ことわざ漫談噺
ことわざ落し話1~30
3「食うだけなら犬でも食う」―後編―(3/3)
「そんなことで、何驚いているのだ?」
「ええ!だって、饅頭に心があるのですよ?饅頭が生きているみたいじゃありませんか」
「そりゃ、あたりめぇだよ。饅頭にも心はちゃんとあるのだ」
「そんな、饅頭に心があるなんて、初めて聞いた!へぇ」
「おお!まだまだ万平には、そのような大事なことが分からぬなぁ」
「へぇ!饅頭の心って、そんなに大事なのですか?」
「すべての万物たるものには心があるものじゃ。しかもなぁ、饅頭にはへそもあれば心もあるのだ。どうだ、たまげたか?」
「ええ?饅頭にも、へそもあれば心もあるのですか?」
「これ万平、覚えておきなさい。さっきも言ったように、ものには心もあれば必ずへそもあるものだ」
「へぇ・・旦那さま、おいらは、また分からなくなって来た?」
「何が、また分からないと言うのだ?」
「饅頭のへそや心って、饅頭のどの辺りにあるのですか?」
「饅頭のヘソや心は、どのあたりにあるかって」
「そうですがぁ、饅頭のどのあたりにヘソや心があるのですか?」
「成るほど、そこまで饅頭に対する熱意があれば、万平、お前もそろそろ腕があがってきたことになる」
「そうですか旦那さま!」
「だがなぁ万平、その饅頭のへそや心を知るには、ちょっとそこらの努力では、なかなかと知り得ないぞ」
「心やへそは、それほど難しいものなのですか?おらのへそなんて、このあたりにあることなんかは、誰だって知っているがなぁ」
「ああ、お前のへそではないわ。心やへそを知るには、ただ腕を上げれば良いというものでもない。腕をあげるとは、その饅頭の、粋も知ることにあるのだ」
「え?イキ」
「そうだ、粋だ」
「旦那さま、その、イキって、なんですか?」
「万平は江戸っ子じゃないから、そのようなことは何ひとつ知らぬなぁ。この粋とはまた、すい、とも言う。それは洗練された江戸文化町人の美をさすのだ。それだから昔の人は、粋は身を食うと、よく言ったものだ」
「へぇ?お吸い物なら知っているが、いきなり、イキやスイなんて言われても、わからねぇナァ」
「それじゃなぁ、万平。何で、粋が身を食うか、お前はそれを知っているか?」
「え、粋が身を食う?そりゃ旦那さま、イキが、お腹をすかしているからだ」
「何?粋が・・お腹をすかしているからだとぉ?」
「そうじゃないのですか、旦那さま」
「そりゃ、そうかも知れぬが、万平、それは、このようなことだからだ。即ち、粋とは、色気と生気を内にもって、繊細で、淡白であることをいうのだ」
「ええ?色気と・・繊細で淡白・・だって?こりゃ・・・さっぱり分からぬ」
「まぁ、なぁ。お前にとっては、これは難しいか」
「ああ、繊細に淡白・・何だ?洗剤に純白じゃねぇもなぁ、難しくなってきた旦那さま」
「何が、難しいと言うのだ?」
「だって、色気は分かるが、後の、繊細だぁ・・その・・なんだぁ、さっぱり分からぬ」
「学ぶものが、これしきのことで、いちいち音をはくな、万平。良いか、繊細で淡白というのだ」
「それじゃ旦那、その色気と生気、それに何だ、その繊細で、た、淡白な饅頭を作れば江戸の饅頭となるわけだなぁ」
「ああ、そのとおりだ。お前、できるじゃないか」
「ところで旦那さま、その淡白って、どんな饅頭を言うのですか?」
「そりゃ淡白というのだから、お前のような奴をいうのだ」
「俺のような奴?」
