◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

第一期から断続的に楽しんでいる「女房気分de書写」。

現在は

『栄花物語』を読み、巻一から順にひとつずつ好きな場面を書写

という形で一人密かに進行中です。

 

本日は、巻二十七をご紹介いたします。



巻二十七「ころものたま」:太皇太后・彰子の出家

 

万寿二年(1025)8月~三年(1026)9月。
懐妊中の藤原長家(道長子)の室をはじめ、秋から冬にかけても多くの人が亡くなった。年明け、藤原公任が出家して長谷に隠棲した。道長の娘たち、太皇太后・藤原彰子の出家の儀式が豪勢に営まれて女院となり、中宮・藤原威子は懐妊したという……。


 

ついに「四条大納言」公任サマが出家! この一連の「物語」は、かなり詳細に展開されます。周りの人々との別れの場面など、しみじみとあわれを感じます。

いつもならここから選びそうなものですが(笑)、あえて、巻名「ころものたま(衣の珠)」の由来である藤原彰子の出家シーンを。

 

妹の皇太后・藤原妍子との贈答歌にこの語があらわれています。

さほど長い場面ではないのですが、二人のほか賀茂斎院の選子内親王と道長の歌も入るため、書写は3枚に及んでしまいました。

都の中心を完全に離れんとする公任出家のしんみりとした雰囲気に比して、女院にまで昇り栄華を極めた彰子の出家は、印象がかなり異なります。「この世後の世までめでたき御有様」で、道長も「かへすがへすかたじけなく思しめしたり」、と締められています。

 

 

 

 

☆使用テキスト

今回より、いよいよ下巻!