プロペラがくるくるとまわって、真っ青な空の空気をかき回すのをじっと見ていた。
中学2年になったばかりのノアはいつも授業を抜け出して屋上に来る。
しかし、先生も同級生もそんなノアを咎めたり、注意したりしない。なぜならノアは「オバケ」だから。
チビで虚弱児でアトピーで喘息。普通に立ってるのに急に同級生に驚かれたり、先生にも存在感がないわねえと言われる。そんな悲しい境遇に育ったノアはいつの間にかオバケ、というあだなで呼ばれるようになった。
そんなある日、テレビを見てると「ゲゲゲの鬼太郎」がテレビから流れて来てそのオープニング曲にノアはハッと気付いて、そこからはその曲の歌詞に則って生きて来た。
だからノアはいつも「オバケにゃ学校も、仕事も、何もない」とくちずさみながら、授業をこっそり抜け出して屋上にいく。オバケは人間の世界の住人じゃない。だから僕は生きづらいんだろう、とノアは思う。オバケは人間の世界では、霊感のある人にしか見えない。だからノアが何をしてようと、どこにいようと、人間達は関与しない。つまりノアは多少の孤独と息苦しささえ我慢出来れば好き勝手出来る、ということだ。
屋上に行くと、ノアは小さなノートと鉛筆を取り出す。
そこに言葉を書き込んでいく。
オバケになって困った事といえば、頭の中で思った事や鳴ってる言葉を共有したり話したりする相手がいないということ。だから思った事は思ったまま、頭の中でずっと鳴り響いていて、その量は時間と共に増えていきノアの頭の中は自分の考えでぎゅうぎゅうになってしまう。
そこで考案したのが、この小さなノートと鉛筆、だ。
ここに頭の中にぎゅうぎゅう詰めになっている想いを片っ端から書き込んでいく。
ノートに話しかけるように、白い空白を黒く埋めていく。今日起きたこと、それに対して思ったこと、見えてること、聞こえてくる音、匂い、肌触り、今週の鬼太郎のストーリー予想、とか兎に角なんでも。TwitterやInstagramなんかと違って、このノートはどこの誰とも繫がってない完全なるオフラインノートだ。だから誰にも見られる事がない。
わかりやすさも言っちゃいけない言葉に気を使う必要も構成もない。
ただ雑然とノアによって記録され続ける、言葉に変換された僕を介した世界。
ノアは好きなラッパーが「世界はノートとそっくりだ」と歌っていたのを思い出して、あのラッパーもそういう意味で言ったのかなぁと思って、ノートに「世界はノートとそっくりだ」と書き込む。
ノアの好きなラッパーや作家は人気がある人もいれば、人気のない人もいる。
ノアはノートに「僕の好きなあの人達の作品は、100年後どうなってるかな?無くなってるかな?」と書き込んでから、とても悲しくなって足が重い感じを味わった。
作者が死んでも、創作活動を辞めても、作品が残っていればその瞬間のその人には僕達は会える。でも作品が忘れ去られてどこでも聞けない、読めない、見れなくなったら、きっとそれは完全なる消滅だ。敗北だ。死だ。死んでしまった人と会いたい時は、どこに連絡すればいいんだろう。
ノアのおばあちゃんの話をしよう。
ノアの祖母は数年前に死んだ。でもノアは自分が覚えてればおばあちゃんは完全には死んでない、と思っている。こうして屋上に来て空の下で目を閉じたり、凄く冷えたコカコーラ(おばあちゃんが大好きだった)を飲んでる時、ノアはおばあちゃんの笑顔を思い出せる。
鮮明に、くっきりと細部まで。正にそこにいるように思い浮かべられる。
それだけリアルに笑顔を見れるということは、もう会っているのと同じだ、とノアは思う。
だから、おばあちゃんは死んでない。おばあちゃんにはいつでも、会える。
でも。
でも、とノアは考える。僕が忘れてしまったら?おばあちゃんの笑顔を、声を、皺だらけの手の暖かいビニールみたいなあの感触を、100年タンスで熟成してたみたいなあの匂いを、自分が忘れてしまったら?ノアはそう考えて、ぞっとする。そうしたら、おばあちゃんに会いたいって気持ちの時はどうしたらいいだろう?誰に会えばいいんだろう?
