アルコール700mlの摂取に対して、排泄される愚痴の量は実に24分18秒。

 

これは今回の被験者のケースであって、勿論それぞれ多少の誤差はあるだろう。

そしてこれはアルコールと愚痴の関係性に関した論文…などでは、勿論ない。

ボクと愚痴の物語だ。当然、上記の被験者も、ボクだ。

 

このストレス現代社会に生きる僕達は常日頃から思っている本音というものにオブラートを100枚ほどかけ、その上から鉄製のハンマーで2000回ぶん殴り、なおかつ挽いてミンチにし、丸めて炒めて、デミグラスソースをかけてよく噛んでから飲み込んだりしている。

 

本来なら「このハゲ、自分を棚にあげて何をふんぞり返って言ってやがるボクがジョンゴッティだったらお前なんて今頃手下の撃つマシンガンでハチの巣だズバババババボクがジョンゴッティじゃないことを神に感謝するんだなクソボケ色キチガイハゲが!」とでも言いたい所を「はい、大変失礼致しました。ご忠告、誠にありがとうございます。以後、気をつけます」と笑顔で言っていたりする。

 

その結果、700mlのアルコールでボクの中のジョンゴッティは目を覚ますのだ。

その夜もご多分に漏れず、そうだった。

 

「大体さぁ、自分も遅刻してくる癖に人になんたらかんたらうるせーんだよあのハゲ課長!」

「あはは、”ハゲ課長”だって!ほんっと、言い方悪いからね、あの人」

「な。何様だよ!課長様か!そんなに偉いのか課長様はよぉ!!!」

「まぁ、私ら平社員よりは、偉いかもねえ?」

「月給いくらだ!ボーナスはいくら貰ってんだ!!!おぉコラァァ!」

 

駅前のチェーン店居酒屋で仲の良い同僚と安酒を飲んで、クダを巻く。

今夜は頑張って耐えたご褒美だ、と頼んだサイコロステーキは既に冷えて固くなっている。

これが人生なのか。こんなものが人生だというのか。

涙の雫がビールに落ちてビールの塩分が若干上昇していくのを眺めながら、ボクは虚無感と怒りに身体を震わせた。

 

「荒れてるねえ…」

「荒れてるさ!荒れてるに決まってる!」

「彼女にもフラれ、ハゲ課長にはイビられ…」

「彼女の話はするなぁぁぁ!!!うおおおおおおん!!!」

 

そう、何を隠そうこのボクは先週最愛の彼女にもフラれている。

フラれた理由は「帰ってきてもずっと仕事の愚痴ばっかりだから」だそうだ。

でも絶対他に男が出来たんだ。最近冷たかったし。昔はもっと話を聞いてくれたのに!

 

「何が悪いんだ!俺だって一生懸命働いて、家に帰って愚痴位聞いてくれても良いじゃないか!」

「まぁ、奥さんじゃないからねえ…彼女も彼女で仕事してるんでしょ?」

「じゃあ俺はどこで愚痴を吐けばいいって言うんだ!一生我慢するのか!」

「あはは~。まぁまぁ、だから、私が聞いてるじゃん」

「そ、れ、は、ありがとう!マ、ジ、で、ありがとう!しかしよぉ、TSUTAYAも返してないしよぉ」

「ウける!それは返そう!」

「今日持ってきてないのに、今日返却日だしよぉ…まだ見れてないし…」

 

こんな風に、25分頃からは愚痴は徐々にワケのわからない方向へとシフトチェンジしていき、最終的には若い人にキスをして芸能活動を自粛している芸能人のことについて熱弁していたりする。

 

「いや!おれはねえ!そんなころより、もっろ、しゃかいてひなころを、にゅーすでとりあげれほしいとおもうんよぉ、げいろうじんのふひょうじなんかよりぃ!!」

「…あ、すみません。お会計お願いします~」

 

同僚曰く、ボクのろれつがまわらなくなり、ゴシップと社会問題について論じ始めた頃が帰り時なのだそうだ。それ以上は永遠と同じ話を朝まで繰り返すだけだから、と呆れ顔で言っていた。

 

「なぁ~んら!ろいつもこいつもばかにしやがっれぇ~」

 

ステレオタイプな酔っぱらいが言いそうな台詞ベスト10、栄えある第一位に輝きそうなフレーズを口にしながら千鳥足でボクは家までの帰り道をふらふらと歩いていく。

同僚はさっさと(と言っても、終電までは付き合ってくれたのだが)帰ってしまい、ボクは飲み足りない気持ちと消化出来ない不満を胸に夜道に空いてる店を探すでもなく、探していた。

 

そんな時に、いつもの道に見慣れない看板を見つけた。

 

『あなたの不満、引き取ります。愚痴引き取り屋【グロニュ門】』

 

「あらたの…ふまん、ひきとりますぅ?じょーとーら!ひきとってもらおーじゃねえか!」

そう叫びながら、ボクは地下の【グロニュ門】へと続く階段をよろよろと降りていった。

 

グロニュ門の中は想像とは違い、明るく爽やかで、爽快なハーブの香りがしていて、その奥でふわふわパーマに首もとがゆるんだ長袖Tシャツを着た店の雰囲気に輪をかけて爽やかな優男がいらっしゃいませ、と微笑んでいる。

バーかと思って入ったボクは少し面食らいながらも、酔った勢いでカウンターの前の椅子にどかっと音を立てて座った。

 

