今、ルマン24時間レースが開催されますね。
以前に比べて、日本のメーカーは出場せず、日本ではTV放送もなくなり、ほとんど(というか全く)話題にならなくなりました。
でも、1980年代後半から、90年代の頭にかけては、世界のTOPメーカーが、ワークスチームとして出場し、その威信をかけた壮絶な技術競争が行われていました。そのころは、F1よりも盛り上がっていたと思います。
そのころのマシンは、プロトタイプカー(グループC)というレギュレーションであり「公道を走ることのできる最高峰の自動車」という位置づけ(F1と違って、ウインカーやブレーキランプなどもついてました)の耐久を目的とするレースでした。
元々は、1レースあたりのガソリン量が決まっている以外は特に規制もなく、どんどんエンジンを大きくしたり、ターボチャージャーなどの過給器をつけたりと、大変面白いレギュレーションでした。
最も激しかったころは、予選専用エンジンなどもあって、2,3週しかもたないけど、出力は1500馬力もでる(!)などという、羽をつけたら空を飛んでしまいますね(実際ルマンの最高速度は400km/hまでいきましたし、、、)。
ただ、その後、人間の肉体的及び精神的な限界や環境問題、さらには、景気の問題などもあり、レギュレーションが急速に厳しくなりました。きわめつけは、FIAの「F1を盛り上げるために、エンジンなどの仕様をF1と同じに規制し、参加メーカーを増やそう」という、とんでもないルールを作ってしまったため、参加企業が急速に減少(そりゃそうだ。基本的な概念が違うんだから)。残念ながら消滅してしまいました(形を少し変えて残ってはいますが、、、)
もちろん、規制は非常に重要なことだと思うのですが、机上でおこなう役人体制ではなく、現場を意識した活動が必要なんだなと痛感したことを覚えております。
ということで、当時、夢をくれたプロトタイプカーに感謝です。
以前に比べて、日本のメーカーは出場せず、日本ではTV放送もなくなり、ほとんど(というか全く)話題にならなくなりました。
でも、1980年代後半から、90年代の頭にかけては、世界のTOPメーカーが、ワークスチームとして出場し、その威信をかけた壮絶な技術競争が行われていました。そのころは、F1よりも盛り上がっていたと思います。
そのころのマシンは、プロトタイプカー(グループC)というレギュレーションであり「公道を走ることのできる最高峰の自動車」という位置づけ(F1と違って、ウインカーやブレーキランプなどもついてました)の耐久を目的とするレースでした。
元々は、1レースあたりのガソリン量が決まっている以外は特に規制もなく、どんどんエンジンを大きくしたり、ターボチャージャーなどの過給器をつけたりと、大変面白いレギュレーションでした。
最も激しかったころは、予選専用エンジンなどもあって、2,3週しかもたないけど、出力は1500馬力もでる(!)などという、羽をつけたら空を飛んでしまいますね(実際ルマンの最高速度は400km/hまでいきましたし、、、)。
ただ、その後、人間の肉体的及び精神的な限界や環境問題、さらには、景気の問題などもあり、レギュレーションが急速に厳しくなりました。きわめつけは、FIAの「F1を盛り上げるために、エンジンなどの仕様をF1と同じに規制し、参加メーカーを増やそう」という、とんでもないルールを作ってしまったため、参加企業が急速に減少(そりゃそうだ。基本的な概念が違うんだから)。残念ながら消滅してしまいました(形を少し変えて残ってはいますが、、、)
もちろん、規制は非常に重要なことだと思うのですが、机上でおこなう役人体制ではなく、現場を意識した活動が必要なんだなと痛感したことを覚えております。
ということで、当時、夢をくれたプロトタイプカーに感謝です。