ことわざ漫談小話
ことわざ小話1~50
37「猫に鰹節(かつおぶし)」
このことわざもよくつかいます。好物をそばにおくことは油断ができないこと、危険であることを言います。または、あやまちをおかしやすいことのたとえであります。それでは少し長くなりますが、ばかばかしいお話をしてまいります。
「ねぇ、番頭さん。おいらの好きな猫が、今朝はいないね?」
「猫はなぁ、お前の仕事にとっちゃ邪魔だから、ほれ、その二件隣のやまとやさんにくれてやったよ」
「ええ!くれてやった。どうしてなの、番頭さん?」
「どうしてもこうしてもあるか。それはなぁ、お前が猫の鳴き声を聞くと仕事にならないからだ」
「え、仕事にならないだって、仕事は、ちゃんとしているじゃないですか?」
「ないですか、じゃないの。良いか、お前の達者な算盤上手も、あの猫のひと鳴きごとに違ってくるのだ」
「ええ、ひと鳴きごとに、俺等の算盤が違う」
「ああ、それだから困るのだ。この金平屋の品物が良くて安い信用がなくなってきたのだ。それだから、あの猫はやまとやさんにくれてやったのだ」
「そりゃ、酷すぎる」
「何がヒドイというのじゃ。お前の、猫のひと鳴き声やふた鳴き声で、ケタのちがう算盤のほうが、もっとはるかにひどいのだ」
「そんなことで、あの可愛い猫をくれるなんておかしい」
「お前はもう十五だ。十五と言えば猫よりなぁ、オナゴはどうじゃ?猫の鳴き声よりオナゴの鳴き声が、よほどお前にはかなっていると思うがなぁ」
「ああ、おめぇには、まだ早かったか」
「だって番頭さん、オナゴは『外面如菩薩内心如夜叉』(注)というじゃないですか。そんなことも知らないのですか?」
「え?!このやろう。もうそんなことまで知っているのか。こりゃ油断もスキもあったものじゃないやろうだなぁ」
「だから、オナゴより猫のほうがましだよ、番頭さん」
「いいや、それは違う」
「ええ?どうして、番頭さん」
「だからなぁ、どうしてもこうしてもないのだ。それはなぁ、普通の男なら女子を近づけることは危険だが、お前には猫を近づけるほうが、はるかに危険だからだ」
番頭さんも大変ですね。猫にカツオブシも、ヒトそれぞれによってちがいますから献立をいろいろと考えないといけないのですね。
俺にも何か献立が欲しい 源五郎
(注)「外面如菩薩内心如夜叉」(げめんにょぼさつないしんにょやしゃ)
女性の顔は菩薩のようになごやかで美しく見えるが、その内心は夜叉のごとくおそろしいということ。旺文社「国語辞典」参考