ほ す き つ か
本とゝき須な支徒る可
た を
多越
か
な可む
れ
連ハ
り(あけ)
たゝあ利明の
の れ
月そ濃こ禮る
81 ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる
後徳大寺左大臣
訳:今、ほととぎすが鳴いたと思って、そちらのほうに目をやると、ただ有明の月だけが(明け方の空に)残っている。
メモ:作者は藤原(徳大寺)実定(1139-91)。徳大寺家の祖である祖父の実能(さねよし)が「徳大寺左大臣」と呼ばれていたため、「後」をつけて呼びならわす。歌道、今様、神楽の名手という。祖父の実能は、かの藤原頼長の岳父であった。頼長は、妻の兄弟(公能。実定の父)の娘を養女とした。近衛ならびに二条天皇の“二代后”として名高い多子である。つまり実定は、この多子の異母兄にあたることになる。