前編はこちら

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胃袋の中でSUGAR FREEのやる気が粘膜に吸収され、私は見る見るうちにやる気が漲り家までひとっ飛び…となる筈だったのだが。

待てど暮らせどやる気は起きず、もう一度コンビニに戻って04876935号にやる気を飲んだけどやる気がでない、これは不良品じゃないかと伝えた。04876935号は首をかしげながら、チョトオマチクダサイと言って、レジのスカウターのような機械を私にかざした。

 

「アラア。オ客様、ヤルキゲージが0ネ」

04876935号はスカウターを覗きながら呆れ顔でこちらを見る。それは私のせいなのか。

「やる気ゲージ?」

「ソウ。ノムタイプノヤルキハ、ホンニンノヤルキヲ増幅スルモノ。1ヲ100ニハデキテモ、0カラ1ハムリ」

 

そんなことも知らないのか、とでも言いたげに04876935号は残念ダタネ、と商品棚整理に戻る。

取り残された私は、コンビニのドアが開いた時のピンポンパンポンという電子音楽に背中に蹴られながらとぼとぼと家路につく。宇宙の最先端技術ですら、私のやる気は出せないというのか。

 

やる気がでない為に深くなることすら出来ない絶望と連れ添って膨大な宇宙空間を家まで歩きながら、そもそも何故私はやる気が出ないのか、いつから出なくなったのかと考えていたら、半年前に家から出て行った恋人の顔を思い出した。

 

彼女は、食べ方と横顔の美しい人だった。ばかね、が口癖で、いつも私が冗談や書きたい小説の案などを話すと、ばかね、と小さな唇から柔らかな音と出して笑った。細くて、輪郭のぼやけた指先でばかな私のあごのラインをよくなぞった。いつも眠そうな猫を膝に乗せて、でも眠くなさそうに、背筋を伸ばしているのにふんわりとした雰囲気で、春も夏も秋も冬も、いつも春のひなたの中に座っていた。

 

別れ際、彼女は ばかね、と言って悲しそうに笑った。なんで、あなたが泣くの?と優しく私の顎のラインをその指でなぞった。彼女はこの宇宙の中で今もばかな私のことを覚えてくれているだろうか。それとも、私の事なんてもうとっくに忘れてしまっただろうか。

前はこうして彼女のことを考えてる時は、空が高すぎる、と思ったけれど今は私のいるところが空だ。それでも私はまだ、空が高すぎる、と思う。

 

― 空が高すぎて、戻れない所まで来てしまった。

 

他人が無責任に言う私や私の作品への心ない言葉も、安全圏から発せられる混乱を招くだけの「私の為を思ってのありがたいご忠告」も、本音を話してくれないと言われた事も、本音を話して嫌われたことも、彼女がいれば私にはなんでもなかった。世界中が私を嫌いでも、彼女だけは私を愛していてくれた。

他人になんと言われようと、彼女がばかね、と私を笑ってくれれば、私はそれだけで良かった。

私はばかだね、と漆黒の宇宙空間に呟いてみても、宇宙は何も返事をしてくれない。ただ無限に存在しているだけ。ずれてしまった小数点は元に戻るのだろうか。それとも小数点も、私と彼女のように永遠に変わってしまったまま、戻る事はないだろうか。

私達は、この広く暗い宇宙に放り出されたまま、もう二度とあの青い空を見る事は叶わないのだろうか。

 

気がつけば涙で滲んだ両目が、家のドアを捉えていた。

ドアノブを回して部屋に入ると、猫がにゃあと足下にすりよってくる。私を慰めてくれてるように。

すりきれた神経が昔に誰かに言われて傷ついた一言を壊れたテープのように何度も何度もリピートする。言った相手は忘れてるような、傷つけるつもりもなかったような、そんな一言を私は永遠に繰り返し繰り返し、振り返っている。

私は何か、決定的なことを間違っているのかな。ざらざらした手触りのブランケットに包まって、やる気はどこでなくしてしまったのかな、どこにあるのかなあと口ずさむ。猫が私の脇の下でポジションを確保する為に二転三転している。みんな、自分が落ち着く場所を探すのに必死なんだ。ああでもないこうでもないとやって、自分で見つけるしかないのだけど、私にはそのやる気がもうないんだ。

 

だからこうして落ち着かない気分のまま、古いブランケットに包まって折角買った食べ物も放り出して泣いてるんだ。人生は一度きりなのに。時間の足は早くて、私のことなんて置いてすぐにどこかへ行ってしまうのに。私は猫と広い宇宙の片隅で時間にも締め切りにも猫ビルにも彼女にも置いていかれて、昔言われた小言や後悔や深くなることすら出来ない絶望に囲まれて、ばかな自分を恨んでるしかない。くるしい。くるしいよ。私だって、前向きに生きたい。やる気を見つけたい。やる気を探す為のやる気を探す為のやる気を探す為のやる気を探す為のやる気を探す為の…

 

