2020年 12月8日

ぼくは、長年続けて来た

音楽活動用のインスタグラムを削除しました。

 

突然のことで驚かれた方も多いのではないかと思います。

それとも、「またやつの”そううつ”がはじまったな」

とお呆れの方も多いでしょうか?

 

ぼくはtwitterやinstagramで

みじかい文章を連投し、それらは

良くも悪くも、小さな反響をいただくことが多く

そこで殴り書き、もしくは書き捨てるように

思いを(これも良くも悪くも)投げ捨てて来ました。

 

つまり、こういったプライベートな思いについて

長文を書くことは避けて来たのです。

 

なぜ、こういったことに関して

ブログを書くことを避けて来たのかというと

そんな長文を書けるのならば

作品を作る方が良い、と思って来たからでした。

 

けれど今回は

自分にとっても少し大きな事だったので

(少し、なのに大きい、というのは変なことばですね)

重い腰をあげて、筆をとる事にしたというわけです。

 

いい加減、メンヘラやろうのヒステリックなきまぐれだと

周囲にばかにされるのにもウンザリしてきた所でしたしね。

 

さて、Instagramアカウントを

NOAMOJIの運営アカウント一本にした理由……

を話す前に

《天才》について少しお話させていただいて良いでしょうか?

 

皆さんは、《天才》と聞いて

どんなイメージを思い浮かべるでしょう?

 

人に思いつけない発想をする人でしょうか?

歴史に名を残したような偉人たちでしょうか?

一世を風靡したアーティストでしょうか?

 

ぼくがイメージする《天才》とは

[その人に与えられた、得意なこと] です。

つまり、アインシュタインやスティーブジョブスのみならず

各業界に、いえ、各部署に、いえ、各役割に

天才というものが存在する筈だ、というのがぼくのじろん、です。

 

そう。ぼくのじろん、でいけば

これを読んでいるあなたも、何かしらの天才である

ということになりますね。(びっくりしました?)

 

あなたが何の天才か、ということにかんしては

あとでゆっくり、ゆぶねにつかって考えてもらうとして

(ものごとをかんがえるのに、お風呂はさいてきの場所です)

今回はぼくの物語ですので、ぼくの天才について

お話をさせていただきたいと思います。

 

ぼくの天才について、お話するには

いぬの形をした古い型のタイムマシーンに

みなさんも、ぼくと一緒に乗り込むひつようがあります。

(ノアモジを読んでいないとわからないネタは

今はまだマイナーですが、タイムマシーンで未来にいけば

きっとポピュラーになっているはずです。

今回いくのは、ざんねんながら過去ですが!)

 

きちんといぬの毛につかまってくださいね。いきますよ!

 

ブウゥゥッゥーン!!!

 

さぁ、到着です。

ここは2003年。17年前の日本、神奈川県です。

しーっ。静かに。

あのベランダにいる男の子。わかりますか?

そうそう。坊主頭で煙草を吹かしてる。

彼が17年前、15さいの頃のぼくです。

 

え?

こどものくせに、煙草を吸ってて

眉毛もほそいし、ズボンからお尻が見えているって?

だれにでも、はんこうきというものがあるものですよ。

(いまのひとは『くろれきし』とよんだりもしますが)

 

しかし、あの少年はみためのわりに

意外とピュアなところも、もっていたりして

それが彼の《ゆめ》のぶぶんなのです。

 

そう!

みなさんがいっしょにみてきた、あの《ゆめ》です!

 

彼は2000年に、うまれてはじめて

いっぺんの詩を、チラシの裏に書きました。

彼は原稿(チラシ)を、すぐにびりびりにやぶってしまい

どんな詩だったのか、いまでは誰にもわからないのですが

彼はそれがすばらしい出来だったと、今でも自負しています。

 

彼がなぜ、すばらしい詩を書いた原稿を

びりびりにやぶり捨ててしまったのかというと

当時のゆいいつの読者であった彼のお姉さんに

(彼のお姉さんは、彼より本がすきでした)

「こんなのは詩じゃない」と笑われてしまったからでした。

 

ですが、彼は詩はやぶりすててしまっても

自分の才能をしんじる心までは、失っていませんでした。

なぜなら、彼のこころの中には

《紙の上に書いてみたい世界》が広がっていたからです。

 

それはせいしんあんていざいよりも

彼を安心させてくれる、《ゆめ》への地図でした。

 

そして彼は15さいの時に、ヒップホップという音楽とであいます。

ああ、ヒップホップというのは素晴らしい音楽です。

当時はメロディも歌のうまさも必要なく思え

(本当はそんなことはありません)

かっこいい詩を、かっこいい音にあわせて

ひたすら喋っているだけの、だれにでもできる音楽のようにきこえたのです。

 

