東京丸の内・出光美術館にて18日までの展示
「時代を映す 仮名のかたち」
を見てきました!
仮名のかたち(書様)は時代ごとに変遷します。ふつう古筆展というとせいぜい鎌倉時代を下限としますが、今回は平安~鎌倉~南北朝~室町までの書が並びました! なかなか稀少な機会かもしれません。
書様が変化するには重層的な理由があるはずですが、ここではなかでも特に仮名を“和歌を記す文字”として捉え、そこに理由を探っています。つまり平安では私的な位置づけだったのが鎌倉に近づくにつれて公的な性格を持つようになり、優美な芸術性から厳格さと明確さが求められるように変化してきた。
今回の発見は 後柏原天皇 についてでした。室町後期の在位(1500-26)で、とにかくこのころの天皇は金もない権威もないという印象でした。私の好きな魔法使い管領・細川政元(変人)に虐げられていたイメージしかなかったのです。
「正体なき者は王とも存ぜざることなり」
しかし天皇は朝廷に資金のないなか、「公宴和歌」というシステムをつくったのだとか。朝廷貴族の象徴である歌会を廃れさせないよう、正月以外は参会を伴わない“紙の上だけの宴(歌会)”として継続させる ご本人の手蹟も、そうした情熱を感じさせる、実に見事なものでした
室町時代の書は、こうした空気を反映して、重厚で立派な書風となっていきました。
あと一点、ちょっと「ファッ?!」と驚いたのが、参考作品として出ていた「陽光院消息」。後柏原天皇の孫・正親町天皇の皇子、誠仁親王(後陽成天皇の父)。彼が叔父の覚如准三后に宛てた仮名消息が73通も残っているらしいのですが、女房奉書の形式で、内容は甘えや恨み??? どうやら自身=女、叔父=男に見立ててものしているらしい……まったく意味がわからないwww
返書とかはあったんだろうか……? いったいどんな内容で……
やっぱりそうした遊びに雅を見出すなんて、朝廷の皇子様はちがうなぁ。
と、ちょっといろいろ考えて面白かった
っていうか気づいたら脳内で勇利とヴィクトルに変換されてて困った……ちっ、古筆鑑賞の間は忘れてたのに~!(笑)
↓↓コレの感想書きました(大泉洋じゃないよ)↓↓
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