路上市場フェイラの果物、野菜の値段が跳ね上がり、買い物荷車の半分になったが、庶民はいたって元気の暮らし。高いフルーツは少なめ、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、白菜など値段が安いモノを買い、煮込み料理にしているようだ。

 

ブラジル各地でサッカー、バレーボールのチームまたは地域対抗試合が連日行われている。サッカーは野外外灯の設備が整えられているので夜11時ころまで試合が行われ、バーボールは深夜一時まで試合が行われている。

 

プロのAクラス、地方の準プロのBクラスがあり、トーナメント試合が行われている。家族ぐるみの応援、スタンドでは太鼓、サンバ楽器が持ち込まれ、飲みはしゃぎの応援、、。

 

古い体育館では大雨のとき雨漏りがあるが中止するのでは、屋根からおちてきた雨をふきながらの試合、、。体育館には5千人前後の入場者、Tvから熱気が伝わる。日本では勝ち負けにこだわるが、試合が終わればアミーゴ、これがブラジル、、。

 

家の近くの市営公園では新しい外灯の取り付け、暗い場所には外灯のコンクリート土台が新たにつくられ、真新しい外灯が取り付けられている。時代から置き忘れられた

路上暮らし不労乞食が増え、道路が汚れ、鼻に臭い臭いが飛び込んでくるので気持ちが悪い。これから対策をすると市と州政府の発表、、。早く何とかしてもらいたい。

 

岸田首相が來伯したが来るのが遅い、国が傾いてからのブラジル訪問、TV・メディアではチッちゃく放送されていた。

 

 

 

Bom dia サンパウロの末吉業幸です。

 

★雨季に入り、毎日昼3時頃から熱帯スコールがある。サンパウロは海抜870m、高原都市は気候変動の影響はないようだ。

 

★ブラジルで話題にあっているのがアマゾンの干ばつ。中間地点の支流で100年に一度の干ばつにみまわれ、河の水がひえあがり、川底の泥が割れ、乾燥している無残な姿が連日TVで報道されている。

 

★死んだイルカが川辺に放置されている姿を見て、アマゾン干ばつの深刻さがわかる。1972年にスウエーデンで環境人間宣言が採択され、1992年にはリオ デ ジャネイロで地球サミットを開催。しかし現実はカフェー会議で気候変動を防ぐこともできず、アメリカ、カナダでは山火事、アマゾンではこれまでに見たことがない干ばつにみわれている。

 

★どうする人間?、もはや待ったなしの大きな決断をしなければならないときに追い込まれているが国連は具体的な行動に移れず、また国益優先のエゴのカベを越えることができない・・。宇宙開発競争もいいがその前に母なる地球の環境保護に本気で取り組んでもらいたいね・・。

 

 

 

 

 


Bom Dia サンパウロの末吉業幸です。

 

ブログに書くテーマ、何にするか。国内外の文化に絞り込みたいと考えている。文化とは広くいろいろな人間と自然とのかかわり、風土の中で生まれ育ち、住みいくなかでの立ち振る舞い、人と人とのかかわりの全てが文化というから幅が広く奥行きが深い・・。

 

サンパウロに46年住み、穏やかな暮らしをしてます。仕事は本職のソフトエンジニア→農業→商業を営んできた。終着駅に着くのは100歳の予定、2048年まで現役を目指している。沖縄やんばるに所有する山林元里山に21年からブラジル村農場→ブラジルのセカンドハウスの造成をしています。移住50年2027までに完成の予定。何に使うか・国内外に住むアミーゴのコミュニケーション・。

 

ブラジルに日本人が初めて移民したのは1908年、781名。日露戦争の戦利品の船を改造した笠戸丸で神戸港から出港サンパウロ州のサントス港に着いている。着いたサントスふ頭を訪ねたことがありました。

 

45年サンパウロ市内に住んでいますが生まれ育つた文化は肌にしみ込み、洗っても落ちない文化肌と言える。七五三、成人式はわかるがわからないのが西洋のイエスキリスト教の誕生祝いからきているHappy 誕生日祝い・・。ギリシャのある神殿にお供えしたのがケーキ、それが誕生日にかかりあうようになったとの説明。