彼は、さっそく、書き始めました。

ラップ、というものを。ようするに、音にあわせた、詩を、です。

ですが、最初のころは、彼のお姉さんと同じく

多くの人が彼の詩をばかにしました。

「才能がない」と言われたのは、彼が15さいから18さいの頃です。

 

彼はそれでも信じることをやめませんでした。

書き続けたのです。彼には、地図がありましたから。

 

夜中に書いては、失敗して、消してをくりかえし

なんと彼はパソコンを五台もなぐりこわしました。

(今かんがえると、おそろしいこどもですね)

 

そして「天才だ」と彼を褒めてくれる人が出て来たのが

たしか彼が21さいの頃。2009年だったと思います。

彼はそこから、2018年までの9年間で、更にいくつかの音楽を生み出します。

 

何百人かの人に名前も知ってもらい

彼のことばをすきだ、と言ってくれるひとびとも増えました。

2003年からかんがえると、てんもんがくてきすうじに思えるほどに!

 

さて、もういちどタイムスリップをして

今度は、2018年12月29日のしぶやのライブハウスへいきますよ!

いぬにしっかりとつかまって!

 

ブウゥゥッゥーン!!!

 

さぁ、つきましたよ!

どうですか? おおきなライブハウスが、まんいんでしょう?

これが彼の最後のステージを見に来たお客さんたちですよ。

本当はもっとおおくの人たちが

彼の最後のステージを見たいと思ってくれていたのです。

 

ああ、そうです。あれが彼、というよりぼくです。

二年前ですけどね。今より少しふとってて、疲れていますね。

 

あの頃のぼくは何を考えていたか? 気になりますか?

それはね、《自分には、才能がない》です。

ぼくは、このとき、自分の音楽の才能に、

すっかりぜつぼうしてしまったのです。

(そしてそれは今でもつづいています)

 

じつをいうとぼくは2014年ころから

自分ひとりで作品を生み出すちからを、うしなっていたのです。

かきたいものは、だれかのものまねでしかありませんでした。

だれかにあこがれて、だれかになりたがっていたのです。

そして、多くの曲のたいはんは、プロデューサーがつくったものなのです。

(応援してくれたひとに、こんなことをいうのはこころぐるしいですが)

(ぼくは素材でしかなかった、とじぶんではかんがえています)

 

ぼくは、かかなければいけない、というきょうはくかんねんに

背中をおされて、締め切りぎりぎりに書くという

だらけて、だらくしたせいかつをおくっていました。

(書きたい、というきもちは、ほとんど消えていました)

 

なので、ぼくは2014年ころから

じぶんですきな作品というものは、ひとつもありません。

(もちろん、クオリティの高いさくひんは多くあります。

プロデューサーもメンバーもじつにすばらしかったので!)

 

それは、だれのせいでもなく

じぶんが、がんばれていなかったからです。

じだらくなせいかつ、たばこにおかされたのど、

書くどりょくをしないひび、そのくせに売れたいという、じこけんじよく。

今おもいかえしても、ぼくはあのころのじぶんがきらいです。

 

けれど、がんばれなかった自分をあんまり責めるのも

すこしばかり、かわいそうかな、という気もするのです。

いまのぼくには、ぼくががんばれなかった理由がわかってしまうから。

 

がんばれなかった理由。

それは、ぼくには、ぜつぼうてきに、才能がなかったということです。

 

こう言うと、「せきにんてんかだ!」

「あまえだ!」「じぶんのどりょくぶそくじゃないか!」

とおしかりの声がきこえてきそうですが、おっしゃるとおりです。

まったくそのとおりなのです。

 

つまり

「せきにんてんかをしてあまえて、どりょくもなにもしない」

ということこそ

「さいのうがないという、なによりのしょうこ」なのです。

 

いまのぼくには、それがわかります。

なぜ、わかるのか。

 

さて、ここで話は《天才》の話題にもどります。

 

ぼくの《天才》は文字を書くことです。

まだ数字としてけっかはでていませんが

せつなてきな数字は、かならずしも才能の証明にはなりません。

(それはわれらがヴァン・ゴッホが、その人生をかけて証明してくれました)

 

ぼくは、12さいの頃に空想していた

書きたい世界を、いまでもありありとカラフルに

おもいえがくことができます。

それもいとも、かんたんに。

 

むずかしい、と筆がいっしゅんとまるときにも

そのヴィジョンをなくすことは、ありません。

 

ぼくはかきつづけることができます。

じぶんのかきたいものにむかって。

だれのてもかりずに!(これはすごく重要です)

 

それが、ぼくの《天才》が、文字を書くことであるしょうこだと

ぼくはこじんてきに、おもうのです。

 

