NHKラジオ講座「漢詩をよむ」第6回です。


今回のテーマは<君臣唱和>。

弘仁9年(818)、二番目の勅撰詩集『文華秀麗集』が編纂されました。こちらは、嵯峨朝に作られた作品を収めています。嵯峨朝の詩の特徴は、なんといっても“奉和詩”が多いということです。これは、天皇が詩を詠み臣下がそれに応える、また逆に臣下が詠んだ詩に天皇が応える、という形です。つまり、嵯峨天皇なくして成り立たない形なのですね! なるほど、天皇の詩が誰よりも多く収められているわけです。身分の高い臣下だけではなく、ときには従八位あたりの者と詩を唱和している様子もみられました。


今回読んだのは、このような奉和詩のワンセット、嵯峨天皇の「長門怨」と巨勢識人「奉和長門怨」。それから、天皇の命により詠まれた桑原腹赤の「冷然院各賦一物得曝布水 応製」[※ふつうは「瀑布」だが、滝を日に曝(さら)した白い布に見立てた詩なので、「曝布」が正しい、また「応製」は本来「応制」が正しいのだが(制=天皇の命の意)、この字が多く使われている]、最後に嵯峨天皇の「和左金吾将軍藤緒嗣過交野離宮感旧作」という、嵯峨天皇が臣下に応えた形の詩でした。

緒嗣は、古代史が好きな人にはおなじみだと思います。桓武天皇の寵臣・藤原百川の息子である藤原緒嗣で、みずからも桓武天皇に重用された人物です。ちなみに、緒嗣の元の詩も、前回の是雄同様に残念ながら現存していないそうです。


「君臣唱和」の語がでてくるという『文華秀麗集』の序文が気になりました。

『文華秀麗集』は、『懐風藻』『本朝文粋』とともに、岩波の『日本古典文学大系 69』に収められています。


  (…)名曰文華秀麗集。鳳掖宸章。龍闈令製。雖別降綸旨。俯同縹帙。而天尊地卑。君唱臣和。故略作者之数。編採摭之中(…)


だいたいこんな意味だそうです。


名づけて文華秀麗集という。天子(嵯峨天皇)の御作ならびに皇太子(嵯峨天皇の実弟。のちの淳和天皇)の御作を、特別に勅詔をいただき、畏れ多くも集に編入いたしますけれども、本来君臣上下の別は明らかなもので、君がまず唱し臣はこれに和するもの、従ってお二方を作者二十六人の中には含めない。


編者のひとり、仲雄王による序文です。

ここでは、君がまず唱し臣はこれに和すると表現していますが、みてきたように逆パターンも多くありました。

嵯峨天皇が中心となった、平安初期の漢詩文の世界がよく表れている「君臣唱和」ということばだと思いました。