下赤塚~東武練馬散歩 9月28日(水) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第172回 下赤塚~東武練馬散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は下赤塚駅から。

 

まずは、パン工房 ブランジェリーケンへ。

 

 

こちらは、下赤塚駅近くにある地元で人気のパン屋さん。

お散歩途中で食べるおやつをここで調達。

 

パン工房 ブランジェリーケンの次は、前谷津川緑道へ。

 

 

前谷津川緑道は、板橋区にある暗渠化された前谷津川の上部に整備された緑道。

前谷津川は板橋区を流れる荒川水系の河川で、赤塚新町2丁目などの水源から水を集め、赤塚・四葉・徳丸・西台・高島平を流れ、新河岸川に合流。

早くから生活用水として、また水田の用水として利用されてきましたが、周辺の宅地化にともない、昭和59年(1984)に全区間が暗渠化され、現在は、その流路跡の一部が緑道となっています。

 

前谷津川緑道の次は、水車公園へ。

 

 

水車公園は、板橋区四葉1丁目に所在する、水車公園と日本庭園に分かれている区立公園。

水車公園があるこの地域は区内有数の水田地帯で、「徳丸田んぼ」と呼ばれ、水車小屋や水田風景は珍しいものではありませんでした。

そこで、水車公園では農業の歴史と暮らしを再現するために、水車と水田を復元。

水車公園内の水車は上掛け式で、池から流れ落ちる水で水車を回し、その回る力を動力として、小屋の中で米をついたり、粉をひくことができます。

また水田では毎年、近隣の小学生たちが田植えや稲刈り等を行っています。

 

水車公園の次は、公園内にある日本庭園へ。

 

 

日本庭園は、平成元年(1989)4月、区画整理事業の竣工を記念し、「郷土の森に恵まれた清流とその恵み」をテーマとして、前谷津川の名残として水景を配して築造。

庭園内には浄土形式の茶庭に囲まれた、銅板葺き木造平屋造りの茶室「徳水亭」があります。

 

水車公園の次は、旧粕谷家住宅へ。

 

 

旧粕谷家住宅は、板橋区徳丸7丁目にある、木造平屋建、寄棟造、茅葺の古民家。

旧粕谷家住宅は、江戸中期に徳丸脇村の名主·粕谷浅右衛門が隠居に際して建てた住まいで、「東の隠居」と呼ばれ、調査の結果、享保8年(1723)の墨書が見つかり、建築年代が正確にわかりました。

そして、当住宅は茅葺屋根を残しながら、土間に床を張る、間仕切りを設ける、仏壇や神棚を設けるなどの改造を経て、平成に至るまで住み継がれ、復元工事では、痕跡を細かく調べ、建築当初の姿に戻しました。

建築の特徴は、①土間境に建つ三本の大黒柱 ②押板 ③しし窓 ④三間四方の板間の四点で、これらは、関東地方の古民家に認められる特徴ですが、その四点すべてを構えている例は大変珍しく、また建築年代が明らかな民家としては都内最古級であり、江戸近郊の上層農家の発達過程や地域的特色を示すものとして、高い歴史的・学術的価値を有しており、東京都指定有形文化財(建造物)に指定されています。

 

旧粕谷家住宅の次は、徳丸北野神社へ。

 

 

徳丸北野神社は、板橋区徳丸6丁目に鎮座する、菅原道真公を御祭神として祀る神社。

由緒は『武蔵国豊嶋郡徳丸郷天神宮紀』によれば、正暦年間(990~995)に疫病が流行した際、梅の古木に里人の徳麿が祈願したところ霊験があったので、長徳元年(995)、京都の北野天満宮から分霊を勧請したのが始まり。

江戸時代には、「天神社」または「天満宮」の社号で呼ばれましたが、明治6年(1873)に「北野神社」と改められました。

また当社で毎年2月11日に行われる「田遊び」は、その年の五穀豊穣や子孫繁栄を祈願して行われる予祝の祭事で、当社を造立したときに、その奉祝行事として「田阿曽美之祭」を行ったのが始まりとされ、創始から千年以上にわたって休むことなく行われてきた、国指定重要無形民俗文化財です。