「パンパかパーン!」

 

急に暗かった部屋が七色に光った。

びっくりした猫が素っ頓狂な声を出してブランケットから逃げ出し、私はもうどうにでもなれと思いながらも、一応首を傾けて音のした方を見た。音がした窓の方には大きな円盤が浮かんでおり、その円盤の窓から大昔の漫才師のようなでかい蝶ネクタイをして派手な服を着た柴犬がこちらを満面の笑みでみていた。

 

「おめでとうございますワン!」

「…なんでしょうか」

「あんたはこの宇宙で一番、不幸でやる気がなく、可哀想な人と認定されましたワン!」

馬鹿馬鹿しい程の笑顔。いや柴犬は元々笑ってるような顔だから、これが常態なのだろうか…と思ったがやはり何度見ても満面の笑みだ。私は少し機嫌を損ねながら答える。

「…馬鹿にしてるんですか?」

「と、とんでもないワン!私は、宇宙一不幸でやる気がなく可哀想な存在にプレゼントをあげよう協会から参りました。丸 千津と申します」

「マルチーズ?いや、どこからどう見ても柴犬ですけど…」

「マルチーズじゃないワン!丸 千津です!丸さんとおよび下さいワン!」

「あぁ、じゃあ丸くん」

「丸さん!!!!」

「一体、何の御用ですか?」

「なんでそうかたくなにさん付けしないワン…まぁいいワン。可哀想なあんたの人生に素晴らしいプレゼントをあげますワン!」

「いりません」

「ふふふ。えぇ、えぇ、そうでしょうワン。皆さんそうして喜びますワン。信じられない!まさか私が?!と。でもそうなんです。あなたが選ばれたのd…え?!なに!?いらない?!」

芸人も驚きのノリツッコミからの三度見。ベタだ。やはりさっきの笑顔は笑顔だったらしい。今は戦慄するような愕然とした表情をしている。犬ってこんな顔するのか。

「はい。いりません」

「なんで?!!!」

「別に欲しいものありませんから」

「ええええええええ?!!!馬鹿なの?!!!!!」

「そうですね。私は、ばかですね」

「ばっ…重症ワンね…ばかでもなんでもいいから、兎に角、願いを言うワン!!!」

「はぁ…そうですねえ…願い…あ。じゃあ、小数点を、元に戻してください。コンビニまで行くのに、無重力は不便すぎる」

 

本当はコンビニだけではなく、永遠に青い空が見れなくなるのも嫌だったからなのだけれど、こんな見ず知らずのマルチーズ柴犬に良い歳をしてロマンチストだななぞと思われるのは癪なので、実用的なことだけを話しておいた。

柴犬は「お安い御用ワン!」と赤い舌をピロピロさせて胸を張って叫んだ後、明日をお楽しみに~と言いながらどこかに飛んでいった。私は、どうでもいいことだとまたブランケットに包まって世界の電源をオフにスイッチングした。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

猫のざらざらした舌が頬を撫でて、私は目を覚ました。

外から鳥の声がして、昨日柴犬が来ていた窓から犬の代わりに朝の日差しが差し込んでいる。

試しにドアを開けてみると、外はいつもの東京だった。空も高すぎて、真っ青だ。

遠くから編集者が走ってくる。「先生~!」と手を降りながら。

 

「原稿は出来てないよ」

「はぁはぁ…もう…しっかりしてくださいよう…」

と、急いで走ってきた編集者は肩で息をしながら私を睨む。

「それより宇宙、なおったんだねえ」

「話をそらさないでください!!!」

「いやいや、これで締め切りに完全包囲されてる状況から抜け出せたんだなと思ってね。猫ビルはどうなったの?」

私は青空を眺めながら、さりげなく編集者の持っていきたい話題から話をそらし続ける。

「勿論、治りましたよ。朝のニュースでは小数点が突然元に戻ったって言ってました」

「中々やるな、あの柴犬。しかし、本当に私が宇宙一不幸で可哀想だとは…」

満面の笑みの犬を思い出す。不思議な気持ちだ。良いんだか、悪いんだか。

「柴犬?可哀想?」

「ん、いや何、こちらの話だよ。しかしこれで一件落着というワケだね」

「いや、それが小数点、元に戻ったのは良いんですが、元に戻りすぎたみたいで」

「戻りすぎた?」

「はい。つまり、前は3.14159265…という形だったのが314159.265…になって、世界が宇宙になったわけですね。そして今は.314159265…となってしまったわけです」

「でも、見る限りなんともなさそうだけど」

「ええ、パンプキン博士も、特に大きな変化は無いだろうと言ってました」

「その…パンプキン博士?って人?大丈夫なの?」

「なにがですか?」

「名前が…ちょっとファンタジーすぎるな、と思って」

「あぁ、確かにダメなラッパーが小説もどきを書くのに苦し紛れに考えた、みたいな名前ですねえ」

「うるさいなぁ。ほっといてくれよ」

「え?」

「ゴホン。いや、何。こちらの話。でも本当に何も変化がないといいね」

「あっても大した変化ではないらしいですから、良いんじゃないですか。そんな心配よりも先生!先生は締め切りの心配をしてください!!!」

「はいはい、わかりました」

 