 

18歳に沖縄を離れ、東京に10年半暮らし、1977年からサンパウロに住んでいます。やりたいこと、好きなように、型にはまらず

自分でこしらえた人生レールの旅を楽しんできた。ブラジル・日本の文化、2か国の日々の暮らしのメモをブログに書いていくつもり。

 


Bom Dia サンパウロの末吉業幸です。

 

天気は晴れ、事務室の気温21℃、湿度46%。

 昨日から留守番。妻は妹の長男のブドウ農園、ワイン工場へ妹の車で出かけ、長女は市内の空軍基地勤務の友人が住むアパートへ泊まりに行くと出かけた。孫娘はサンパウロから約300㎞ある温泉へ3泊の修学旅行へ。犬がいるからエサ、フンの当番に。イヤな犬だがしようがない。

 

我が家では3種類の石鹸を使っている。昔から使っている石鹸、洗濯用の粉せっけん、台所で皿洗いに使っているリサイクル石鹸。私が使っている石鹸はココナツなどの植物油から作られているモノ、シャワー、風呂に使っている。沖縄の山の開墾で使い持ち運びが便利であることが改めてわかった。先の訪日に20個もっていったが余らず不足せず使い果たした。

 

妻、子供、孫は液体を使っている。白い石鹸は主にキッチンで皿洗いに。リサイクル業者が住宅街を回り台所から出た廃油を回収し作られている。安全、安心、安いことから街角の商店でも売られている。粉石鹸は洗濯に、、。

 

ホテルでは体を洗うモノ、シャンプー、名前忘れたが3種類がプラスチィック箱に入れられている。ある日、体を洗う液体がなくなったので名前がわからず、何とかソープ液体?をもって来てもらいたいとフロントへ電話で伝えたら、、受付の女性が、、笑い声で、、何とかボディーですかと、、きかれた。

 

応対しているフロントの女性の顔が頭に浮かび、、恥をかいたね、、。日本ではやたらと英語を和訳した日本語がはやっているから、恥をかくはめになると、、愚痴、、言いたくなるね、、。

Bom Dia サンパウロからのブログです。

 

日本の陶芸の話しではなくサンパウロの海岸山脈標高1000mにある陶芸街

の話しです。村の名前はCUNHA、クーニア。人口4万5000人の農村。

 

家族で乳牛を10頭ほど飼育し毎日乳を搾り村のチーズ工場に売り、生計を

たて暮らしている貧しい農村。私の農場がありましたが治安がわるくなった

ため売りました。

 

貧しい村に名古屋、益子、日本に住むポルトガル人の3人が移り住み陶芸

で街おこしを始め、今ではブラジル一の陶芸村になりました。

 

75年に2人、女一人、男一人、78年に益子焼陶芸家女一人、奥さんの主人は

益子で修業中の二人が移り住み、今では50人ほどの陶芸家が街に定住し陶芸

で生計を立てている。

 

写真は街で一番大きい陶芸ギャラリーの一部。ニューヨークで展示会を開催

評判になった陶芸専門家。日本で窯に使うユーカリが手に入りにくくなった

ことで何もない寒村のCUNHAに移り住んでいる。ギャラリー5段登り窯があ

る。 

 

 

 

 

 

Bom dia サンパウロの末吉業幸です。

 

東京からサンパウロに住み46年。ブラジルの暮らしがご当たり前になり、

何に不自由がない日々を過ごしている。

 

街から日本語が消えましたがラーメン、すし、刺身、焼きそはブラジルの

国民食になり、ラーメン手の前はいつも行列になり日本食ブームが続いて

います。

 

さて、、話題は日本に移ります。サンパウロの暮らしが落ち着いたことで、

家族・アミーゴに本場の日本の味をたのしんでもらう、そのために子供の頃

暮らした元里山、現在は原始林になっている山に21年からブラジルフルーツ村、

JBLOungセカンドの造成をしています。

 

