外の空気を求めサンパウロに移り住み24年9月に47年を迎える。振り返ってみると幾山河に恋あり 命ありと言える。日本人街広場にエスッダンチ坂道があり、今はない
こけし食堂があった。
150人がはいる大きな食堂で入口に会計があり、50代はじめの女将さんが笑顔でお客さんを迎え、食べた後お客が支払いをすませると有難うございますとご丁寧なことで
お客をも送っていた。
見せの雰囲気はブラジルに日本がある、その言葉がピッタリ、店内はに日本語の世界、料理は焼き魚定食、てんぷら定食、刺身定食のメニュー。値段は安く近くの事務所で働く日本人、日本食が好きなブラジル人がよく来ていた。
1977年以降から1990年ころまで商売繁盛でしたが日本へ出稼ぎが増え始めた1995年頃から日本人の客が減り、こけし食堂の看板が消えることになった。
こけし食堂の常連で20人前後が並べたテーブルで旅の情報のやり取りをしているグループがあった。グループの」名前はビアジャンテ、英語でViajante。ビアジャンテはブラジルの商倍の草分け。交通、通信の不備の田舎に商品を運び売り、注文を仕入れ
また新聞などの集金もするなくてはならない人である。
田舎に住む日本人はどんな新しいニュースを運んでくる、商売よりもそれが楽しみ
としていた。今の世の中とは違い人の温もりがあった。
47年で世の中は変わったが変わらないのが日本人街広場で毎週土日に行われている
日本人市場、広場に立ち寄るとこけし食堂の日本人の顔を思い出す。














