椿姫には慣用的にカットされてきた箇所が4か所ある。ヴィオレッタの1幕アリア「ああそはかの人か」の2番(リコルディのボーカルスコアP67)と3幕アリア「さようなら過ぎし日」の2番(同P215)、それにアルフレードの2幕アリアの後のカバレッタの繰り返し(同P86)とジェルモンの2幕アリアの後のカバレッタの繰り返し(同P132)だ。このうちカバレッタの繰り返し2か所は正直なところ冗長で、ショルティやムーティのような原典版志向の強い指揮者が振らない限り今でも通常はカットする。

 

 しかしヴィオレッタの3幕アリアの2番は90年代以降、1幕アリアの2番も2000年代以降歌う歌手が増えており、特に若い世代の歌手ほどその傾向が強いと7年前の2013年にこのブログで指摘した。ところが最近になって、2013年のスカラ座では1幕アリアの2番も歌っていたダムラウが、2014年のパリと2018年のメットではここを歌っていないことが分かったため7年ぶりに調査を追加してみた。結果は何と、2011年のプロヴァンス音楽祭の公演(「椿姫ができるまで」というメイキング映画でも有名な公演)で1幕アリアの2番を歌っていたデセイまでもが2012年のメットでは2番を歌っていないことが判明!! デセイとダムラウという2大ヴィオレッタが揃って一度は歌ってみた2番をその後止めてしまったことは注目に値する。

 

 もっと若い世代のペレチャッコ、レベカ、ヨンチェヴアも1幕アリアは2番を歌っていない。ヨンチェヴァはメットのデッカーの演出が2幕と3幕を休憩無しで続けて演奏するため体力を温存したのかもしれないが(ザルツブルグとメットのデッカー演出ではいずれの歌手も1幕アリアの2番をカットしている)。近年ヴィオレッタを各地で歌っているヤホはここを歌っていないこと公演が多いが、2017年のテアトロコロンのみ1幕アリアの2番を歌っており、この数年の公演でここを歌っていることが確認できたのはこの公演のみだった。


 ヤホの2017年の公演はYouTube配信のみ、ダムラウの2013年の公演はRayPlayでしか見られないので結局のところ、1幕アリアの2番がDVDで聞けるのは今のところ1992年のファブリチース盤、1994年のゲオルギュー盤、2004年のチオフィ盤、2005年のメイ盤、2005年のアムセレム盤、2006年のデヴィーア盤(廃盤)、2011年のデセイ盤の6つだけということになりそうだ。しかもヤホ、ゲオルギュー、ダムラウ、メイ、デセイは他の公演では2番を省略しており、ここを複数回歌っていることが確認できたのは2006年と2009年のデヴィーアのみ。デヴィーアはここを必ず歌う主義だったものと思われる。素晴らしい!
 

(2021年追記)

パリでストーン演出の化粧品モデル風ヴィオレッタを歌ったイェンデはその後2021年春にウィーンでも同じストーン演出の椿姫を歌ったが(無観客ライブ)、この時は1幕アリアの2番は歌っていなかった。パリでも多分同様だったと推測される。しかし2021年7月にネットで配信されたテアトロマッシモでの公演では2番を歌っているので大変驚いた。

コトルバス(1939~) 1幕× 3幕×(メット1981年 MetonDermand)
グルベローヴァ(1946~)1幕× 3幕○(フェニーチェ座1992年 DVD)

デヴィーア(1948~)1幕〇 3幕〇(東京2006年 DVD、マチェラータ2009年 YouTube)
マクローリン(1954~) 1幕× 3幕○(グラインドボーン1988年 LD,DVD)
アリベルティ(1957~) 1幕× 3幕×(東京1988年 CD、テレビ放送)

ファブリチーニ(1959~) 1幕〇 3幕〇(スカラ座1992年 LD)
フレミング(1959~)  1幕× 3幕○(2007年 YouTube、ロイヤルオペラ2009年DVD) 
ゲオルギュー(1965~) 1幕○ 3幕○(ロイヤルオペラ1994年 DVD)

