◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

第一期から断続的に楽しんでいる「女房気分de書写」。

現在は

『栄花物語』を読み、巻一から順にひとつずつ好きな場面を書写

という形で一人密かに進行中です。

 

本日は、巻二十九をご紹介いたします。



巻二十九「たまのかざり」:皇太后・妍子崩御

 

万寿四年(1027)4月~10月。
巻二十六での藤原道長末娘の東宮妃・藤原嬉子に続き、次女で皇太后の藤原妍子が亡くなる。ひとり娘の三条天皇皇女・禎子内親王は東宮へ入内したばかりであった(巻二十八参照)。先立って、出家していた道長の源明子所生の息子・藤原顕信も入寂した。

巻名は和泉式部が妍子の法事に寄せて詠んだ歌より。

 

 

女主人を失って悲嘆に暮れる枇杷殿、道長らの悲哀の一節を選びました。

 

妍子に取り憑いて苦しめた中には、なんと妹の嬉子と思しき物の怪の姿も見られた、という悲しい描写もありましたが……

 

ここでは源倫子所生の四人姉妹(太皇太后彰子・妍子・中宮威子・嬉子)の美しい思い出を振り返りっています。

倫子の六十賀(巻二十)では姉妹に「一品宮」禎子、「殿の上」倫子を加えて「すべて六所おはしまし」た様子などを偲んでいます。

 

 

 

 

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