「行く」と「行う」は、まだ送り仮名で判断できますが、「行った(いった)」と「行った(おこなった)」に関しては前の文章を見ないと判断できないので、そろそろどちらかの漢字を変えてほしいと思っている仲摩です。
#ニホンゴッテムズカシイネ
どうも。
今回は「愛情が憎しみに変わるとき」について書いていきたい思います。
昨日の夜にゲリラインスタライブ を行いました。
ここ最近は、日曜の夜のインスタライブ が恒例化してきましたね。
#インスタライブ は突然に
何かテーマを決めて配信を開始したわけじゃなかったのですが、話の流れからSNSで人のことを叩く人の心理はどうなっているのかということについて討論が始まりました。
僕は選手歴の方が長いので、昨日の討論での立ち位置は、どちらかといえば選手側に寄った意見になりがちだったとは思います。
ですが、成績が悪いからといってその選手の人格まで否定するのにはずっと疑問がありました。
昨年もSNSでの発言に関して、メディアで大きく取り上げられました。
スポーツ選手や有名人など、人前に出る職業の人にはそれなりのメリットもあるので、有名税として多少のことは我慢しないといけない部分もあります。
ですが、何か問題を起こした人や成績不振のチームまたは選手に対して汚い言葉で罵っていいという文化は間違っていると僕は思います。
#あくまで自論です
#考え方は人それぞれ
「必死に応援したけど負けてしまった。悔しい!!」と思う感情は応援していれば誰にでも生まれる感情ですが、その感情が怒りに変わり憎しみに変わり、狂気的に変貌していくのでしょう。
こういうことって恋愛でもあるパターンですよね。
「こんなに好きなのにどうして理解してくれないんだ。」→「そんなことならいっそのこと…」→「グサッ!!」
「好き」という感情が一線を超え、愛情から憎しみに変わるやつです。
#ドラマの見過ぎ
ここまではオーバーですが、そう考えれば「スポーツの応援」と「恋愛」も似たようなものを感じます。
好きになった分だけ見返りが欲しくなっちゃうし、気になる存在には意地悪したくなっちゃう。
考えているうちにだんだんとSNSで人のことを叩く人の心理が分かってきたような気がします。
#恋愛に置き換えると思い当たる節が…
スポーツを例に挙げて人のことを叩く人の心理を分析してみると、
- 自分がこんなに応援しているのだから、相手からも「勝利」という見返りが欲しくなる
- その見返りが自分が応援している量に比べて少ないと、物足りなくなって徐々に怒りに変わる
- その怒りが憎しみになり相手に対して攻撃的になる
- SNSでの攻撃も繰り返していると、投稿を重ねるごとに麻痺してきて、より暴力的な言葉遣いになる
- 1.〜4.の繰り返し
こんなところですかね。
気持ちは分からなくもないですが、かなり自分本位な考え方になっています。
#これじゃモテない
誰でも気軽に投稿できるようになった今だからこそ、SNSを吐け口にするのではなく、もっと有効な使い方ができたらと思います。
少し話は変わりますが、昨日のインスタライブ でジョン(ジョバンニの方ね!)がコメントしてましたが、小さい頃国籍が違うということで周りから差別を受けていた時期があったみたいです。
子どもが親から暴力を受けて育つと、その子が大きくなった時、その子も自分の子どもに同じように暴力を振るうようになるという話を聞いたことがあります。
ですがジョンは、自分が傷ついた経験があるからといって、同じように大人になった時に他人を傷つけるのではなく、傷ついた経験があるからこそ周りの人たちに優しくできる人間になっています。
こういう人間に育ったのは、生まれ持った人間性の素晴らしさということももちろんありますが、家族の愛情や周りにいる友達に恵まれているんだろうなということがジョンを見ていて伝わってきました。
#それもこれもジョンの人間性あってこそ
#褒めすぎた
#ジョンのお腹はワンパック
無駄な経験はない。
失敗したことや嫌な過去を悪い記憶として残しておくだけじゃなくて、その経験を少しでも自分の糧にできるように今日という日を精一杯生きていきたいと改めて思えるインスタライブ でした。
それではこの辺で。
今回もお時間をいただきありがとうございまーす。