義語と認識していて、個人が財産相続を目的に利用可能であることが理解されていない。条文は主に執行機関に関するもので、財産の性格、設立者の意思、運用目的についての規定は少ない。財産提供者の意思に従って永続性をもって財産を運用されるという重要なポイントが、法律上明確にされ、広く一般に理解されなければ財団の設立も活発化しないだろう。

 

次回は、具体的な事例を使って3つの制度による違いを考えてみる。