目白~千川散歩 3月4日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第176回 目白~千川散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は目白駅から。

 

 

まずは、赤い鳥社・鈴木三重吉旧宅跡を紹介してから、目白庭園へ。

 

 

目白庭園は、豊島区目白3丁目にある、都市化や国際化が進む豊島区で、自然と接し伝統文化を育む場として、公立学校共済組合住宅跡地に平成2年(1990)11月に開園した区立庭園。

敷地面積は約2,842㎡、表門は長屋門の作りで、周囲は築地塀に囲まれ、中央に池を配し、水際に築いた石垣の上に京都の北山杉を用いた木造瓦葺の数奇屋建築「赤鳥庵」が建てられています。

赤鳥庵という名称は、大正7年(1918)に鈴木三重吉によって創刊された童話雑誌『赤い鳥』から採ったもので、建物は茶道・華道・句会・碁会や各種会合に利用されています。

 

目白庭園の次は、池袋5号踏切へ。

 

 

池袋5号踏切は、西武池袋線池袋~椎名町間にある踏切。

踏切がV字の形状をしており、電車が来ると4本の遮断桿が一斉におりる様子が見られます。

この光景が珍しいとメディアにも取り上げられたことがあり、また踏切の傍らには踏切地蔵が安置されていて、交通の安全を見守っています。

 

池袋5号踏切の次は、宮下橋跡へ。

 

 

宮下橋は、かつてこの地を流れていた谷端川に架かっていた橋。

谷端川は、豊島区および北区、板橋区、文京区を流れていた、粟島神社境内の弁天池を水源とし、水道橋の西で神田川に合流した、延長約11kmの河川。

現在は川の全域が暗渠化され下水道幹線となっており、その上は谷端川緑道になっています。

 

宮下橋跡の次は、金剛院へ。

 

 

途中、1955年創業と昭和の佇まいを残す理髪店「ラッキー」の店頭に置かれたピンク電話に全員注目。

 

 

金剛院は、豊島区長崎1丁目にある、「蓮華山金剛院佛性寺」と称する真言宗豊山派の寺院。

本尊は、阿弥陀如来を中心に観音菩薩と勢至菩薩を脇侍として配した阿弥陀三尊で、聖弁和尚によって大永2年(1522)に開創。

開創当時は現境内地から北西方向に800mほど離れた、長崎3丁目の観音堂の位置にあったといわれており、宝永6年(1709)頃、現在地に移転。

その後、安政年間(1854~1860)には、寺子屋が開設された他、明治の神仏分離令発布までは、長崎神社の別当寺を務め、さらに明治34年(1901)には、寺内に長崎村役場が置かれていました。

境内は、昭和29年(1954)に建てられた鉄筋コンクリート造の本堂と昭和9年(1934)に建てられた客殿が、平成26年(2014)に国の登録有形文化財に指定。

また安永9年(1780)に建立された薬医門様式の山門(赤門)が、平成6年(1994)6月に区の有形文化財に指定されています。

他にも「赤門テラス なゆた」というカフェや創造の縁を結ぶ「マンガ地蔵」などが知られており、門前には不動明王を祀る長崎不動尊があります。

 

 

本尊に不動明王、脇仏に明王を護る従者である制吒迦と矜羯羅二体を安置している長崎不動尊。

昭和21年(1946)10月(金剛院のホームページには昭和24年に建立と記載)に当地に祀られ、同時に長崎不動講が結成されて、地域の人々が不動尊の運営と管理を行っています。

また、お堂の脇には、子供たちにも不動明王に親しんもらえるようにと、ゆるキャラ化された「ナータくん」が安置されています。

 

金剛院の次は、長崎神社へ。

 

 

長崎神社は、豊島区長崎1丁目に鎮座する、須佐之男命と櫛名田比売命を御祭神として祀る神社。

創建年代は不詳ですが、元来、櫛名田比売命を祀り、豊島郡長崎村の鎮守として信仰を集め、江戸時代中期には「十羅刹女社」とも称され、境内には享保18年(1733)に奉納された「十羅刹女」と刻まれた手水鉢が残されています。

また隣接する金剛院は、明治の神仏分離令発布まで長崎神社の別当寺で、その後、明治5年(1872)に村社となり、明治7年(1874)には、須佐之男命を合祀して「長崎神社」と改称し、現在に至ります。

境内は、精緻な彫刻物を有する本殿が嘉永2年(1849)に、拝殿は明治32年(1899)に建立されたもので、旧社殿は絵馬を納める額堂として使用。

なお行事は、9月の例大祭の他、毎年5月に奉納される「長崎獅子舞」が有名で、こちらは、元禄年間(1688~1704)から伝わる民俗芸能として、区の無形民俗文化財に指定されています。

 

長崎神社を参拝した後は、戦後の重大事件の一つである帝銀事件の跡地を案内し、椎名町サンロードへ。

 

 

賑やかな商店街を北に進み、洋菓子店「パティスリー木花」と地元で人気のパン屋さん「ベーカリーハラダ」でおやつ&お土産用のお買い物タイム。

 

お買い物の後は、さくらが丘パルテノン跡へ。

 

 

さくらが丘パルテノン跡は、豊島区長崎2丁目にある長崎アトリエ村(※)の跡の一つ。

さくらが丘パルテノンは、昭和11年(1936)から昭和15年(1940)にかけて、アメリカ帰りの資産家·初見六蔵が建てたもので、かつては60軒以上の借家があったといい、各家の道路沿いに1本ずつの桜の木が植えられたため、この名称で親しまれました。

アトリエ村の借家は、赤いセメント瓦の屋根に板張りの壁の平屋で、北側が15畳ほどのアトリエになっており、大きな窓や天窓があり、石炭ストーブやシャンデリアも付いていました。

