『鹿男あをによし』(万城目学、2007年、幻冬舎/2008年、フジテレビ系ドラマ)についての内容検討編・第二弾!!
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右矢印第0回 (名シーン動画あり)/第1回  主人公の設定

さて、いよいよ、内容にちょっと踏み込んでしまいます。

鹿島大明神すなわち武甕槌命は、記紀にも描かれている通り、大国主命に対していわゆる「出雲の国譲り」の談判をする神様です。古事記には大国主命の息子に力比べで圧倒的勝利をおさめる様子も描かれます。

武甕槌命=鹿島大明神は力持ちの神様。

そのようなところからか、日本に地震をおこす大鯰を押さえつけて鎮める神様としても信仰を集めています。『鹿男』ドラマでは、その様子を描いた「鯰絵」と呼ばれるものがチラチラと写りますが、実は私も鯰絵の一例のコピーを持っているのでここにご紹介しておきます☆

江戸時代、安政の大地震(1855年)が起こり、その惨事のなか
瓦版などの形で、鯰絵は現れました。これを家に貼っておくと安全というお札としても用いられたようです。

菅野俊輔先生の古文書講座を受けていたときのテキストの一部です。

鯰絵1


鹿島神宮に行けばいまでも、地震を鎮めているという地中深くまで埋まった要石(かなめいし)があります(千葉県の香取神宮などにもある)が、鯰絵は鹿島神や要石などの伝承を踏まえた絵柄になっていました。上は、人々が鯰を押さえる鹿島大明神を拝んでいる図です。




さて、『鹿男』に話を戻しますが、主人公が鹿にあるものを渡すという「運び番」のノルマは、「神無月(10月)」中に行われなければなりません。

さあ、神無月だ――出番だよ、先生
[小説文庫版(以下同)・77頁]

というドラマでも山寺宏一さんの声で印象深い、あのセリフです(どーしてもあの声で浮かんでしまう☆)。





なぜ「神無月」か? というと、神様が出雲に集結する期間=神が不在の期間、だからです。武甕槌が鹿島に不在のこの時期、代わりに東で鯰を押さえているのは恵比寿様――しかしその力は、武甕槌(鹿島大明神)にはかないません。それで鯰が暴れだす……

鯰絵2
▲これも上図と同じテキストの鯰絵。恵比寿様が瓢箪で鯰を押さえようとしている。


さらに、小説版の鹿は、こんなことを言っています。


神々がいないからだ。神々は我々がなまずを鎮めていることなど何も知らない[195頁]


あるもの――鹿は“”と表現――の存在が神々に知られたら、取り上げられ、何も考えずもて遊ばれ棄てられるだけだ。鹿たちは、その宝を神々に知られないよう、大事に守っているのだという(鹿島神すら自分のしていることに気づいてないかもしれない、と言っている←天然?)。



まあ、とにかく、そんなわけで、神無月中にミッションインポッシブルなわけで☆ もうひと月しかありません!! 盛り上がりますねメラメラ




さて、ここで少し、状況を説明しましょう。

どうやら鹿の断片的な話を整理すると。


東(鯰の頭)の支えが鹿島だとしたら、西(鯰の尾)の支えは三点で守っている。奈良の鹿、京都の狐、大阪の鼠である。西の鎮めの役割をする宝である“目”を60年に一度の神無月、「ねじを締め直す」ため、鹿から鼠、鼠から狐、狐から鹿へと遷し、儀式を行いなまずを鎮める……



60年というのは六十干支。現代でも「還暦」の祝いをするように、十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)の同じ組み合わせがめぐってくる(暦が還る)のは60年に一度です(10と12の最小公倍数)。昔ですと例えば「甲子革命」の考え方などがあり、十干十二支が始めに戻る「甲子」の年はすべてがあらたまる、などとされました。




今回は狐から鹿へ目を遷し、鹿が儀式を行う番のようです。


主人公は狐の「使い番」から目を受け取り鹿に渡すという「運び番」の役目を果たさねばならない……この神無月中に。


すでに地震は始まってきている。富士山噴火のきざしもある。

このままでは、日本は滅びてしまう。


だがどうも、仲間であるはずの鼠が邪魔をしているらしい。邪魔、というか、ヒステリーのイタズラ「喧嘩」程度のようなのだが。




さらにわかったことがあります。


この鎮めの儀式が完ぺきではない(満月でなかった)ときがあった。それが五度前の受け渡し――つまり300年前――調べてみると、1707年に「宝永大地震」の記録が!?(この小説の舞台は2007年) 地震のあと、宝永大噴火(富士山噴火富士山)まで起きています!!


さあ大変!!!えっ




次回は、主人公以外の登場人物、とくに、物語のカギを解くために重要な存在「藤原先生」について見ていきます。


藤原先生は、小説では妻子持ちの童顔男性だったのに、ドラマでは綾瀬はるかの天然美女へ華麗なる変身アップを遂げたキャラクターです!