NHKラジオ講座「漢詩をよむ」第5回です。


今回から、平安時代に入りました。<二 勅撰三集の時代>で、嵯峨天皇の時代を中心とした平安初期の漢詩を眺めます。

今回は<帝王の詩――嵯峨天皇>。

「勅撰集」というと、まず『古今和歌集』(905年)が浮かぶかと思います。ところが、実際はそれに先んじること約90年、漢詩集である『凌雲集』が嵯峨天皇のもとに編まれました。弘仁5年(814)のことです。勅撰三集とは、これに続く『文華秀麗集』(818年)、『経国集』(827年)という、いずれも漢詩集を指します。当時は、文学として唯一のものが漢詩だったのです。

嵯峨天皇とは、桓武天皇の息子です。勅撰三集のうち最初の二集は、この天皇の時代に作られました(『経国集』は次代の淳和天皇の治世)。この二集では、撰者たちは作品の採否に迷ったときは最終的な判断を天皇に仰いでいるそうです。まさに「勅撰」であり、その点は驚きでした。また、三集における天皇の詩は、実に93首と最大量を誇っており、これは二位の詩人の三倍にあたる数とのことです。


今回は、嵯峨天皇の詩を三編読みました。

ひとつめは、「春日遊猟 日暮宿江頭亭子」(『凌雲集』)。「春日遊猟、日暮江頭の亭子に宿る」です。天皇は大阪の交野などへ、群臣を連れてしばしば狩りに出かけました。

ふたつめは、「和藤是雄旧宮美人入道詞」(『経国集』)。「藤是雄の「旧宮美人入道の詞」に和す」です。これは、先帝で実兄の平城天皇の没後に詠われたものです。

みっつめは、「老翁吟」(『経国集』)です。これは、譲位後に増える隠遁詩です。


私が最も興味を惹かれたのは、ふたつめの詩です。藤原是雄が詠んだ「旧宮美人入道の詞」に応えた詩、という意味です。旧宮(平城宮)に隠遁していた平城上皇の突然の死により、出家した美人(美しい女性の意ではなく、女官を指す)、彼女の境遇を思いやる内容になっています。

これには「薬子の変」という政治的背景がみえます。弟(嵯峨天皇)に譲位した平城上皇が、その寵姫藤原薬子や兄仲成とともに政治に介入を始め、さらに旧都平城への遷都を企てました。結果、薬子は自殺、仲成は射殺、上皇は出家して奈良へ隠遁し、事態は収拾しました。

この是雄という人物は、平城上皇の側近で事件後に左遷された藤原真夏の子だそうです。真夏は、嵯峨天皇の側近で藤原北家の繁栄の基礎を築いた冬嗣の実兄です。結果的に兄平城を追いやった嵯峨天皇が、左遷された臣の息子に対してこの詩を詠んでいるというところが、実に興味深いです。


なお、この藤原是雄の詩「旧宮美人入道の詞」は、どうやら残っていないようで残念です。早稲田大学の「平安朝漢詩文総合データベース」で調べてみましたが、是雄の詩は一編しかなく、該当のものではありませんでした。


なお、薬子の変など、嵯峨天皇や平城天皇の周囲については、小説などがわかりやすいと思いますので、以下に参考になりそうなものを挙げておきます。

1.杉本苑子『檀林皇后私譜』

http://mediamarker.net/u/n-kujoh/?asin=412201168X

2.永井路子『王朝序曲―誰か言う「千家花ならぬはなし」と』

http://mediamarker.net/u/n-kujoh/?asin=4041372046

3.三枝和子『薬子の京』

http://mediamarker.net/u/n-kujoh/?asin=4062095025



★★漢詩 ミニ基礎知識⑤ 平仄のきまり 数例★★


「平仄を合わせる」とは?


なにやらたくさんの法則があるようですが、参考文献にも載っていた代表的なものをいくつか記しておく。

 ※以下記号は、○=平/●=仄/-=平・仄どちらでも可。


(1)五言詩…「二四不同」 七言詩…「二四不同、二六対」


<七言絶句の例>

 ---- 1
 ○●●○ 2
 ---- 3
 ●○○● 4
 ---- 5
 ○●●○ 6
 ---- 7


(2)下三連を避ける
各句の下三字が○○○とか●●●とか並んではいけない。


(3)孤平を避ける
●○●と平が仄にはさまれてはいけない。


(4)偶数句末(脚韻)は平にし、奇数句末(韻を踏まない字)は仄にする。


ひえ~、そんなばかな! っていうくらい、漢詩って奇跡ですね……
ここまでくると、もはや漢字を使ったゲームのよう。まさしく高等遊戯といったことばが相応しいように思えます。


   ※参考文献
    一海和義『岩波ジュニア新書 漢詩入門』岩波書店 1998