NHKラジオ講座「漢詩をよむ」第4回です。


今回は<個の表出>。


述懐(懐<おも>いを述<の>ぶ)詩を三編、時代を追って読みます。

まずは、『懐風藻』の嚆矢を飾る詩人、大友皇子。彼の詩は、同集に二編収められており、もう一編は「侍宴」の詩。

五言絶句ですが、後半の二句(3・4句)など「羞無監撫術(恥ずらくは監撫の術なきこと<太子としての能力に欠けている>を)/安能臨四海(いずくんぞよく四海に臨まん)」とあり、彼のその後の運命(壬申の乱で叔父・大海人皇子=天武天皇に敗れる)を考えると、切なくなる印象も。

でも、実はおそらく修辞的なものなんじゃないかな。


なぜなら、次に採り上げられた『懐風藻』所収の文武天皇の五言律詩も、似たり寄ったりの内容だからです。

第4句「何以拙心匡(何を以ってか拙心<未熟な心>を正さん)」第6句「何救元首望(何ぞ元首の望みを救わん<果たす>と)」、だけど、第7句「然毋三絶務(しかれども三絶<書物をくりかえし読む。『史記』の孔子の説話から>の務めなし)」。


両者とも優等生的、いわば“いい子ちゃん”的な内容にとどまっており、本心を述懐した、という内容からはほど遠そう。


はじめて、真の意味での述懐詩たりえたのは、藤原宇合(うまかい)の七言古詩です。

「在常陸贈倭判官留在京(常陸にありて倭判官の留まりて京にあるに贈る)」(『懐風藻』)。

古詩は絶句・律詩ではない形式で、この詩はなんと18句からなり、集中もっとも長い詩になります。第9句目から換韻されています。これだけの詩を詠むとは、宇合の力量が示されています。


才能をなかなか認められない奈良の京にいる友人を思い、常陸守として遠く任国に下り辺境にある自らの境遇とも重ね合わせ、その友情を詠った内容になっています。宇合は、藤原不比等の子で、武智麻呂・房前の弟にあたる人物。のちの式家の祖です。参議正三位に至る。宇合さんは武人的な印象が強いけれど、かなりの詩人だったということがいえそうです。

ちなみに、詩を贈られた「倭判官」は、大倭小東人(やまとのこあずまひと、のち大和長岡<やまとのながおか>)という人物。「判官」からわかるとおり三等官で、従七位上という記録が見えます。


確かに、不比等の息子と従七位上の役人というと、なんだか不釣合いな気もしますが、ふたりは遣唐使に同行した間柄なのだそうです。そのときに、互いを認識する機会があったのでしょうか。とても面白い話だと思いました。



★★漢詩 ミニ基礎知識④ 押韻と平仄★★


漢和辞典を引くと、下のような表記がみられる。


くじょう みやび日録-漢和辞典

 1948と1951の漢字は、両方とも去声=仄、「遇」の韻目グループとなる


ちなみに、私の持っている電子辞書の漢和辞典には載っていませんでした! 電子辞書でも調べられるものはあるのかな?


韻は現在106のグループにわけられており、これを示した韻目表は漢和辞典の付録などに掲載されている。同じグループに属す漢字を使えば、とりあえず韻を踏むことができるというわけだ。


同時に漢和辞典では「平仄」(ひょうそく)も調べられる。漢字には四声があり(現代中国語の四声とは異なる)、平声が「平」、残りの上声・去声・入声が「仄」にあたる漢字である。


平仄を知らなければならないのは、近体詩には平字・仄字を使う位置などが細かくきまっているからである。


また、実物は目にしていないが、『平仄字典』なるものもあるらしい。


   ※参考文献
    一海和義『岩波ジュニア新書 漢詩入門』岩波書店 1998
    『チャート式シリーズ 基礎からの漢文』数研出版 1989