「グロニュ門へようこそ、いらっしゃいました。こちらではお客様の”不満”や”愚痴”を引き取らせていただいております」

「さぁ~っそくひきとってもらおうらぁ!まずはジントニックぅ、そしておれの話を聞く準備ぃ~」

「お客様、申し訳ありません。私どもはお酒を提供するわけでも、お客様のお話を伺うわけでも御座いません。お客様の不満、愚痴を引き取らせていただくサービスを提供させていただいております」

「らからぁ~、ぐちをひきとるってんだからぁ、はなすんだろぉお」

「お客様、私どもは、お客様のお話ではなく、”不満を感じ、愚痴を生み出す心”を引き取らせていただいております」

「こころぉ~?」

「はい、こころ、で御座います。お引き取りさせていただいても、宜しいでしょうか?」

「ひきとれるってんならぁ、ひきとってみろぉ~」

「ありがとうございます。それでは、こちらの書類に必要事項をご記入いただいてもよろしいですか?」

 

優男がそう微笑んで言い、書類に氏名や住所を記入し、財布から2万円をカウンターに叩き付けたところでボクの記憶はとまっている。次、マブタをあけた時には、目の前には部屋の天井があった。

 

「ふわああ、よく寝…あ!たま、いてええええええぇ…飲み過ぎた…うわ!こんな時間だ!!!」

 

水を飲み、髪を整え、急いでスーツを着て駅に走る。ギリギリ、いつも乗る電車に乗れたボクは満員電車に揺られながら昨日のことを思い出す。なんか、グラニュ…塔?だっけ。愚痴とか不満とかを感じる心を引き取るとか、なんとか…なんだったんだ?夢かな?それにしてはリアルだったような…。

 

会社に着いて、同僚に「昨日はありがとな」と言うと同僚は笑いながら肩をすくめて、「TSUTAYA、返した?」と聞いてきた。あぁ、そうだな。勿論、返してないよ。

延滞料金確定となっても、不思議とテンションも下がらず、ボクは鼻歌を歌いながら席についた。

 

「時間ギリギリに出勤してきて随分ゴキゲンだな、ヤマグチ? 」

 

そこに颯爽とハゲ課長の登場だ。ハゲは意地悪なめつきでボクを見下ろしている。

 

「おはようございます、課長」

「昨日頼んでおいた書類は出来たのか?」

「昨夜の夜8時頃に頼まれた書類でしたら、まだ取りかかっておりません」

「頼んだ事すら出来ないんだな、お前は」

「残業は悪!ですから。それでなくとも就業時間は過ぎてましたので」

「持ち帰ってやれば良かろう」

「はい、しかし昨夜は友人と飲む約束をしておりましたので」

「ほーお!仕事よりもヤマグチ君は酒を優先するわけだ!」

「仕事か酒か、というよりも、約束は約束ですので…」

「もう良い!!!!それ以上、無駄口を叩くな!!!!!」

「今からで宜しければ、書類、取りかかろうと思いますが…」

「すぐにやれ!!!!」

 

課長は怒鳴りながら、がっしゃあんと大きな音を立てて自分の席に座った。

横を向くと同僚が驚いた顔でボクを見つめながら、小声で話しかけてきた。

 

「…よくあんなこと、言えたね」

「んー、でも事実だから…」

「今日も飲みかな?愚痴大会…」

「いや、それが、別にムカついてないから…愚痴る事ないかも」

 

え!!!と大きな声を立てた同僚を、課長が睨む。

何かね?と聞かれ、同僚は気まずそうになんでもありません、と静かに姿勢を治す。

 

「どうしたの?」

「どうって?」

「いや、TSUTAYAも返してない上、課長にイビられて…」

「イビられて?」

「普段なら愚痴の嵐、今夜よろしく頼むな、って…」

「な。でも、不思議と全然ムカつかないんだよなぁ…」

 

結局、その日は一日課長に目の敵にされてイジメられたんだけど…不思議とボクの心は風のない海のように凪いでいて、波立つ事は結局一度もなかった。終止驚いた顔の同僚には「熱でもあるんじゃないの?」と不審がられ、いつもは知らん顔をしている職場の他の同僚でさえ同情した顔で給湯室で「大丈夫?」と聞いてくる程の課長の責めにさえボクは平気で対応していた。

 

その夜、ボクは一度家に帰り、鼻歌を歌いながらTSUTAYAで見てないDVDの延滞料金を支払い、見てないからもう一度借り直して、ポップコーンを買い、家に帰った。

借り直したDVDは予想に反してあまり良い出来の映画ではなかったが、まぁその中にも学ぶべきことや名言などはあったし、ポップコーンが美味しかったから良いだろう、と上機嫌で布団に潜り込んだ。…一度も溜め息をつかなかった日は久々で、なんだかとても良い夢が見れそうだ。

 

そこから一週間、ボクは一度も怒ることも、腹を立てる事もなかった。

大雨が降って溜まった水溜りの上を車が走りスーツに泥水をひっかけられた日も、郵便局で列に並んでいる時に化粧の濃い中年女性に列を横入りされた挙げ句につま先をヒールで踏まれた日も、実家の母親から「結婚はまだか」「孫の顔を見せてほしい」「もう30歳だろう」と電話で責め立てられた日も、そしてそのどの日も課長はキツい言い方で挨拶も感謝の言葉も無くひたすらストイックなスポーツ監督かの如くボクを叱責し続けていたというにも関わらず、ボクは一度も愚痴や不満を感じる事はなかった。

 

続く