◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆
『正しい女たち』(千早茜、文春文庫)を読みました。
◆女が「見られる性」である呪縛
6つの短編が少しずつ連鎖していく、好きな構成の本でした。
「太っても痩せてもなく、目立って愚図でも飛びぬけて優秀でもない普通」の女子高生4人グループのひとりだった、「わたし」の話からスタート。
この4人の“普通の女子高生”だったアラサー女性たちが軸になっています。
各短編は主に女目線ですが男目線の場合もあります。
が、ともに女が、良くも悪くも強烈に描写されるのが特徴です。
そう、この社会、見られているのは常に女だ……
と腑に落ちました。
逆に作者は男に恨みでもあるのかな?(笑)ってくらい、登場する男がこれでもかとカスばかり!
特に最終話、主人公の中年男が「(男は)見られることに慣れてない」と老婆に一刀両断される場面は、久々に味わったレベルの痛快さでした。
「自分だけが歳を取らないとでも思っているんだろ。あるいは、自分たち男だけはゆっくり老いるのだと。賞味期限は長いとか考えてんだろうね。あたしたち女はね、あんたらみたいな男のせいで、早くから歳を意識させられるんだよ。毎日、鏡を覗き込んで化粧して、年齢に応じた振舞いを暗に要求されて。だからさ、強いんだよ、見られることにも、現実にもね」[207頁]
あ、男性をフォローするなら、「海辺の先生」に登場する男性は素敵でした。
◆なぜ男にジャッジされねばならない?
超絶お気に入りのエッセイを思い出してしまいました。
アルテイシアさんの『40歳を過ぎたら生きるのがラクになった』(幻冬舎文庫)です! 語り口がかなりお下品なので要注意ですが……(下ネタ多し)
巧みな笑いに乗せつつシチュエーションを変え何度も繰り返されるのが、
女は男のためにお洒落したり行動したりしてるわけじゃない
という主張です。
別に男のためにやってるわけじゃないのに、
なぜ男にジャッジされねばならない?
という首尾一貫した怒りです(青筋立ててではなく笑わせつつ読ませます)。
『正しい女たち』に出てきた女たちは、その呪縛を解けてないのかな
と感じました。
女性が見られる性であること、なかなか男の人にはわかってもらえないけれど、世の女たちのほとんどに共通するストレスでは。
熟女のみならず老若男女に読んでほしい。
『正しい女たち』からアルテイシアさんに連想が飛んでしまいました。
久々に女性性を考えさせられる読書体験でした。