◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆
長年細々と(時には途切れつつも)通っていた書道教室、これまで避けていた“社中展への出品”を決めまして、はや数ヶ月。「公任集」を漁りました結果、藤原公任と「梅」について、作品に仕上げることにしました。
季節の花300 さまより拝借
◆藤原公任と梅
家集冒頭に置かれた桜の有名な歌もありますが、公任がとりわけ梅を好んだ逸話が好きで(桜じゃなく梅ってとこが文化人っぽい!)。
梅にまつわる詠歌と詞書をメインに、冒頭には、上の逸話を短くアレンジしたなんちゃって古文を添える構成。全体の雰囲気は、毎月行っている栄花物語抜粋“女房気分de書写”のお出掛けバージョン風。
いつもの“女房気分de書写”
◆出品作品の内容
◆◆公任、春の花といえば桜、に異議あり◆◆
冒頭の逸話の元ネタは、『古今著聞集』。
関白頼通との春秋のすぐれた花論議で、春は桜とされる関白に対し、遠慮はしつつも「なほ春の曙に紅梅の艶色すてられがたし」と述べたお話。
秋の花として挙がっている「菊」、それどころか「宇治殿」頼通の存在すら(笑)、大胆にカット。鎌倉時代成立の堅い印象の文章を、例えば桜「第一」を「かぎりなし」に変えるなど、表現も変えて凝縮します。
間隔を少し空け、本題の「公任集」から詞書と歌の部に入ります。
◆◆花山院の命で詠んだ「闇はあやなし」◆◆
一首目は、春宮時代の花山院からの「闇はあやなし」をテーマに詠め、との命に応えた歌です。花山院が春宮ですから、公任若手時代ですね。
当時「闇はあやなし」といえば、凡河内躬恒の歌「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる」(大意:春の夜の闇は道理が通らない、梅の花の姿は見えないが香りはあらわれているじゃないか)を誰もが想像します。
春の夜の闇にしあればにほひくる梅よりほかの花なかりけり
躬恒の歌を下敷きに、公任は、春の闇の中で花のうち存在感を示すのは唯一梅だけ、とその香り高さを強調しました。
◆◆具平親王との梅をめぐる相聞歌◆◆
二・三首目は、交流が知られる具平親王との梅を詠み込んだ歌の応答。親王邸での宴の翌朝、親王から公任へ歌が贈られました。
飽かざりし君がにほひの恋しさに梅花をぞ今朝は折つる
(中務卿具平親王)
公任の返歌。
今ぞ知る袖ににほへる花の香は君が折けるにほひなりけり
っ……これは……まるで後朝の文?
「飽くことのない貴方の匂いが恋しくて、今朝は梅の花を手折ってしまったよ。」って親王から贈ってきてるんですよ! 公任が衣にまとっていたのは、梅の香りだったのでしょうか?(「梅花」は六種の薫物といわれ、『源氏物語』では紫の上が薫物合わせで調合しています)
公任は、「わたしの袖に残る花の香りは、貴方が手折った梅の香だったのですね。」のような返答。もう別れてから花を手折っているシチュエーションなので、移り香は不思議な気もしますが、心象的なものなのか、それとも文付枝の香でしょうか?
実は贈答じたいが、聴衆を前にした宴の余興であったとも解釈できます。
まあ~とにかく、ラブラブな(?)二人の戯れ歌です。
真面目な話、別に男色・衆道の類ではないでしょう(残念ながら←)。
情緒を大切にした平安時代ですから、友情もこのような形で熱く示されたのではないかな。みやびですね~♡
◆◆おまけ:具平親王と藤原公任◆◆
●具平親王(964‐1009)は村上天皇の皇子で、文事にすぐれ「後中書王」と称された人物です。同じく一流文化人であった藤原公任(966-1041)との交流は有名で、例えば二人の柿本人麻呂×紀貫之優劣論争などの逸話も残ります(『古事談』第六)。
●親王の母が荘子女王で、公任母とは姉妹(代明親王女)、つまり二人は母方のいとこ同士ということになります。2歳違いですから、ほぼ同年代ですね。
●娘を藤原道長の子息の正室としたことも共通点です(親王女は嫡男頼通、公任女は同母弟の教通。ちなみに二人とも没した後ですが、別の親王女が教通の継室に入っています)。
[参考文献]
・塙保己一『群書類従』和歌部九十一 家集九 巻二百三十六 公任卿集、続群書類従完成会、1939~1940
・小町谷照彦『王朝の歌人7 藤原公任 余情美をうたう』集英社、1985
・福家俊幸「具平親王家に集う歌人たち」『王朝の歌人たちを考える』(久下裕利編)武蔵野書院、2013、所収
・『新注 古事談』笠間書院、2010
・『新潮日本古典集成 古今著聞集 下』新潮社、1986
(逸話…巻十九「草木」に所収)
・『新日本古典文学大系 後拾遺和歌集』岩波書店、1994
(「春の夜の」の歌…巻第一「春上」に所収)
・『新日本古典文学大系 拾遺和歌集』岩波書店、1990
(「飽かざりし」の歌…巻第十六「雑春」に所収)