「そうだよ。それじゃ何か、お前はねっとりとした奴か。そうじゃないだろう、お前はさっぱりした良い奴だ」
「さっぱりした良い奴ねぇ。旦那さま、それじゃ今度は饅頭の、そのへそを教えてくれませんか」
「おい万平、お前、まだ饅頭のヘソも分からぬか?」
「だって旦那さま、饅頭の心は何となく分かりましたが、肝心な饅頭のへそは、何処にあるのか、おいらにはまだ分からねぇですよ」
「これ万平、お前は、毎日拵える饅頭はよく見ているか?」
「そりゃ、饅頭に穴があくほどよく見ますよ。饅頭の色や見栄え、それにふっくらとしたほのかに漂う饅頭のうまそうな香りだって逃しません」
「ほう!偉い念のいりようだなぁ。なら、分かるであろう」
「そんな饅頭に穴が開くほど饅頭を見ていますが、ですが、さて、饅頭の、そのヘソなるは、どのあたりか、ちっとも分かりません」
「そうか、万平、まだまだお前は修行が足りぬなぁ。饅頭つくりが、饅頭のへそを知らぬとは、それは恥ずかしいことだぞ」
「あらまぁ、大事な饅頭のヘソはちっとも教えないくせに、恥ずかしいことですか、旦那さま」
「当たりめぇなことだ。お前がさっき言ったように、ただ食うだけならなぁ、犬でも食うと言うものだ。それじゃなぁ、饅頭と云っても、魂のない、ただの饅頭だ」
「ああ、今度は魂だ。饅頭に、魂があるのですか、旦那さま」
「それだから、饅頭はただ作りゃ、それで良いと言うものじゃねぇのだよ」
「ああ、困った。饅頭の、へそが分からぬぞ。饅頭のヘソだ」
「万平、お前は、饅頭をひとくちぱくりと、口の中に入れた時、はじめに感じることは、それは何だ?まさかただ食う、犬じゃあるめぇなぁ」
「そりゃ、ぽいと飲み込むとは違って、饅頭の甘さ・・かなぁ?」
「その甘さは、普通なんというのだ?」
「そりゃ、・・甘いや、甘くないや・・・ちょっとしょっぱい、固いや軟らかい、などだろう・・・なぁ・・」
「万平、それは味と言うものだ」
「あ、そうか、分かった旦那さま。それじゃ饅頭のへそは、その饅頭の味なのだ」
「ほほ、だいぶわかってきたな。だが、それだけじゃない」
「でも旦那さま、もしかしてだよ、その饅頭が甘くないときには、そのへそは饅頭のどの辺りをさまよっているのかねぇ」
「そうさなぁ、へそがうっすらとあるぐらいだから、もしかしたら、その饅頭は、へその無い饅頭だ」
「え!へその無い饅頭?」
「万平、そんなに考え込んで、ほれ大丈夫か?」
「それじゃ旦那さま、粋な饅頭じゃないと、こりゃ駄目なのですねぇ?」
「それじゃ、それじゃ、万平!分かってきたな」
「イキな饅頭のへそありだ」
「うまい饅頭はなぁ、へそも立派なものだ」
「へそ饅頭、それが江戸っ子の粋な饅頭をさすのだ」
「お前のように、肝心なへそが、所定のところにないのは、江戸じゃ、その饅頭をへそ曲がりと言って、にがい饅頭を言うのだ」
「え?にがい饅頭ですか」
「ああ、饅頭をなぁ、ぱくりと口に入れた時、うまいとも何とも言えぬ饅頭をにがい饅頭というのだ」
「食うだけなら犬でもそりゃ食いますがねぇ、そんなにがい饅頭、犬だって食いませんよ、旦那さま」
「そんなことは当たり前だ。だからなぁ、饅頭は甘くないといけないのだ。この甘さ加減を、饅頭のヘソと言うのだ、わかったか、万平」
「あ、思い出した。そういえば、旦那さまのヘソは出ベソだ。道理で甘すぎる饅頭と思いましたよ旦那さま」
お後もよろしいようで、ありがとうございました。