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 リーザ・デラ・カーザ(S アラベラ)
 アンネリーゼ・ローテンベルガー(S ズデンカ)
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br マンドリーカ)
 オットー・エーデルマン(Bs ヴァルトナー伯爵)
 イーラ・マラニウク(Ms アデライーデ)、他
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ウィーン国立歌劇場合唱団
 ヨゼフ・カイルベルト(指揮)
 録音:1958年7月29日 ザルツブルグ音楽祭
 (orfeo C651053D) 

(アラベラの対訳はオペラ対訳プロジェクト参照)
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/621.html

 音楽祭の時期、人気歌手は掛け持ち出演で忙しい。シュバルツコプフは1960年のザルツブルグ音楽祭でばらの騎士(この年は1回のみ)以外にドン・ジョバンニにも出演していたが、デラ・カーザはばらの騎士(5回)とフィガロの結婚、それにミュンヘンでアラベラとカプリッチョに出演するという人気ぶりだ。ミュンヘンのアラベラにはローテンベルガーも出演している。フィッシャー=ディースカウもザルツブルグのフィガロの結婚とミュンヘンのアラベラを掛け持ちしている。

 ルドルフ・ハルトマンは1946年のカプリッチョの初演でも演出を務めた作曲者お墨付きの演出家だ。1951年に再開されたバイロイト音楽祭ではヴィーラント・ワーグナーが唯一外部から招聘した演出家であり、マイスタージンガーを演出した(指揮はカラヤン)。ヴィーラントは自分が演出したパルジファルと指輪が不評だった場合に備え、音楽祭を失敗させないための保険としてマイスタージンガーだけはベテランに託したと伝えられる。ハルトマンは翌1952年にはミュンヘンでケンペが音楽監督だった時代にデラ・カーザ主演のアラベラを演出した(これは翌年のロンドン公演の録音が最近CD化されている)。

 ハルトマンのアラベラはザルツブルグ音楽祭でもでは1958年にカイルベルト指揮、デラ・カーザ、ローテンベルガー、エーデルマン、F=Dのキャストで上演された。このプロダクションはやはりカイルベルト指揮、ほぼ同一キャスト(F=Dを除く)で翌年4月にウイーン国立歌劇場でも上演されレパートリーに組み入れられた。

 カラヤンの1960年のばらの騎士と演出、オーケストラ、主役3人が共通している。1952年のスカラ座のばらの騎士は恐らくカラヤン自身の演出なので(要確認)、カラヤンはこの1958年のアラベラの成功を目にしてハルトマン演出のばらの騎士をザルツブルグで上演することを思い立ったのではないだろうか。ばらの騎士とアラベラが姉妹作品であるのと同じく、ハルトマンの1958年のアラベラと1960年のばらの騎士は姉妹なのだ。

 カイルベルトはカラヤンと同年の1908年生まれなのでカラヤン同様今年が生誕100周年だ。カラヤンとの関係がどのようなものであったか私は知らないが、カラヤンがザルツブルグとウイーンで強大な権力を振るっていた時期に、ザルツブルグ音楽祭でまず上演した作品をウイーンで再演しレパートリーに組み込むというカラヤン流のプロダクションを実現していることから関係は悪くはなかったのではないかと予想される。カラヤンは結局ザルツブルグでもウイーンでもアラベラを振らなかった。

 カイルベルトは1959年にバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任したのでミュンヘンのアラベラも振ることになった。1960年の夏にミュンヘンで上演されたアラベラはエーデルマン以外の主役3人は1958年のザルツブルグ音楽祭と同じだ。この際ZDFが放送用の録画をしている。ほんの一部がF=Dの2枚組DVDに収められているが、2幕の有名なデュエットすら入っていないので大変がっかりした。

 1960年とほぼ同一キャストの1963年のライブ録音をDGがCD化しているが、カイルベルトもデラ・カーザも表情が濃くなりすぎている。こぶしが利きすぎていていただけない。1953年のケンペ盤は他のキャストがやや魅力に欠け、1957年のデッカのスタジオ録音はショルティの指揮がセカセカしている。デラ・カーザの最良のアラベラはこのorfeo盤(と1960年の映像)だろう。

 1947年にズデンカ役でザルツブルグ音楽祭にデビューし、作曲者自身から将来のアラベラを約束されたデラ・カーザにとって、アラベラ役での凱旋は規定路線とも言えるものだろう。モノラルではあるがキャストに恵まれた公演の記録が残っていて良かった。

 それにしてもばらの騎士とフィガロの結婚とアラベラとカプリッチョにほぼ同時に出演するというのはすごい人気(とスタミナ)だ。デラ・カーザの評価はドイツ語圏以外では不当に低いように思うが、シュバルツコプフに並ぶ、あるいはそれ以上の実力者だったことは間違いないだろう。大きな違いはシュバルツコプフは夫のウオルター・レッグが彼女のレコードを大量に制作して世界中で販売したという点だ。そのシュバルツコプフも結局アラベラだけは舞台で歌ったことはなく、ハイライトの録音が残されているに過ぎない。

 実は私は1960年のミュンヘンのアラベラの映像をR.シュトラウス協会の例会で全曲見せてもらったことがある。モノクロ・モノラルだがしっかりした品質で大変楽しめた。デラ・カーザもローテンベルガーも声もさることながら女優のような美しさで忘れられない。ぜひ全曲をDVD化してほしい。ザルツブルグ音楽祭のばらの騎士もデラ・カーザ主演の放送用ハイライト映像が存在するらしい。見てみたいものだ。

(追記)
 このCDには余白に翌日の「4つの最後の歌」も収めてられている(指揮はベーム)。1953年の有名なデッカの録音も素晴らしいが、より落ち着いた深みを感じさせる演奏だ。曲順が以下のようになっており、初演時の曲順(=1953年盤の曲順)である3/2/1/4とも出版譜の曲順1/2/3/4とも異なる独自の配列となっているのが興味深い。

3. 眠りにつこうとして Beim Schlafengehen
1. 春 Fr醇・ling
2. 九月 September
4. 夕映えに Im Abendrot

デラ・カーザは1970年に来日してこの曲を歌ったことがあるそうで、その時も3/1/2/4の曲順だったようだ。この公演を聴かれた方(うらやましい!)のブログを見つけた。

http://numabe.exblog.jp/5633913/
http://numabe.exblog.jp/5639427/
http://numabe.exblog.jp/5664003/