ライトノベルは (略) 物語を主眼としているのではなく、キャラクターを中心にしたキャラクター小説です。
※佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』ディスカヴァー・トゥエンティー、2010年
「私の歴史に対する姿勢だ!」と思い至り、衝撃を受けたのですが、つまるところ「キャラ読み」というやつです。
私の愛読書に、こんなくだりがあったのを思い出しました。
ある「かなり堅い謀略物」を得意とする作家について話す主人公・郁ちゃんと堂上教官。
「その謀略のスキマに見え隠れする男の友情とかライバル心とかヒロインとの恋愛とかがいいんですよぅ! 一度恋人の前から消えようとするところなんてもう涙なしにはっ! あのシリーズは全部読みましたもん、あたし!」
「……察するにお前、本筋はほとんど覚えてないだろう」
「はいっ! 難しいとこは全部飛ばし読みです。完全にキャラ読みですが何か?」
「いや……あのシリーズをキャラ読みできる才能に今びっくりしてる」 [27頁]
松グリーン、菊イエロー、ブルーローズ、梅レッド、牡丹ピンク。哲学の道を歩きながら、なぜかチビッコのための戦隊物の設定を考え始める作者と友人たち。
「ところで……ボンサイダーは何と戦っているわけ?」
カップルの設定にばかり気を取られて、一番重要な点をすっかり失念していた。 [206頁]
た、確かに……なんだか、通ずるものが。
実は、大学は某文学部史学科でした。
高校時代は、真面目に日本史(特に古代~中世史)を勉強するぞ!! と決めていた純な女学生でした。受験勉強の合い言葉は「待ってろよ!『玉葉』!『吾妻鏡』!!」でした(結局、読むことはありませんでしたが、苦笑)。そのころは、永井路子さんの鎌倉ものに凝っていたんでしょうね……(しかし『玉葉』って九条兼実の日記なんだよね。人の日記読むことに執念燃やして勉強してたんだからすごいよな)
結局、学問的態度など私にあろうはずもなく、“ちゃんとした”歴史の勉強はそんなに面白くないな、と思っただけでした。まあ、史料とか読むのも楽しいこともあるんだけどね。なぜか四年のときは、卒論と全然関係ない伊庭八郎の『征西日記』とか読んで、伊庭ちゃんの食べっぷりにウケたりしてましたけど。
卒論といえば……さすがにキャラ読みはできなかったけど(当たり前だ)、詰まったときは「卒論ノート」に落書きをしていました。
「卒論と名の付く小説を仕上げてやる! 卒論は、小説だ! ツジツマのあった、血塗られたキョーフの小説。作者(ワタシ)の意志次第でどーにでも曲げられる、「論文」という名でデコレートされた小説。やってやろーじゃん、ふんッだッ」
「ヤケになってキャラスケッチする女。」 ↓
ノートに鉛筆書きなのでまったくもって見えねー、ですがこんな雰囲気。左上が桓武天皇、右上が早良親王。
章タイトルとかつけないといけなくて、冗談で友人に「桓武がゆく」「燃えよ平安京」とか言って笑いをとりにいってました……
やっぱり当時からバリバリのキャラ読みなのでした。