◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

第一期から断続的に楽しんでいる「女房気分de書写」。

現在は

『栄花物語』を読み、巻一から順にひとつずつ好きな場面を書写

という形で一人密かに進行中です。

 

本日は、巻十六をご紹介いたします。




巻十六「もとのしづく」:公任、中姫君の急逝で悲嘆に暮れる

 

寛仁3年(1019)4月から治安2年(1022)6月まで。
小一条院女御で藤原顕光女の延子にはじまり、その実姉元子の婿・源頼定、藤原道長の息子・長家の室であった藤原行成女、などさまざまな人が亡くなる。(長家は藤原斉信の婿となる。)

女嬉子は東宮へ入内、妻の源倫子は西北院を建立し供養、近づく法成寺金堂供養への支度など、道長家のみは栄えている。

藤原公任女の「中姫君」が天王寺参詣で病づき、急逝する。

 

 

 

数々の不幸の中に道長家の栄華だけが目立つ巻。

 

脇を支えたストーリー・顕光家の騒動もひとまず幕です。

 

行成は拝命した大宰権帥も辞任しましたが、女は結局亡くなってしまいます。婿の長家はまだ若く、のちに等しく四納言と称される斉信の婿となるのも個人的には興味深いところ(しかし直後火災に遭う不運)。

 

さらに同じく四納言と呼ばれた公任家にも不幸が。

お忍びにもかかわらず話題になった公任家の天王寺参りでしたが、その際に中姫が病を得てしまいます。亡き公任姉の遵子(円融帝皇后)が愛育し「中姫君」と称されたこの女の死は、公任家にとって大きな悲しみ。

哀歌を詠み合うしみじみとした場面を書きました。

 

 

 

 

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