 

徳丸北野神社の次は、徳石公園へ。

 

 

こちらの公園前のベンチに腰かけて、おやつタイム。

 

おやつタイムの後は、昆虫公園へ。

 

 

昆虫公園は、板橋区徳丸3丁目に所在する、崖地の雑木林を整備した昆虫をテーマにした区立公園。

以前は、雑木林の中に昆虫舎、蝶舎、標本室などがあったようですが、それらの施設は既に撤去。

緑豊かな自然だけが残されていて、昆虫たちと触れ合うことができます。

 

 

昆虫公園を散策後、記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

昆虫公園の次は、中尾観音堂へ。

 

 

中尾観音堂は、板橋区徳丸2丁目にある単立寺院。

創建年代等は不詳ながら、昔から徳丸脇村にあった観音堂で、福壽山慈眼院と称していたといいます。

建物は平成5年(1993)3月に新築。

平成13年(2001)に宗教法人として設立登記されました。

 

中尾観音堂の次は、中尾不動尊へ。

 

 

中尾不動尊は、板橋区徳丸2丁目にある真言宗寺院。

創建は明治7年(1874)といい、仏堂の中には中央に不動明王坐像、坐像下部の左右に矜羯羅童子と制吒迦童子、二人の脇侍が安置されています。

なお、不動尊前の不動通りの名前の由来は、この中尾不動尊からとったものだといわれています。

 

中尾不動尊の次は、北町浅間神社へ。

 

 

途中、複雑な地形をした板橋区徳丸1丁目の、まるで迷路のような路地と坂道スポットを案内。

 

 

北町浅間神社は、練馬区北町2丁目に鎮座する、木之花開耶姫命を御祭神として祀る徳丸北野神社の兼務社。

由緒は、創建は不詳ながら、当社の「神社明細帳」によると、「明治時代より此地に築かれたと由来伝へられ、将軍(5代綱吉)当時、町をあげての祭礼もありたりという。富士浅間神社の霊山、こと更に敬神厚し。宿場の街として賑わいたりしも、氏子数は参拾数軒余で、南部四、五十軒あり。明治前に第一回の築造、明治初年に第二回の築造、街内の発展に伴ひ、昭和三年十月第三回の築造に、立派なものに成功せり」(※)とあります。

また当社の富士塚は「下練馬の富士塚」の名称で、練馬区指定有形民俗文化財に指定されており、毎年7月1日には御山開きの神事を催行。

他にも境内には、境内社として天祖神社と神明社が祀られています。
 

※現地説明板には、明治の前に第一回、明治五年六月に第二回、昭和二年六月に第三回の築造が行われたと表記。

 

北町浅間神社の次は、北町観音堂へ。

 

 

途中、石田三成にゆかりがあるという白狐稲荷霊石をチェック。

 

 

北町観音堂は、練馬区北町2丁目にある石観音堂。

ここには、「北町聖観音座像」をはじめ、「北町の仁王像」や「馬頭観音」、庚申塔など数多くの石造物があります。

江戸周辺を探訪した小石川の僧が記した紀行文『遊歴雑記』にも、文化12年(1815)にここを訪れた記述があり、旧川越街道を往来する人々の信仰や赤塚村への分岐路の目印にもなっていたことがわかります。

 

 

北町聖観音座像は、天和2年(1682)の銘がある、高さ270㎝の区内最大の石仏。

練馬区指定有形民俗文化財に指定されています。

 

 

北町の仁王像は、天和3年(1683)の銘がある、重厚な造りの阿形像と吽形像で、練馬区登録有形文化財に指定されています。

 

 

馬頭観音は、高さ138㎝、頭上に馬頭を載き、忿怒の相をしています。

制作年は不詳ですが、江戸時代の造立と推測されます。

 

北町観音堂をお参りした後は、東武練馬駅へ。

 

駅に着いてお散歩終了、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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