こんにちは晴れ 昨日投票の埼玉県知事選挙は、現職の上田氏が当選しましたね。氏が自ら定めた『多選自粛条例』を破って出馬したことに対する批判が出ていましたが、それより問題なのは、前回よりマシとはいえ低すぎる投票率(-_-) まあ、この2週間ずっと県内にいても、たまに街宣車に出くわすくらいで、選挙モードがほとんど感じられなかったのですから、仕方ない面もあるのですが、民主主義と平和はタダではやってこないということを、県民はもっと自覚すべきでしょう。

さて、以前に予告したとおり、『高沼(こうぬま)用水路』を探索してきました。

高沼(『鴻沼』とも表記)とは、現在のさいたま市中央区(旧与野市)にあった沼のことで、その水は江戸時代の初期から中期にかけて、周辺の田畑の灌漑(かんがい)に用いられていました。

ところが、1728年に『見沼代用水路』がつくられると、高沼を廃止して、その流域にも水を分配することになり、西側の段丘を刻むように用水路が築かれます。その手法は、

※既存の灌漑用溜池(ためいけ)を廃止(干拓)して耕地面積を増やし、代わりの水源として用水路を整備。
※その用水路は途中で分岐し、低地に開かれた田畑を『はさみ撃ち』にするとともに、それぞれ段丘の縁に沿って設け、効率よく給水できるようにした。
※低地の中央を流れる河川を改修し、排水路として活用。

など、見沼の新田開発と同様なものが貫かれており、さながら『ミニ見沼』といった雰囲気を漂わせています。


右上矢印見沼代用水路・西縁(にしべり)からの取入口(再掲写真)


右上矢印すぐに段丘上に築かれた住宅街に入り、細いコンクリートの水路となって進んでいきます。両岸は遊歩道で、ヒマワリやアサガオの花が咲いていましたヒマワリ


右上矢印産業道路を渡ると、少し幅が広がりますが、まもなく暗渠となり、


右上矢印正面に『さいたま新都心』のビルがそびえますビル


右上矢印かつて使われていた水門でしょうか?


右上矢印用水路は、旧中山道とJRの線路の間で一瞬顔をのぞかせた後、 再び暗渠になって、さいたま新都心の敷地を横切ります。


右上矢印新都心西側の出口。新しい建物が建設中


右上矢印国道17号の西側に来ました。水際に草が生い茂っていますが、工場とマンション群の間を縫うように流れており、農業用水路としての面影はありません(>_<)


右上矢印さらに進んで、『たつみ通り』と交わる付近。このあたりから、かつて高沼のあった低湿地帯に入ります。見えづらいですが、左から流れてきた用水路はここで二手に分岐し、右の道路をくぐっていくのが『東縁』、手前に流れてくるのが『西縁』です。

長くなるので、次の記事で東縁、その次に西縁を紹介していくことにします。

PS.新しく絵文字が追加されましたが、既存の絵文字とデザインの互換性に乏しいのか、混ぜて使うと少し違和感がありますね^_^;