ことわざ漫談噺
2「井の中の蛙大海を知らず」 後編
さて、絵なら何でも描くという三吉ですが、この後はどうなりますことやら、後編をお楽しみください。
「ほう!こりゃ大層立派で自信の塊だ。なるほどのぅ、言えば何でも描けるか!」
「はい、何でも御座れ旦那さま」
「ほぅ! 分かった。そんなに描けるのか。それでも、なぁ、あ、そ、その中で、だ、一番描きたい絵とはどのような絵だ?」
「だから旦那さま、そんなのは無い。そりゃなんでも、馬でも牛でも鶏でも蛙も一番、泥鰌だって一番と、みんな上手にかける」
「これ、小さいなりして、そう怒るな」
「おらぁは怒ってねぇ。旦那さまには何度言ってもおらぁを疑う」
「ああ、分かった。そうか、みんな上手に画けると言うか!」
「それでは、これまで描いたものを持って来るかい?」
「ほう!それは見たいものだ。お前が描いた絵とやらを」
「それじゃ、俺、今取ってくる」
「ああ、いやいや、これこれ、持ってこなくてもよい」
「え!見なくて良い?」
「ああ、十分分かった。お前の、その顔には嘘がない。だが、三吉、さよは、お前のどの絵を見て文句を言うのだ?」
「おいらが描いた、さよさんの顔やその姿だ」
「何?さよの顔や姿!それは、またどうしてだ?」
「おいらにはそれが分からねぇ。それが、頼まれて描くたびに文句を言われるので」
「描く度に怒られる?」
「はい」
「ところで、あのさよに、何て、三吉は文句を云われるのだ?」
「それは・・・その」
「それは、どうした、言えぬのか?」
「そりゃ・・・目が細く、鼻が獅子鼻、それに顎が角ばって、背が低い、と、絵を見て嘆いては、あれやこれやと文句を言い出して、仕舞えに怒り出すだ」
「何、目が細く、鼻が獅子鼻、それに顎が角ばって・・・背も低い・・」
「へぇ旦那さま」
「これ三吉、その絵は、ありのままの絵ではないのか?」
「はい?・・上手に描けていると思うのですが、それがなかなか褒めて貰えねぇ」
「ほ、ほう!成るほどのぅ。褒めてもらえぬか」
「おいらには分からねぇ。だけど、美人に、しかも、そっくりに描いているのだが、何時も最後には怒られる」
「それで工夫が足りないと、お前に文句を言うのだな!そりゃ三吉も辛いなぁ!」
「それじゃ、旦那さまは、おいらの絵がわかるので?」
「いや、お前の絵はこれまで一度も見たことがないから、本当は分からない」
「え?分からねぇ。そりゃおかしいなぁ?」
「これ三吉、何がおかしい?」
「さっきはおいらの絵を見なくても、旦那さまは分かったような感じがしたが?それが、分からねぇと言うのだから、そりゃおかしいなぁ」
「ああ分かった。それでさよはお前の絵を見て、工夫が足りないとただ言うだけか?」
「いいえ。・・・それが、その・・・」
「それが、どうしたのだ?」
「それで訳の分からぬことを言って、ぷいと、居なくなる」
「その、わけの分からぬこととは、どのようなことだ?」
「どのようなことなのか、おいらにも、その意味が分からねぇ」
「ほぉ!三吉には、何を言っているのか、それが分からぬと言うのだな?」
「え・・はい」
「はい、では分からぬ。これ三吉、あのさよが、お前に何と言って怒っているのだ?」
「それは、確か、井の中の蛙大海を知らず、とか言って、おいらを睨みつける」
「何と!井の中の蛙大海を知らず、とな?」
「へぇ・・」
「あの、さよのやつは、三吉に、何べんも絵を描かせたが、思うとおりにならずとうとう腹が立ったのだ!」
「え?思うとおりにならないで怒った!」
「ははは、これ三吉、どうして怒ったのか、それがお前にはわからぬか?」
「へぇ旦那さま、どうしてさよさんは、おいらが描いた絵を見て怒ったのですか?」
「そりゃ、なぁ、わしにも本当は分からん」
「やっぱり、旦那さまにも、其の訳は、分からないと言われるか」
「うむ、成るほどなぁ。やっぱり、お前の絵は井の中の蛙大海を知らず、なのかも、知れんぞう」
「井の中の蛙大海を知らず、って、どんな絵ですか、旦那さま?」
「え!どんな絵と申すか!そりゃ、なぁ、もっと綺麗な絵じゃ」
「もっと・・綺麗な絵?」
「ああ、さよは歌が上手だ。しかも、歌もそうだがもっと麗人にならなきゃ我慢できない女なのだよ。だから誰が見ても綺麗な絵じゃないとさよは困るのだ」
「え?さよさんが麗人じゃないと困る?」
「麗人?そ、そりゃそうだろう、三吉。お前の絵は真面目すぎるのだ」
「俺等の絵が真面目すぎる?」
「これ三吉、真面目と云っても、それほど気にすることではないぞ」
「旦那さま、そのような訳の分からぬことでは、この三吉が困る。何時も晩飯になると、おかずが一品足りない」
「おかずが一品足りなくなる!」
「そうだ、旦那さま」
「お前の膳だけが、みんなに比べ、おかずが足りないと言うのか?」
「この頃は茶わんのご飯の量まで少ない」
「何!ご飯まで少ないと言うのか!」
「そうだ、旦那さま」
「それじゃ、なぁ、これでは腹が減って、じょうずな絵が描けないと、あのさよにご飯のお代わりを何杯も出すがよかろう」
「それが、旦那さま、この前、我慢できずお代わりを出したら、下手な絵よりもっと仕事を覚えろと、大きな目で睨まれた」
「ほう!絵より仕事をなぁ」
「はい、くりんくりんとした、どんぐりのような大きな目で怒られた」
「なに!あのさよの、あの小さな目が、今度は、どんぐりのように大きな目になって、お前を睨みつけるのだな!なるほどのぅ。それでは、さよは掴みようのない、なかなかと難しい絵となろうなぁ」
「旦那さま、そのような独り言では、おらぁ聞こえねぇ」
「これ三吉」
「へぇ?・・なんです旦那さま?」
「これから世間に出て、お前が描けぬという、絵を習って参れ」
「え?旦那さま、今、何と、おっしゃられましたか?」
「描けぬという絵を習って参れと、言ったのだ」
「旦那さま、その、描けぬという絵を習って参れ、って、どのようにすれば良いのですか?」
「そりゃ、お前にすれば簡単なものだろう」
「え!俺等には、簡単に描けるのですか?」
「ああ、簡単だ。それはなぁ、あの、どんぐり目のさよに、見せられる上手な美人画を、習ってまいれと言ったのだ。分かったか」
「え?上手な、美人画!」
「おまえにはたやすいことだ」
「それじゃ旦那さま、そのようにすれば、ご飯はたらふく食べられる?」
「ああ、恐らくなぁ、三吉ひとりでは食べきれんぞぅ、はははは」
長らくのご清聴ありがとうございました。
源五郎
(注)ことわざ用語参考辞典:旺文社「国語辞典」1986年改訂版参考