ぼくは2018年までにいくつかの

メジャーアーティストたちに曲をかいてきました。

そして、じぶんのグループの曲も。

 

もちろんお金をいただくのですから、そのときは

とてもひっしに、いっしょうけんめい

なんどもかきなおしながら、かきました。

 

ですが、ぼくにはいまだに

すばらしい、と言われる曲と

そうでもない、と言われる曲の違いが

わからないのです。

 

最後のほうは

ほめられても、けなされても

ああ、そう。としかおもえなくなっていました。

 

ぼくには、なにが良い曲なのか

判断ができなかったのです。

 

ひとが良いというから良いのだろう。

ひとが悪いというから悪いのだろう。

 

そのていどの判断しか

ぼくはぼくの音楽にくだせなくなっていました。

 

つまり

なにが良いか、わからない。ということは

なにが作りたいか、わからない。ということです。

 

だから、おんがくをやめたとき、ぼくのこころは、すっと楽になりました。

(もちろん、ゆうきはいりましたけどね)

書けない自分とさよならをすることができたし

ひとをうらやむこともしなくなれたからです。

 

かきたいものをかけばいい。

そういう世界は久々で、ヴィジョンが戻ってきました。

ぼくはことばだけなら、だれのてもかりずに

じぶんのせかいのなかを、ゆうゆうとあるけるのです!

 

(よだんですが、ぼくはキャリアの最初から、

《ワードストア》という名前で活動していました。

《ミュージックストア》ではなく!

こたえはいつも目の前にあるのに、なかなかみえないですね)

 

ですが、音楽をやめたとはいえ

ぼくを応援してくれているひとたちはたくさんいますし

その人たちも、ぼくも、その人たちのきもちも

あつい日のかきごおりのように

あっというまに、消えてしまうわけではありません。

 

なので、ぼくはこの二年間というもの

ソロ曲を数曲きままにつくってみたり

誘われたらライブに出てみたり

音楽のときのアカウントでファンのひとと

メッセージをおくりあったり

昔のあいかたと曲を作ってみたり

インスタライブを無計画、むきどうにやってみたりと

(落ち込んだり、ときには楽しんだりしながら)

 

そういった形で

音楽をやっていた頃に応援してくれたひとたちと

おつきあいを続けてきました。

 

なんだか、にんげん、として

そうさや、ビジネスのえいきょうをうけていない、しぜんな形で

ファンの人たちとおつきあいしてみたくなったのです。

(音楽をしてた頃、リプライを返さないことは、こころぐるしいことでした)

(でもファンの人と、ともだちになることは、タブーでした)

 

そして二年が経ち

ぼくのこころは、いつのまにか

苦しいおもいで一杯になっていました。

 

《みんな、ぼくのことばがすきだというのに

なぜ、ノアモジは読んでくれないんだろう》

 

《みんな、ノアモジを読んでくれているだろうか?》

 

しょうじきなことをいうと

そんなおもいがいつもこころをよぎっていました。

 

でもぼくがそう匂わせると、優しいひとたちは

がんばって、一作か二作か、読んでくれます。

そしていっしょうけんめい、感想をくれました。

うれしかったです。そのせつは、ほんとうに、ありがとう。

でも次の週からは、また読んでもらえなくなりました。

 

ぼくは、「むりやりにでも読め!」と言いたいわけでもなく

「お前らが応援しないから、ぼくは売れないんだ!」

と言いたいわけでもありません。

そんなことは、ちかって、今もむかしも、かんがえていません。

 

ですが

「ぼくのことばが好き」とおっしゃっている方の大半が

ぼくの作品を読んでくださらないという、このじけんは

いったい、どういうトリックなのだろう?とかんがえていたのです。

ただ、たんじゅんに。

だって、しんじつはいつも、ひとつなのですから。

 

《ヒント1》

ぼくはずーっと歌詞をかいてきました。

歌詞には、ディレクターやプロデューサーの意向が

たくさん、たくさん、はいります。

(おしごとですから、クライアントの希望をかなえるのは、とうぜんですね)

 

《ヒント2》

そして、あの頃の

ぼくのことばには、音楽がついてきていました。

(はげしい音と、メロディ、リズム、時にはダンスも)

 

《このふたつから、導きださされる解は》

きっと今、ノアモジを読まないというせんたくをされている方々は

音楽がついていたり、ディレクターやプロデューサーと一緒につくった

ぼくのことばがすきな方々だったんだ

 

というのが、ぼくの出したこたえでした。

(ぼくは首にどくばりを刺されなくても、なんとかみちびきだせました。

にねんも年月がかかってしまいましたが!)