ゲオルギュー(1965~) 1幕× 3幕〇(スカラ座2007年 DVD)
テオドッシュウ(1965~) 1幕× 3幕×(フェニーチェ歌劇場2001年 DVD)
ヴァシレーヴァ(1965~) 1幕× 3幕×(パルマ・レッジョ劇場2007年 Blu-ray)
デセイ(1965~) 1幕〇 3幕〇(プロヴァンス音楽祭2011年 DVD)
デセイ(1965~) 1幕× 3幕〇(メット2012年 MetOnDemand)

メイ(1967~)1幕× 3幕×(東京2005年 テレビ放送)
メイ(1967~) 1幕○ 3幕○(チューリヒ2005年 DVD)
チオフィ(1967~) 1幕○ 3幕○(フェニーチェ座2004年 DVD)
アムセレム(1970~)1幕〇 3幕〇(マドリッドレアル2005年 DVD)

ネトレプコ(1971~) 1幕× 3幕○(ザルツブルグ2005年 DVD)
ダムラウ(1971~) 1幕○ 3幕○(スカラ座2013年 RayPlayの配信)
ダムラウ(1971~) 1幕× 3幕○(パリ2014年 Blu-ray、メット2018年 MetOnDemand)
ヤホ(1974~) 1幕× 3幕〇 (ヴェローナ2011年 Blu-ray、マドリッドレアル2015年 YouTube、オランジュ2016年 Youtube、ロイヤルオペラ2019年 Blu-ray、マルセイユ2019年 YouTube)

ヤホ(1974~) 1幕〇 3幕〇 (テアトロコロン2017年 YouTube)

ペレチャッコ(1980~) 1幕× 3幕〇(バーデンバーデン2015年 Blu-lay)
ペレチャッコ(1980~) 1幕× 3幕×(ウィーン2017年 YouTube)
レベカ(1980~) 1幕× 3幕〇(ハンブルク2016年 DVD)
レベカ(1980~) 1幕× 3幕×(マドリッドレアル2020年 YouTube)
ヨンチェヴァ(1981~) 1幕× 3幕〇(メット2017年 MetOnDemand)
イェンデ(1985~) 1幕× 3幕〇(ウィーン2021年 ネット配信)

イェンデ(1985~) 1幕〇 3幕〇(テアトロマッシモ2021年 YouTube)

 私が映像で確認できた範囲で1幕アリアの2番を最初に舞台で歌ったのは1992年のファブリチーニの演奏(レーザーディスクで出ていたスカラ座の30年ぶりの演奏)だ。これは原典版志向のムーティが指揮したためと思われる。(アリアに続く「花から花へ」の終わりも楽譜通り下に下げて歌っているかと思いきや、ここはなぜかカラス風に上に上げるアレンジを採用している)。ファブリチーニとムーティは1995年のスカラ座の来日公演でもこの曲を演奏しているので恐らく2番も同じように歌っただろう。ファブリチーニは翌1996年に新日本フィルの定期公演でも来日したようだが、その時はどうだったのだろう?
 

 1994年のゲオルギューと2009年のフレミング、2019年のヤホはロイヤルオペラのエア演出の同一プロダクションだが、ゲオルギューだけが1幕の2番を歌っている。これは指揮のショルティが2幕の2つのカバレッタを含めて完全全曲版で演奏したためと考えられる。ゲオルギューも2007年のスカラ座(マゼール指揮)では1幕の2番は歌っていない。2005年のザルツブルグのネトレプコとメットの2012年のデセイ、2017年のヨンチェヴァもデッカー演出の同一プロダクションだが、こちらはいずれも1幕アリアの2番をカットしている。

 

 前回調査した2013年の時点では2000年以降1幕アリアも3幕アリアも2番を歌う歌手が徐々に増えてきたことが判明したが、今回は1幕アリアについては2010年代は2番を歌わない歌手も少なくないということが言えそうだ。1幕アリアは次に「花から花へ」があるので2番をカットするのは体力をセーブするためだと考えられるが、2番に聞きなれるとすぐに「花から花へ」に行ってしまうと、「あれっ、もう次に行っちゃうの?」という感じはする。

