ことわざ漫談噺
ことわざ落し話31~60
49「親の光は七光り」―前編―(1/2)
この諺をご存知のかたも案外少ないのではないでしょうか。「親の光は七光」とは、どのようなことなのでしょう。それは、親の威光や声望が大きいと、その子はあらゆる面でその恩恵をうけられるとのたとえです。立派なお父さんやお母さんであれば、その子はいろいろな面で恩恵を浴することができるということになります。
それでは毎度のばかばかしいお話しとまいります。魚屋の熊と、八百屋の八ちゃんが「親の光は七光り」の、七光りを指折り数えて話しているうち、てんぷらうどんや天丼に差し掛かったら、急にお腹が減って、どうでもよくなったのです。あきらめ半分、親の七光りには縁がないと、二人は天丼食いに行っちゃったのです。では「おらぁ親の七光りより天丼が食いたい」の巻きです。
「おい熊さんや」
「どうした?ええ、八ちゃん」
「あのなぁ、親の光は七ひかりと言うのがあるらしいのだよ」
「え、八ちゃんは、また、面倒な諺を拾ってきたなぁ?」
「ひろってきた?そうじゃねぇよ。俺は見たのだよ。わかんねぇ奴だなぁ」
「え?親の光は七ひかり、それを見ただって?」
「ああ、そうだよ」
「何処でそのような恐ろしいものを見たというのだ?」
「ほれ、あの三丁目に住む資産家の親父だよ。良いか、あの親父の頭はハゲているのだ。その親父の頭が光っているのだ」
「その親父の頭が光っているって?分からない八ちゃんだなぁ?」
「親が光れば子も光るのだよ。あの資産家の倅も親父に似て頭が薄く光っているのだ。良いか、その光るわけを熊に聞きたいのだ?」
「何だ?光るわけだって?それはさぁ、八ちゃんがいちばんよく知っていることじゃないのか。なんせ、八ちゃんは物知りで通っているのだから、何もおいらに聞くことはねぇよ」
「何だ?ええ、俺が物知りだから心配要らぬって?」
「ああ、そうだよ。ものをよく知っている男だからなぁ、親の七光りと言っても心配することはねぇよ。そのうち、光るわけをちゃんと思い出すよ」
「それじゃなぁ、親の七光りというのは、どんなことだか言ってみるぞ」
「それみろ、ええ、ちゃんと知っているじゃないか」
「そりゃなぁ、親のひかりと言うから、俺はてっきりその親の頭がハゲていて、それが光っていると思っていたら、どうもそうじゃないらしいのだ?」
「え?親のハゲ頭?そりゃ八ちゃん、違うよ!」
「ほれ、やっぱり違うじゃないか。それじゃ熊、おめぇは親の光は七光りって、どんなことだと思う?知っていることを言ってもらうか」
「え?俺が言うのかい?」
「ああ、熊は知らぬふりして案外知っているかもしれねぇからなぁ」
「何だい、それじゃ親の光はハゲ頭と言っておけばよかったか」
「何ぶつぶつ言っているのだよ、知っているなら男らしく早く言いなよ」
「俺も正確には知らねぇが、親の光は七光りと言うのだから、その親が立派で昔は随分と尊敬されていたのだ。それで、今はその息子たちが親の恩恵を受けると、まぁこんなところかな」
「え?熊。それって本当か?」
「そんなこと知らねぇよ。とにかく光っているのだから偉いのだ」
「え!それじゃ昔偉かった人の、ハゲ頭のその子供は親の恵みで今光っているというのか?」
「八ちゃんねぇ、何も、頭がハゲで光っているわけじゃないよ」
「だって、親が光ればその子も光るのだろう。熊はホタルと間違えているのか?」
「え?ホタルじゃないわ」
「そうだろうな、ハゲたホタルなんか聞いたことないもなぁ?」
「何を言っている。尊敬された親とその子の話しだよ」
「ああ、分かった」
「おお、八ちゃん。わかったか?」
「俺はなぁ、ハゲは光る、光はハゲだ、と、何時も一緒に考えるから間違えるのだ」
「そうだよ、光るのは何もハゲ頭とは限らないからなぁ」
「そりゃそうだ。ハゲと言えば頭全体がツルリンとハゲている親父もいる。また、白髪や胡麻塩の頭だっている。それになぁ、アンかけのハゲ頭だっているわ」
「え!八ちゃん。その、アンかけのハゲって、どんな頭だよ?」
「何だ?熊はそんなことも知らねぇのか?」
「だから聞いてんだよ」
「アンカケのハゲと言うのは、頭にくずアンを盛り付けたように、そのところがハゲている頭を言うのだ」
「え?くずアンを盛り付けた頭」
「熊、難しくかんがえるな。頭の半分がハゲあがった頭と思え」
「頭の半分が、ハゲている頭か!」
「ああ、それをなぁ、世間ではアンカケのハゲ頭と言うのだ」
「ほう! 成るほど。それじゃ八ちゃん、親の光というのは、頭が半分ハゲあがった、アンかけのあたまのことなのだ。へぇ!それが立派な親をさして言う言葉なのだな?」
「ああ、立派な親だ、そのとおりだ」
「それじゃ何か、立派でない親の頭は何と言うのだ?」
「何だ?立派でない・・親の頭?」
「そうだよ、俺達のような立派でない親の頭を何と言うのだ?」
「俺たちの頭か?そりゃ、どう見たって頭の中身が固いからなぁ、一皮むけば硬いクルミを指してクルミ頭というし、地域によってはイガにかこまれたままの硬い栗のイガグリ頭というところもある」
「え?クルミ頭にイガグリ頭か?」
「ああ、クルミも硬ければ栗だって、ほら、なぁ、硬いだろう」
「八ちゃん、一生懸命働いていても、何だか、寂しくなるなぁ」
「何だ?ええ、固い頭じゃ、おめぇ熊は寂しいのか?」
「八ちゃんは、そうは思わぬかい?」
「俺は思わねぇ。それにしても熊はあきらめの悪い男だなぁ。そのように生まれてこなかったのだ。クルミやイガグリ頭は永遠の未完成で、ハゲ頭は完成の頭だ。そりゃなぁ、たいしたこともできない親なのだから、俺みたいな頼りにならない親を、クルミさまの呼び名じゃクルミがミルクと間違えられ、牛乳配達人と間違えられるから、イガグリ様と言うのだよ」
「へぇ!八ちゃんは相変わらず頼りにならない男でイガグリ様か」
「そうだよ、俺は頼りにならぬ親だ。だから子だって光らぬ」
「うん、それじゃ分かった」
「え!熊、それで、本当に分かったのか?」
「ああ、分かった。親の七光というのは八ちゃんじゃなくて、きっとなぁ、俺みたいな男をいうのだよ」
「何?熊・・ええ、おめぇみたいな男?」
「ああ、何を隠す、俺さまは親の七光りという男さぁ」
「何だ?え!熊が親の七光り?そりゃ、おかしいよ?親の七光りどころか、ひとつの光際ない熊が何を言うのだ。俺達は何も該当しない凡人さまだよ」
「だから、なぁ、八ちゃん。それじゃ寂しいだろう。こうして二人いるのだから、誰かひとりぐらい親の七光に該当していなければ、お話しが続かず、お手あげの状態になってしまうじゃないか」
核心に入ってきましたが、この後は後編をお楽しみください。
30分後に投稿します。