◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

前回、「四条大納言」源定の話だったのでついでに。

ご存じ倉本一宏先生の中公新書『公家源氏――王権を支えた名族』を簡単にご紹介。2019年刊行。

 

 

 

都で活躍した武士ではない源氏

 

帯の文句は、「都で活躍した「武士ではない源氏」」。

過去の中公新書の著書『蘇我氏』や『藤原氏』同様、かなり偏執狂的な造りになっている(笑)一冊です(褒めてる)。

 

総論というよりは、嵯峨源氏から始まる個別論を虱潰しに列挙するのがメインで、そのうえに総論を書くスタイルというのかな。

 

 

渡辺綱のご先祖様は?

 

個人的にはほとんど知らない中世以降を興味深く読みました。

一番「へえ~」ってなったのが、あの鬼退治で有名な渡辺綱、彼のご先祖様がなんと「河原左大臣」こと源融だということ!

 

融っていうと「THE☆お貴族様」ってイメージすぎて……

自分のなかでは、灰原薬『応天の門』の融さま(笑)6巻より

 

本書の系図(234頁)によると、融の子・昇のたった3代後(つまり曽孫)! ん、綱もだし、その子孫とされる松浦氏の当主が一文字名前なのも、融の血を引く嵯峨源氏だということを誇示しているのか?!

 

そもそも源氏は天皇の子孫への賜姓ゆえ、世代が下るにつれ急速に没落していくのは当然。融からかぞえて4代目が渡辺綱だったとしても、なんら不思議はありません。

 

 

中世以降も都で生き残った源氏たち

 

いっぽう中世以降も公家源氏として都で生き残った源氏は、村上源氏が最も多い。いずれも源師房の子孫で、堂上源氏の家では久我家をはじめ10にのぼります。

 

源師房は、具平親王の子で、姉が藤原頼通室(隆姫女王)である縁からその猶子に入り、以降摂関家との関係を強化することにより繫栄しました。そう、王家ではなくむしろ摂関家とのミウチ意識により、世代が下っても地位を維持したということです。

 

 

ごくごく個人的な感慨!

 

<生き残り公家源氏の代表格は、すべて具平親王の子孫!>

藤原公任と仲良しの具平親王♪ 文化の権威として名を馳せた公任サマといえど、その子孫は早々に埋没していったことを考えると……

 

<道長の室・倫子の父、源雅信の子孫たち>

ほかの生き残りでは、宇多源氏が目立つとか。これはすべて源雅信の流れ。娘の源倫子は宇多源氏として誇り高く、夫の藤原道長とは対等(以上?)という意識だったと思います。

後世の彼ら、例えば庭田家が摂関家の一条家の家礼(自立的な従者)となった(242頁)などと聞くと、ちょっとせつない気持ちになります。