一方、居室部分は3畳か4畳半と狭く、その他、玄関を兼ねた土間に流しが置かれ、便所が付くだけでした。

建物は絵画や彫刻を勉強する学生向けの、モダンではあるが簡素な住宅で、彼らは集団で住み、創作活動に励み、議論を戦わせ、ともに遊びもしました。

そして、ここでの活動を足がかりにして、後に多くの芸術家が巣立っていきました。

現在、その跡地の一部が長崎二丁目中央児童遊園として整備され、公園には当時の様子を紹介する掲示板が掲げられています。

 

※大正年間(1912~1926)、都市部を中心に自由主義の風潮が広がり、また洋風文化が浸透。

それを背景として、1930~1940年代には、池袋にほど近い豊島区の長崎地区にアトリエ付借家群である「長崎アトリエ村」と呼ばれた芸術家コミュニティが存在しました。

長崎アトリエ村は、長崎2丁目25・26・30番にかけての「さくらが丘パルテノン」、要町1丁目28・32・37番にかけての「すずめが丘アトリエ村」、千早2丁目30番の「つつじが丘アトリエ村」の3箇所が主要なものでした。

なお、現在は芸術家たちが集った池袋の街を含め、「池袋モンパルナス」と呼ばれることが多いです。

 

さくらが丘パルテノン跡の次は、西向不動尊へ。

 

 

西向不動尊は、豊島区長崎2丁目にある不動尊。

旧長崎村字西向の人たちによって、大正15年(1926)に創建されたといい、元々はこの場所よりやや北の小川に架かる橋の袂にあり、その周辺には水が湧き出していて洗い場がありました。

その後、当地区の耕地整理によって現在地に移され、それ以来、地域の人々に親しまれてきましたが、70余年を経て風化が進み、地元賛同者の協力により、平成11年(1999)に再建され、同年7月18日に入魂式が執り行われました。

 

西向不動尊の次は、千早フラワー公園へ。

 

 

途中、人一人分の路地を一列になって行進。

 

 

千早フラワー公園は、豊島区千早1丁目にある、平成2年(1990)10月に開園した、面積約5,542㎡の区立公園。

園内の北側に東京都交通局12-000形電車(試作車12-001・12-002)2両が静態保存されており、これらは昭和61年(1986)に都営地下鉄12号線(現在の都営大江戸線)用の試作車として製造されたもので、試験終了後、豊島区に無償譲渡され、平成3年(1991)に公園内に設置。

4月から10月までは9:00~17:00、11月から3月までは9:00~16:00の間、12-001の車内を一般公開しています。

 

 

到着後、まずは、12-001車両の中でおやつタイム。

 

 

おやつを食べた後、車内で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

千早フラワー公園の次は、熊谷守一美術館へ。

 

 

熊谷守一美術館は、豊島区千早2丁目にある、画家·熊谷守一(1880~1977)の旧宅跡地に建つ美術館。

昭和60年(1985)に熊谷守一の次女·熊谷榧さん(1929~2022)が私設で美術館を開館。

榧さんはこの地に末永く熊谷守一美術館を続けてほしいと思い、所蔵していた守一の作品153点を豊島区に寄贈し、平成19年(2007)11月5日、「豊島区立 熊谷守一美術館」となりました。

展示されている熊谷守一の作品は、油絵、墨絵、書など多岐にわたり、常時60点の作品が楽しめるようになっていて、1階にある第1展示室には、油絵を中心に約30点、2階の第2展示室には、墨絵や書、オイルパステル画、クロッキー等、初期から晩年までの様々な作風の作品が並べられています。

また3階ギャラリーは、企画展示室として使われたり、貸しギャラリーとして週替わりで様々な作家の個展が開催される他、デッサン会、彫刻教室など美術館主催の企画事業が行われています。

(1・2階展示室は撮影禁止)

 

 

伺ったとき、3Fギャラリーでは、昨年亡くなられた美術館創設者で画家の熊谷榧さんの「追悼 熊谷榧 展」が開催されていました。
榧さんは、旅や山、またスキーの愛好者だったようで、ギャラリーにはそれにまつわる絵が盛りだくさん。

こちらは撮影OKでしたので、何枚か写真を撮らせていただきました。

 

熊谷守一美術館の次は、粟島神社へ。

 

 

途中、つつじが丘アトリエ村跡にも立ち寄り。

峯孝作品展示館とありましたが、閉館されてるようなので、外観のみ見学。

 

 

粟島神社は、豊島区要町2丁目に鎮座する少彦名命を御祭神として祀る神社。

由緒は、創建は鎌倉時代の末期といわれ、江戸時代に編纂された地誌『新編武蔵風土記稿』によれば「弁天社」として長崎村の村民に守られてきたとあります。

そして、明治維新後の神仏分離政策等もあって、正式名称を「粟島神社」とし、長崎神社の境外末社となり、今日に至りました。

なお御神徳は、五穀豊穣・病気平癒・商売繁盛・学業成就で、弁天池は谷端川の水源でした。

また境内にはフランスの芸術家·ローレント・マイシンがデザインした梟像が置かれています。

 

粟島神社の次は、千川彫刻公園へ。

 

 

千川彫刻公園は、豊島区千川1丁目にある、平成5年(1993)4月に開園した、面積約645㎡の区立公園。

彫刻家·中野素昂(1897~1985)のアトリエ跡地に造られた公園で、峯孝の『春』、中野蒋の『少女と仔やぎ』、中野素昂の『空を見あげる』『坐像』の4体のブロンズ像が鑑賞できます。

 

千川彫刻公園で芸術鑑賞をした後、千川駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと「魚民 千川駅前店」で懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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