移住50年の2027年までに完成の予定。初めてのキャンプ,2週間狭いテント暮らし、

でギックリ腰にならず、七輪カマと奮闘、開墾をしながらしながら雨、台風がしの

げる山小屋を建てました。

 

来年中旬にまた訪日、6か月滞在し、日常の暮らしができるハウスを建てる予定。

 

 

 

Bom Dia,サンパウロの末吉業幸です。

 

なんと、

サンパウロ市に住み、46年。

サンパウロ市の暮らしは

幾山河に恋あり、命あり、殺されず、まだ道なかばで生きています。

 

70代を過ぎると

誕生日は来てほしくないが、、来年の4月に76回が来る。

誕生パーティはマクドナルドのビックマックでいい、、ケーキはもうあきました!。

 

ブログの書き方にはいろいろありますが管理人

からブラジルの日々を発信、

皆様と喜び分かち合う、

いい文が見つかりましたので、

参考していきますのでよろしくおねがいします。

 

FOTO ブラジル東北にある若いカップルプライベート小屋、

マンジョッカフライ

日本語学校運動会の持ち寄り料理。喜びを分か合う移民文化

が残されています。学校で生徒、先生の誕生パーティがある。

 

ブラジルに46年住んでいると日本との違いに、そういうこととか、と気が付くことが多い。我が家では妻2世とは日本語、子供、孫とはポルトガル語での会話。

 

寿司、刺身、焼きそば、世代に関係なく食べてくれるから日本料理がでるときはにぎやかになる。

 

2世は日本生まれの一世と日本語環境に育てられたことで話しが合うが3世になると、ポルトガル環境で育てられているから2世と同じ使いはできない。

 

田舎の2世は準日本語環境で育てられているから日本人と同じ価値観をもっている人が多い。しかしと都市育ちの2世はポルトガル語環境に育てられているから田舎の2世とは価値観が違う。

 

日本人一世はブラジルに柔道、剣道、焼きそば、寿司、刺身、いなり寿司、七夕まつり、茶の湯、生け花、その他を残した。柔道人口は日本より多いらしい。日本語が話せなくても体で日本の柔道が普及したのはなぜか、そう聞かれた場合直ぐに回答ができない。

 

ブラジル人から日本人はブラジルにいいものを残してくれたとよく言われる。そういう話されるたびに日本人に生まれてよかったと・・思う。

サンパウロの暮らしは45年6ヵ月、いろいろあったがアットいうまに過ぎた。日系コロ二アをおつくりになった戦前戦後の先輩は皆旅立ち、語り合う人がいなくなり一人残された。

 

鎌倉殿13人は面白かったが人は何時の時代でも権力がお好きなようだ。ブラジルに日本人が移住してから115年。日本人同士助け合いながら生きてきた日系移民史。

 

サンパウロの暮らし、ブラジルに日本があり、寿司、刺身、納豆、いなり、日本の菓子、なんでもある。少なくなったのが日本人、街から消えた日本語。

 

日本がGDPで中国に追い越されたときから世の中の流れが変わった。日の丸に勢いがなくなり、出生減少で国に赤信号、どうしてこうなったのか?。

 

4月に帰省する、勢いがある日本人に出会えるか、楽しみ。後期高齢という言葉、誰がつくったがわからないが好きになれない言葉、ガンバレ団塊世代のほうが元気がでる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あけましておめでとうございます。登録して一週間、

なかなか思うようにいかない・・・(笑)。

 

22年は暗いニュースばかりで明るい話題はなかった。

来年はウクライナ戦争が終わり、平穏ないい年であっ

てほしい・・。15年書き続けたブログにあきがきたの

でアメーバに登録したがどうも使い方がわからない、

なれるまで時間がかかりそう・。

 

ブラジルの正月は夏、46回迎えたことになる。一年

前から日本にセカンドハウス農園別壮を造成中。

 

早めに使い方をマスターし、いいコミュニケーショ

ンがとれるよう頑張りますので宜しく・・・。