◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

第一期から断続的に楽しんでいる「女房気分de書写」。

現在は

『栄花物語』を読み、巻一から順にひとつずつ好きな場面を書写

という形で一人密かに進行中です。

 

本日は、巻二十五をご紹介いたします。



巻二十五「みねの月」:寛子の死と顕光父娘の怨霊

 

万寿二年(1025)3月~8月。
小一条院の母・皇后藤原娍子ならびに女御で藤原道長の娘・藤原寛子の死が描かれる。怨霊の跋扈する中、赤痘瘡が流行、快方には向かうものの臨月の道長の末娘・東宮妃藤原嬉子をも襲う。



全体的に不吉な空気が漂い、物語として盛り上がる巻。

三条天皇の第一皇子で東宮を降りた小一条院を中心に描写されます。

なかでもやはり、

「し得たりし得たり……今ぞ胸あく」

という有名なセリフを残す藤原顕光・延子の怨霊父娘の場面を書写したく、選びました。書写では末尾にあたり、今回は最も長い書写になったと思います。字を小粒にしました。

かつて小一条院(敦明親王)は、道長の圧力のもと東宮を降り、道長の娘(母は源明子)の寛子の婿となりました。先に入輿していた女御・延子は恨みを残したまま亡くなりました。

 

そしていま、亡くなろうとしている寛子への、小一条院の深い愛情に、兄弟たち(同腹の頼宗・能信・長家)も満たされたような描写となっていますが、現実はいかがなものでしょう……。

小一条院は、結局寛子亡き後の道長の庇護をしきりに気にしている様子ですし、道長のほうも、倫子腹の嬉子を優先しがちです。

帝や東宮ではないいわゆる捨て皇子に捧げられ、いわれなく呪われてはかなくなる身……臨終の寛子本人も、道長に無念を打ち明けますし、明子腹の兄弟も恨みのほうが強いのではないでしょうか。

 

 

 

 

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