視野は広くても狭くても | 市民社会づくりの日々

視野は広くても狭くても

今日は朝から、スクールソーシャルワークの仕事で相談室から学校へとはしごする予定がありました。

 

朝家を出ると意外に路面が見えている道路に思わず、家に自転車のカギを取りに戻りました。

 

日当たりの悪い小さな路地では、シャーベット状になった雪が残っていて、そこはいかにも横滑りになりそうで怖かったですが、何とか問題なく、移動できました。

 

雪道を歩くことが思ったよりも膝にダメージを与えているようで、ここのところずっと軽く水がたまった状態からなかなか回復しません。

 

おそらく、冬期間はこの状態をいかに保つかというところなのでしょう。

 

夏場の自転車はほどよく膝の可動域を広げて、なおかつ膝に体重がかからないから負担にならず、非常にいいリハビリ環境だったのだろうと再認識します。

 

少しでも自転車がのれる状態をひそかに願っています。

 

さて、先日久々に理事会に出席した中間支援のNPOの若手スタッフから、企画の手伝いをしてもらいたいというリクエストをもらっていたので、少し時間を取って話をしてきました。

 

一人はおそらく10年ほど前に釧路のNPOに卒論を書きに来た時に初めで出会っているのですが、話をしているうちに当時に法人が運営するグループホームに泊まり込んでいて、結構楽しかったという話をしてくれました。

 

どうやら若手の二人は私が若者たちと出会った流れでスタートさせた「研修生制度」にヒットしたらしく、自分たちもNPO的に働きたい人材を研修で受け入れたり、現場につないだり、コーディネートしたりする事業を考えているでした。

 

いろいろと話していると、次々と今のNPOでやっていることや意識していることや釧路のNPOでやってきたこと、その他、いろいろなことがすべて連動して不思議なシンクロ感覚に一人でフワフワしていました。

 

ひとたび視野を広げたり、目線を上げると、やるべきことややらなくてはならないことはいつもいつも次から次へと浮かんでくるのですが、現実はちっとも先に進んだ気がしなくて、静かな焦りがあります。

 

一方では日々やることに埋没していると、そんな焦りからは解放されて、やるべきことはやっているという自負やちょっとしたやりがいにそれなりに満足することもできます。

 

視野を広げることは大切だし、必要なことですが、その先には苦痛や失望や焦りがあり、限られたところしか見なければ、自作自演の苦悩を感じずに済むのだろうと思うと、「どっちが幸せなんだ?」とふと思うのでした。

 

まぁ、そもそも、何が幸せなのかなんて、きっと死ぬときにしかわからない、いや死ぬときにもわからないで、一生を終えるのだろうと思ったりします。

 

NPOを担う若者たちとの意見交換から、「幸せとは何か?」というテーマになっっちゃった(笑)。

 

どんだけ、話が飛躍するんだろう(苦笑)。

 

でも、あながち飛躍でもなく、NPOは正に今の社会において人の生き方やあり方を問いかける仕掛けでもあります。

 

NPOが法制度化されて18年が経ち、かなり形式的になった側面はありますが、そもそものNPOを改めて語る機会に自分の中の琴線に触れたようです。

 

明日は事務仕事の宿題がいっぱいです…

 

夜のタイムリミットがないので、覚悟してがっつり働いてきます。