 

ひつようもないせんでんを、送られ続けるみなさんも

届くことのないてがみを、出し続けるぼくも

このままでは、どちらも、くるしい。

 

切れてしまったご縁を、せいりする必要があるとおもいました。

 

せんでんこうこくは、必要としている方のまえに出すのが

てがみは受け取りたいと思ってくれている方へ出すのが

なによりも、スムースでシンプルで、ただしい手法だと思います。

 

ぼくもじぶんにできることはしたいのですが

(いまはとくにコロナで、みんなが不安でしょうし)

ぼくにできることは、DMで悩み相談をしたり

ばかみたいな、何もかんがえていないインスタライブをしたり

ぼくがみんなときょりをちかづけて、みんなの心をほんろうすることでは

けっしてない、と、そう、おもいなおしたのです。

 

ぼくにできることは

いや、にんげん、みんながそうですが

そのひとにできることというのは

天からあたえられた才能をつかって

なにか素晴らしい、しごとをすることだとぼくは思います。

 

ぼくの《天才》は、文字を書くことです。

きっとDMよりも、深夜の電話やインスタライブよりも

おおくのことを、ノアモジは出来るだろうとかんがえなおしました。

もっとつよく、たのしいかがやき、ひかりになれると。

みんなを苦しませたり、きずつけたりせずに。

 

きずつけたり、かなしませたりして、ごめんなさい。

でも、ぼくはかみさまでもカリスマでもなく

ちょっとした(誰もが持っている)《天才》をもった

みんなとおなじ、ひとりのたんなる人間なので

どうか、この不始末を、ゆるしていただきたいとおもっています。

(それは「また好きになってほしい」ということではありません)

 

ぼくも応援してくれるきみたちのことを

とってもとってもすきなのです。ほんとうは。

(ぼくの感情表現はへたすぎて、つたわらないとおもいますが)

 

ざんねんですが

ぼくの作品に興味のない方とは、ここでおわかれです。

すごくかなしいですが、人生にこういうことは起きます。

たのしいじかんは過ぎ去り、さようならと手を振るとき。

さくらが散り、それぞれの人生へあゆんでいくとき。

 

しかし

なにかが終われば、何かがまたはじまります。

何かを失えば、またなにかを手に入れます。

ぼくはそうしんじています。

 

ぼくの音楽やキャラクターをあいしてくれていたひとたち

さようなら。

応援してくれてありがとう。

すきでいてくれて、ありがとう。

なんども困惑させて、ごめんなさい。

 

ファンと近づくなんて

ファンと個人的に話すなんて

ファンと仲良くなろうなんて

ファンに個人的な私情を見せるなんて

ばかげたことだ!

と音楽業界のひとびとはいうかもしれません。

もしかしたら、ファンのひとたちも。

これいじょう、げんめつさせないで!と。

 

でもぼくは、ためしもしないで

りかいしたふりをすることはできないのです。

 

ですが、もう、しません。

とまどわせてしまうし、げんめつさせてしまうとわかったから。

ぼくは、りっぱなにんげんじゃないんです。

すこしだけ、文字が書けるというだけ。

すこしだけ、詞や物語を書くのが好きというだけ。

ばかなひとりの、おとこです。

 

昔のなかまも、昔のファンのひとたちも

ほとんど、ぼくの作品を読んでくれていないというげんじつが

(読んでくれているひとはごめんなさい。ほんとうにありがとう)

かなしくって、さみしくって

 

ご縁が切れてしまうのが、ほんとうにつらくって

さいごにばかげた、わるあがきをしてしまいました。

切れてしまう縁には、ありがとうをいうことだけが

ぼくらのできる、ゆいいつのことだというのに。

 

ようちで、ばかで、みにくくて、ごめんなさい。

ぼくなりの誠意のつもりだったんですが、またしっぱいでした。

 

げんめつさせてしまいましたか?

そうですよね。

 

さぁ、じかんりょこうはおしまいです。

もういぬもつかれて、くたくたみたいですから。

今は2020年 12月9日 深夜2時30分。

ぼくは、Instagramのアカウントを削除した世界にもどってきました。

 

はじめて書く、ぼくのこの長いブログが

ノアモジを読まない人の目にもとまりますように。

もうその人たちには、ノアモジは届かなくってもいいから

この手紙だけは、とどきますように。

(なので、なるべく、わかりやすく書きました!)

 

そして、これからは

たくさん本を読む人たちと

それから、ノアモジを必要としてくれる人たちにむけて

しずかに、しゅくしゅくと、息をひそめて

(主役は作品で、ぼくはもう裏方さん、ですからね!)

書きつづけていきたいとおもいます。

 

書きたいお話は、僕の前に列をなしてならんでいるし

なにかを失えば、また何かを手にする。

ぼくはそうしんじていますから。

 

2020年12月9日 Instagramのアカウントを削除した

矢島靖教 より。

ぼくの音楽とキャラクターを愛してくれていた人たちへ。