猫ではなくなったビルに帰ってく編集者の背中を見送ると、後ろで猫がにゃあと鳴く。そうだな、朝飯にするか、と呟いて、私は猫の皿に猫餌を、テーブルに昨日コンビニで買った塩カルビ弁当を乗せていると、また玄関のチャイムが鳴った。

 

はあい、と声を出して編集者が何か言い忘れたかな、と振り向くと、ドアががちゃと開いて、春の日差しの中に私のやる気が立っていた。

 

驚いて声も出せず、玄関を見つめる私に、彼女は

「ただいま、何故固まってるの?ばかね」と言って柔らかく笑った。

 

「またコンビニ?だめよ、身体に悪いから。何か作ってあげる」

 

と言って彼女は猫に挨拶をし、猫は幸福そうに彼女の細い足に身体をすり寄せる。

彼女の白いスカートがふわりと風に舞って、シャンプーの匂いが鼻孔をすり抜けた。

呆然とした私の鼓膜の奥で、さっきの編集者の声が反響している。

 

― あっても大した変化ではないらしいですから、良いんじゃないですか。

 

いや、編集くん。これは大した変化だ。

とんでもない変化だよ。

 

どうやらあの柴犬は確かに宇宙一不幸だった私に素晴らしいプレゼントをしてくれたみたいだ。

もしまた次に小数点が6個ずれた時にはもっと敬意を払ってきちんとさん付けしようじゃないか。

ドッグフードも買ってあげよう。なんなら04876935号の所へ行って破産寸前まで好きな犬用品を買ってあげても良い。よくぞ、よくぞ小数点を戻しすぎてくれた。

戻りすぎた小数点は過去を少しだけ歪ませて、その結果、世界は宇宙から世界に戻り、彼女は私の元へと戻ってきてくれた…という顛末らしい。

 

「何をぶつぶつ言ってるの?変な顔して。ご飯出来るまで座ってて」

 

彼女は私に優しく話しかける。あぁ、わかったと言いながら私は机に座る。

彼女の輪郭がキッチンの中でくっきりと浮かんで、私の心は春色の幸福で満たされていく。夢じゃないか?と自分にたずね、もう一人の自分が夢でも良いじゃないかと答える。更にもう一人の自分が夢なら醒めないように気をつけなくちゃと言い、近々世界中の小数点を釘付けしにいこうと全員一致で

決定する。

 

彼女が料理する心地良い音を聞きながら、私は引き出しから万年筆を取り出して、机の上にずっと出しっ放しだった真っ白の原稿にタイトルを書き込む。

 

「小数点と白紙の原稿」

 

編集くん、もう心配ない。この作品はきっと、すぐに書き終えるだろう。

もう私はどんなものにも、やる気をそがれたりしないことがわかってるからだ。

一行目はこんな感じで書き出そう。

 

― 人生は何をするかじゃない。誰といるかだ。そして、探し物は柴犬に探してもらうと良い。

 

窓から見えた真っ青な空は、今にも手が届きそうだった。

 

「小数点と白紙の原稿」 了

 

 

 

 

 

 

…と、言うオチにしようと思うんだけれど、どう?

と言う私に編集者はあきれ顔で「なんとも、まぁなんとも超ご都合主義の展開ですね」と答えた。

「小数点が戻りすぎて、過去が変わる?最早、なんでもアリじゃないですか、それ」と。

そうだよ、なんでもアリなんだ、これはミステリじゃないからねと私は答え、編集者は首を振る。

 

「大切なのは、やる気の欠乏や苦悩、絶望なんていつも些細なことが原因だ、ということが伝わることで、だから当たり前の日常を大切にしようというメッセージが読者に伝わる事じゃないか」

満面の笑みで(まるで宇宙船に乗った柴犬のように)そう言う私に

「この主人公は、恋人が戻ってこなかったらずっと締め切りから逃げて絶望し続けてるだけなんですか?」と編集者は更に訊ねる。

 

「そうだよ。人生は小数点がズレたり、戻りすぎたり、恋人に出て行かれたりなんて、些細なことが大事になって、やる気ゲージが0になったり、世界が宇宙に変わったり、絶望を希望に変えたりするんだ。明日はどうなるかわからない。だから前向きに生きよう、ってことだね」と私が答えると

「それは随分前向きなご意見ですね。まぁ結局全てフィクションですけど」と編集者は投げやりに言う。

 

私はそれを聞いて思わず微笑む。

左手の薬指につけた指輪を親指で撫でながら。

 

そう。今これを読んでるあなたの人生も、明日変わるかもしれない。

小数点はいつズレるか、わからないのだから。

 

「小数点と白紙の原稿」 (本当に)了