夜ご飯をがっつり食べたのに「年越しそば」という日本の風習に踊らせれ、夜食でも年越しそばをきっちり食べきった仲摩です。

何かにつけて口に食べ物を放り込んでる年末年始。

#あとの祭り

 

 

(フォームの綺麗さに自分でも惚れ惚れした)

 

 

 

どうも。

 

 

数年前からSNSは更新していましたが、緊急事態宣言をきっかけに、ここ数ヶ月でSNSへの投稿も日課のようになってきました。(荒らして申し訳ない!)

 

 

日課になってからは、毎日何かブログのネタになるものを探しているし、寝る前には「明日何について書こうかな〜」って考えるようになりました。

#ブログ脳に変化してきた

 

 

ネタ(更新する内容)があるときはいいのですが、毎日新しい情報をインプットするのも大変で、書く内容が見つからないときはひたすらPCとにらめっこしてます。

 

 

書き出すと意外と最後まで書けるものなのですが、書き出せないと本当に何も思いつきません。

 

 

 

毎日更新していると、ブログ更新に対しての気持ちの上がり下がりももちろんあります。

 

 

ブログのネタがあるときは、「この内容を書こう!」とテーマが決まると、自分でも驚くほど次々と文章が浮かんできます。

 

逆にブログのネタがないときは、更新する内容よりも「せっかく毎日更新しとんじゃけー今日もなんか更新せんといけんな〜、何にしよかなぁ…」と、誰かに(毎日の更新を)課せられたわけでもないのに勝手に追い込まれてしまってます。

 

 

毎日更新しないといけないということだけ考えてしまい、何がきっかけでSNSを更新し始めたのかを忘れてしまっています。

 

 

何事も形式化してしまうと気持ちが萎えてしまいますね。

(楽しいと思って始めたことでも、日常化してくると楽しむ気持ちが薄れてしまう)

 

 

 

そんな時にこんな言葉と出会いました。

 

 

 

”日に新たに、日々に新たなり

 

〜今日なら今日という日は、天地開闢以来はじめて訪れた日である。それも貧乏人にも王様にも、みな平等にやってくる。そんな大事な一日だから、もっとも有意義に過ごさなければならない。そのためには、今日の行いは昨日より新しくよくなり、明日の行いは今日よりもさらに新しくなるように修養に心がけるべきである。

この言葉は、中国古代の殷王朝を開いた湯王が言い始めた言葉と言われている「苟日新、日日新、又日新(まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり)」が原典である〜

 

 

誰にでも一日24時間という時間が等しく与えられていて、それをどう使うかが人生を分けくる。

 

 

頭では分かっていても、なかなか一日一日を、そして一瞬一瞬を大切にすることができないときもある。

 

 

どれだけ頑張ったとしても、1日は24時間しかなくそれ以上でも以下でもない。

 

 

努力できる量には限度があり、一気に変わることも、取り戻すこともできない。日々、地道に取り組んでいくしかないのです。

 

 

ブログを更新するときも、「今日はこれを更新しよう!」と楽しみながらやるときと、「今日も書かんといけん…」と、更新しないといけないという責任感で更新するときとでは、内容の質も変わってきます。

 

 

何かに取り組むときは、取り組み方・目的意識で質も大きく変わってくるんですね。

 

 

 

どうせやるなら、やらされるよりも自分から進んでやっていきたいと思います。

 

 

常に物事の本質と向き合いながら。

 

 

 

 

 

それではこの辺で。

今回もお時間をいただきありがとうございまーす。