忙しい? | 源のブログ

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源のブログへようこそ。笑い話を書くことが好きです。ただ今「ことわざ漫談小話」等の笑い話しを創作発表しています。それに季節ごとの俳句や川柳も投稿しています。最近は「戯れ言」も書いています。作品名は画面右下側フリースペースをご覧ください。

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特別忙しいって訳じゃないが、ひとつしかない貧乏な心が、あることがきっかけでちっとも休まらないのだ。何時ものの、のんびりゆったりしている心が何処となく忙しく、せっかくの日曜日でも休んでいる気分になれないのだ。この悩みを裏山の狸や狐、それに尤(もっと)もらしく理性を背負って威張るイタチに相談した。だが、所詮奴等は云々何某のモノを頂かないとおいそれと相談に耳もかさぬ風だ。仮に相談に乗っても相談相手をうまい言葉で「騙す」ことが奴らの本業だからどうもあてにできぬ。

 

いっぱしの男になるには、ものを引き受けたからには、いまさらできないなどと夏の蝉が小便ひっかけて逃げるような真似はしたくない。ヒマを持て余し甘い話しに見境もなく安易にかぶりついたからさぁ、いけない。あとから反省の心が泉の如く湧きあがってきた。その泉に蓋(ふた)をして、好きな露天風呂に入ってその反省の心を浮かべてみるものの、途中でドミノが崩れるように湯気となって整然と揃えたものが倒れ消えるのだ。「引き受けてはみたもののやっぱり吾輩には無理だったか」と天を仰ぐ。すると、露天風呂の頭上でカラスがカーカーと俺さまをバカにして飛び交う。そしたら痩せ細った副交感神経が到頭鎧をまとって窮屈な身なりとなった。

 

今更できないくせ軽い返事をして云々など、何と言われようが構わない。すると、千手観音さまに助けを乞うてもらってはと心に弱音の炎が小さく点った。ところが千手観音さまと言えばどんな悩みでももらさず救済するという広大無限慈悲の神である。そしたら、吾輩はやっぱり往生際の悪い男だと思った。正々堂々と「できない」と言えばいいじゃないか。プライドなんてまだまだ青い土手かぼちゃとおなじだ、気にすることはない。千手観音さまに頼んで何もかもいっぺんに済ませなくても安易なヒマ心から出た穢(けが)れとして持ち運び、その穢れが天日にひっからびて我が身から落ちるのを待とうと吾輩は心にきめた。何とお行儀のいいオトコだろうか。

 

そんなことをもだえ苦しんでいたら夢から目が覚めた。穢れが天日にひっからびて我が身から落ちるのを待とうと心にきめたなんぞは、よくよく策のたたぬ根性なしと気付いた。道理で、道を歩いていても屁もひれぬ男だったのである。


では、では、今日はこれでさようなら、面白くなくてゴメンね。(-^□^-)またお会いしましょう。