 3幕アリアの方は90年代以降2番も歌うのがほぼ定着してきたが、それでもペレチャッコやレベカなど若い歌手が2番を歌っていない公演もあることがYouTubeで分かった。演出の都合か? この部分はトラビアータという原題の元になった歌詞なのでカットしないで歌ってほしい。

 1980年以前の演奏はスタジオ録音も含めてまず間違いなく1幕も3幕も2番をカットしている。1幕と3幕アリアの2番を録音したのは以前このブログでも紹介した1980年のムーティの完全全曲盤(主演はスコット、クラウス、ブルゾン)が最初だと思う(この演奏は「花から花へ」の終わりも楽譜通り下に下げている)。このためカットの有無だけで演奏の良しあしを判断する訳ではないが、これからの演奏は歌ってほしい。

ヴィオレッタの1幕アリアと3幕アリアの歌詞と対訳は以下の通り。
ボーカルスコアをお持ちでない場合は下記のIMSLPを参照されたい。
http://conquest.imslp.info/files/imglnks/usimg/5/57/IMSLP392069-PMLP16223-Traviata1868ric.pdf

ヴィオレッタの1幕アリア「ああそはかの人か」
1番
Ah, fors'è lui che l'anima
Solinga ne' tumulti
Godea sovente pingere
De' suoi colori occulti!
Lui che modesto e vigile
All'egre soglie ascese,
E nuova febbre accese,
Destandomi all'amor.
A quell'amor ch'è palpito
Dell'universo intero,
Misterioso, altero,
Croce e delizia al cor.
ああ、きっと彼だったのよ、
喧騒の中でも孤独な私の魂が、
神秘的な絵の具で
思い描いていたのは!
彼は慎み深い態度で
病める私を見舞ってくれて、
新たな情熱を燃やし、
私を愛に目覚めさせたんだわ。
その愛はときめき、
全宇宙の鼓動、
神秘的にして気高く、
心に苦しみと喜びをもたらす。

2番
A me fanciulla, un candido
E trepido desire
Questi effigiò dolcissimo
Signor dell'avvenire,
Quando ne' cieli il raggio
Di sua beltà vedea,
E tutta me pascea
Di quel divino error.
Sentìa che amore è palpito
Dell'universo intero,
Misterioso, altero,
Croce e delizia al cor!
無垢な娘だった私に、
不安な望みを
描いてくれたの、とても優しい
将来のご主人様は。
空にこの人の美しさが放つ
光を見たとき、
私の全てはあの神聖な
過ちでいっぱいでした。
私は感じていたのです、愛こそが
全宇宙の鼓動であり、
神秘的にして気高く、
心に苦しみと喜びをもたらすと!


ヴィオレッタの3幕アリア「さようなら過ぎし日」
1番
Addio, del passato bei sogni ridenti,
Le rose del volto già son pallenti;
L'amore d'Alfredo pur esso mi manca,
Conforto, sostegno dell'anima stanca
Ah, della traviata sorridi al desio;
A lei, deh, perdona; tu accoglila, o Dio,
Or tutto finì.
さようなら、過去の楽しく美しい夢よ、
顔のバラも蒼ざめてしまった、
アルフレードの愛もない、
それだけが慰めであり、支えだったのに、
ああ!道を誤った女の願いを聞いてください。
どうかお許しください、神よ、御許にお迎えください。
ああ、全て終わった。

2番
Le gioie, i dolori tra poco avran fine,
La tomba ai mortali di tutto è confine!
Non lagrima o fiore avrà la mia fossa,
Non croce col nome che copra quest'ossa!
Ah, della traviata sorridi al desio;
A lei, deh, perdona; tu accoglila, o Dio.
Or tutto finì!
喜びも悲しみも、もうすぐ終わりをむかえる、
お墓は、全ての者にとって終末なのです!
私のお墓には、涙も花もないでしょう、
私の上には、名を刻んだ十字架もないでしょう!
ああ!道を誤った女の願いを聞いてください。
どうかお許しください、神よ、御許にお迎えください。
ああ、全て終わった