◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

 

光源氏、紫上を相手に大いに語る!

 

先日の源氏物語の記事で、光源氏の女手(女性の仮名)論評について少し触れました。

 

 よろづの事、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、仮名のみなむ今の世はいと際なくなりにたる。(梅枝巻)

 

から始まる箇所です。

 

昔に比べ劣りつつある「今の世」でも、手蹟は決まった筆法の型から飛び出して素晴らしい風情も生まれた、と肯定しています。

 

 

その流れで光源氏は、自分の知る<女性たちの手蹟評>を、紫上に向けて上から目線で(?)開陳。

 

箇条書きでざっとご紹介します。

 

・六条御息所…心にも入れず走り書いたまへりし一行ばかり、わざとならぬをえて、際ことにおぼえしはや(無造作な走り書きもことにすぐれた筆跡)

 

・秋好中宮…こまかにをかしげなれど、かどや後れたらん(行き届いていて趣があるけれど、才気が不足しているよう)

 

・藤壺宮…いとけしき深うなまめきたる筋はありしかど、弱きところありて、にほひぞ少なかりし(実に深いお気持ちで品よく美しいものの、か弱いところあり、余韻が足りない)

 

・朧月夜…今の世の上手におはすれど、あまりそぼれて癖ぞ添ひためる(当代の名手だが、あまりに洒落すぎていて癖があるよう)

 

そのうえで「さはありとも、かの君(朧月夜)と、前斎院(朝顔の姫君)と、ここ(紫上)にとこそは書きたまはめ(十分お書きになれる方)」と締めくくります。

 

冒頭で褒めていた六条御息所は故人ですから、光源氏認定・当代三大女手名手は、朧月夜・朝顔の姫君・紫の上、といったところでしょうか。

 

光源氏、謙遜する紫上に「にこやかなる方のなつかしさは、ことなるものを(柔らかみという方面の好もしさは特別)」と言っています。

女筆は「にこやか(柔らかみ)」が命、ということでしょうか……

 

光源氏は鼻につくものの(苦笑)たいへん興味深い記述です。

 

参考:『日本古典文学全集14 源氏物語 三』小学館、昭和47