ノアは怖くなると、家でこっそり大根をおろす。おろした大根に醤油をかけて食べる。
おばあちゃんがよく作ってくれた朝食には必ずこれがあった。
大根おろしを食べながら、おばあちゃんのことを思い出す。定期的に思い出してれば忘れてしまうことがないだろうと思うから。そうしたらおばあちゃんが死ぬのを少し長引かせられる気がするから。
学校でこういう怖い空想に取り憑かれてしまった時は、ノアは思いっきり目をつむってぎゅううって拳を握りしめる。大丈夫、大丈夫、大丈夫、僕は忘れない、僕は忘れない、僕は忘れない、と呟きながら。
「何してんの?」
声が聞こえて、咄嗟に瞼をあけるとそこには「カク」と「ターニャ」と「ガッシー」がいた。
みんなクラスの人気者だ。大体がノアとは真逆の性格をしてる「ニンゲン代表」みたいなヤツっていうか要するにリア充共だけど、みんなラップが好きでノアとラップの話を時々する。
「なんでもない」
ノアはむくっと起き上がって、「それよりみんなこそ何してるの?授業中じゃん」と質問返しをする。
「ノアがまたいなくなったのにさー、皆、誰も呼びにいかないからさー」
しょうがねえじゃんと言いたげに、カクはいつもの笑い方で笑いながら頭をかいた。
ターニャはぼけえと空を見つめながら「にっちゃんが呼んでこいて言うてたよお」とかぶつぶつ上の空で呟いてる(にっちゃんはノアの面倒をよく見てくれる奇特な女の子だ)し、ガッシーも眼光鋭く「そう、俺達は友達のノア君を呼びに来た」と言っているが、三人とも絶対に授業をさぼりたかっただけだろう。
「別に誰も気にしてないなら、良いんじゃない」
ノアが呆れ半分になげやりにそう言うと
「まぁそりゃそうだけど…なんか、ほら。アレじゃーん」
カクはそう言って「呼びにきた」と言った癖にノアの横に腰をおろして、LIL UZI VERTのXO TOUR LIif3をiphoneでかけてあごを突き出してへんな声でマネをしだした。
「もちたべて♩羽子板で♩振り袖で♩もちたべてーいえーもちたべてーいえー」
おじいちゃんみたいな声でラップをするカクにノアは思わず笑いながら「なにそれ?」と聞いた。
「これが最新ォのふろおおだぜええ!」
変な声で歌いながら、高速で謎の動きをするカクにターニャとガッシーとノアは息が出来ない程、爆笑させられる。
ひとしきり笑ってから、疲れてふうふう言ってるカクと、笑い死にそうになってるターニャとガッシーにノアは小さな声で打ち明ける。
好きなラッパーの曲が100年後にどうなってるか、おばあちゃんをわすれたらどうやっておばあちゃんを思い出せばいいのか、自分達は死んだら消えてしまうのか。
真剣に悩むノアを見ながら、ターニャが笑って言う。
「なあんだ!そんなの、ラッパーは100年後まで残る曲を書けば良いし、おばあちゃんのことは忘れないようになんかに書いときゃ良いし、俺達が死んでも忘れられないように、俺達も何か残せば良いじゃん!」
「100年後まで誰か一人でも、二人でも、忘れないでいてくれるような何かをさ」
「何かってなんだよ」
ノアが聞くとターニャはまた空をぼけえと見上げて何かを考えてる。
「そこが肝心なのに!」
「わから~んすま~んごめ~ん」
カクが変な声でふざける。
「だからなんだよ、その変な声!!!」
「けど」
急にカクは変な声をやめて、真面目な顔で空を見上げる。
「俺達が死んで、オバケになってもいられるような何かは作りたいよね。ラップとかは?ラップ書こうぜ!ノアとかなんかいつもノートに書いてんじゃん!あれ良いよな!お前がいない間に勝手に読んだけど!」
「はあああああ?!勝手に読むなし!!!!」
「いや良いじゃん褒めてんだから~。あのノート、めっちゃいいよ!!」
「ラップねぇ…ラップなんて書いたことないし」
「ガッシーがいるから大丈夫っしょ!ガッシーはニューヨーク育ちだからよ!」
カクはガッシーを振り返る。ガッシーが鬼のメンチを切る。カクは気付かない。
「いやニューヨーク育ちだから大丈夫の意味がわからんけど」
「そうそう!例えばグループ名とかは…言葉…売る…みたいな…言葉のお店…」
ノアのツッコミもガッシーのメンチも無視してカクはグループ名を考え始める。
「言葉のお店?」
「あ!!!そうだ!!!それいいじゃん!!!」
「なに?まさか、ワードスt」
「アシッド大図鑑っていうのはどう!!!」
「くそだせえ!!!!!!!!」
全員の笑い声が、青空に浮かぶプロペラに吸い込まれていった。
俺達が死んで、いつかオバケになっても忘れられないように
俺達みたいな「ニンゲンの世界」で生きにくいオバケ達が救われるように
全てのオバケ達が笑って暮らせる、そんな「オバケヤシキ」を作ろう。
イヤフォンをつければ、言葉を読めば、目を閉じれば
いつでも行ける、天国みたいなオバケヤシキを。
本当に世界とノートはそっくりだ。
真っ白なページに、何を書いても良い。
物語をどう進めるかも、何を描くかも、自分次第だ。
真っ白なノートに
オバケヤシキへようこそ
と手招きされた気がしてノアが驚いて目をそらすと
目をそらした先では、空を見ていた筈のターニャが不敵にニヤニヤ笑っていた。
「ラップオバケっていうのは、どう?」
【オバケヤシキ】了
P.S.
最後にノアが好きなラッパーの曲を。
「世界はノートとそっくりだ」
respect & love.