荻窪周辺ぐるっと散歩 4月30日(土) | 東京散歩道

東京散歩道

「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第169回 荻窪周辺ぐるっと散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は荻窪駅北口から。

 

 

まずは、荻窪教会通り商店街をぶらぶら。

 

 

途中、「和菓子 榛名屋」と「手作りパン TAMAYA」に立ち寄って、おやつを調達。

 

おやつを調達後、天沼弁天池公園へ。

 

 

天沼弁天池公園は、杉並区天沼3丁目にある、平成19年(2007)に開園した区立公園。

元々は、近くにある天沼八幡神社の境外地で、敷地内には自然の湧水を湛えた天沼弁天池がありました。

天沼弁天池は、天沼の地名の由来ともされている池で、池の中央には弁財天を祀った島があり、池の水は桃園川の水源の一つとして、流域の農民にとって重要な役割を果たしていたことから、大正時代半ば頃まで、雨乞いの行事も行なわれていました。

しかし、付近の宅地化とともに、池の湧水は涸渇(※)。

昭和50年(1975)、一帯は西武鉄道に売却され、西武ゴルフ研修所となりました。

その後、平成19年(2007)に杉並区に売却され、広場と杉並区立郷土博物館分館などが造られました。
※現在の池は公園になる以前、人工的に造られた池を残したもので、井戸水を利用しています。

 

続いて、杉並区立郷土博物館分館へ。

 

 

杉並区立郷土博物館分館は、天沼弁天池公園の開園と同時にオープンした博物館。

2棟の建物が離れて設けられており、西棟1階展示室では、区民の参画による展示が継続的に行なわれ、2階では企画展(※)や大宮1丁目にある本館との巡回企画展などが催されます。

また、ウッドデッキがある東棟1階は休憩スペースで、各種イベントにも使われます。

※今回見学したのは、6月5日(日)まで開催している『郊外住宅地 杉並の成り立ち -杉並の同潤会・団地・住宅地-』(実施団体:杉並たてもの応援団)。

この企画は区内の住宅開発の歴史を振り返るパネル展。

モダンなアパートで有名な同潤会は、関東大震災被災者の仮設住宅、庶民向け長屋やサラリーマン向け戸建て住宅地を区内で手掛けており、また戦後、現UR都市機構による阿佐ヶ谷団地、荻窪団地などは、高度成長期の住宅難に応えて建設されました。

それら住宅地の形成からみた杉並を紹介しています。

 

 

博物館見学後は、公園で一回目のおやつタイム。

 

おやつを食べた後は、天沼八幡神社へ。

 

 

天沼八幡神社は、杉並区天沼2丁目に鎮座する、主祭神に応神天皇(誉田別命)を祀る神社。

旧天沼村字中谷戸の鎮守で、天正年間(1573~1592)の創建と伝えられており、明治40年(1907)に四面道の鎮守であった厳嶋神社(御祭神·市杵嶋比売命)を合祀して、御祭神が二柱となり、昭和2年(1927)に村社となりました。

境内には末社として、稲荷神社・須賀神社・金山彦神社・日枝神社があり、日枝神社は、江戸時代、天沼村が赤坂日枝神社の社領であったため、この地に奉斎されました。

また摂社である大鳥神社(御祭神·日本武尊)は、商売繁盛の神様として信仰されており、毎年11月の酉の日には、酉の市が立ちます。

 

天沼八幡神社の次は、知る区ロード・ときのオアシスへ。

 

 

知る区ロードは、杉並区が防災のまちづくりの意図で昭和63年(1988)から始めた施策。

全長約36㎞になる東西の輪が重なるようにしてつながる散策路を形成しており、区内の主な名所旧跡や公園、区の施設などを巡れるようにルートが設定され、この道を辿ることで、杉並区全域を周遊でき、区を知ることができるロードの意味をこめています。

また、遊歩道の途中に4カ所、建築家の六角鬼丈氏が設計した「オアシス」と名付けられたポケットパークを設置。

ときのオアシスは、天沼もえぎ公園(天沼3丁目)に併設された休憩所で、止まった時間、焼きついた時間を表現した「時の門」、タイムカプセルが埋め込まれた「日時計」、地底潜望鏡が埋め込まれた「地界の天庭」があり、すぐ隣に自然生態園もあります。

 

知る区ロード・ときのオアシスの次は、なないろこみち七福神へ。

 

 

なないろこみち七福神は、杉並区天沼3丁目にある、平成20年(2008)4月27日に誕生祝いのイベントが開かれたことぶき通り商店街のキャラクター。

生みの親は、イラストレーターの上原寛子さん。

商店街に住む七福神の妖精たちという設定で、木馬の宝船に乗ってパトロールをしながら、商店街に来てくれたお客さんにご利益があるようにと、日々修行を続けているのだとか。

 

 

なないろこみち七福神を見た後は、荻窪銀座街の路地をチェック。

 

 

その後、なみすけギャラリーがある荻窪地下道を抜けて、荻窪の南側エリアに入り、明治天皇荻窪御小休所へ。

 

 

明治天皇荻窪御小休所は、杉並区荻窪4丁目にある旧跡。

もとは旧下荻窪村の名主·中田家の邸内にあった長屋門と御休所で、明治天皇が明治16年(1883)4月に埼玉県飯能の近衛師団演習統監に向かわれる途中と、同月、小金井での観桜会に向かわれた折にも小休所として利用。

長屋門は江戸時代に建てられたもので(※)、昭和9年(1934)に「明治天皇御小休所」として史跡指定を受けますが、戦後指定を解除。

さらに昭和62年(1987)、藤澤ビルディング建設に伴い、敷地の南側に移築、復元されました。
※中田家は、第11代将軍·徳川家斉が寛政年間(1789~1801)に鷹狩で度々訪れた際、休憩に立ち寄ったといわれますが、その折、地域の名家といえども農家に将軍が立ち寄るのでは威光に関わると、将軍家が中田家に命じ、特別に武家長屋門を造らせたといいます。

 

明治天皇荻窪御小休所の次は、西郊ロッヂングへ。

 

 

西郊ロッヂングは、杉並区荻窪3丁目にある歴史的建造物(国の登録有形文化財)。

昭和13年(1938)に建てられた銅板葺ドーム屋根の洋風建築です。

建物は昭和6年(1931)に建てられた本館(もとは洋風下宿)と連結しており、本館は昭和23年(1948)に改装され新たに旅館「西郊」として今も営業中。

元々は、本郷にあった下宿屋で、関東大震災が発生したことで、昭和6年(1931)に荻窪に移転。

新館を増築し、本館が旅館、新館が高級下宿「西郊ロッヂング」となりました。

なお、新館は平成13年(2001)の改修後、高級下宿から賃貸アパートへと生まれ変わっています。

 

西郊ロッヂングの次は、大田黒公園へ。

 

 

大田黒公園は、杉並区荻窪3丁目にある、音楽評論家·大田黒元雄(1893~1979)の屋敷跡地を日本庭園として整備し、昭和56年(1981)に開園した区立公園。

面積は8972.31㎡あり、そのうち公園の約30%にあたる2679.63㎡が、大田黒氏の遺志により遺族から区に寄付された部分で、公園化に際し、できる限り原形保持を図って整備された園内には、正門から延びる大イチョウの並木をはじめ、ケヤキ、アカマツ、シイノキなど、巨木がうっそうと茂っています。

また園内には、数寄屋造りの茶室、民家の土間を思わせるような休憩室の他に、昭和8年(1933)に建てられた西洋風の建物(大田黒氏の仕事部屋)が記念館として保存されており、室内には、生前氏が愛用していたスタインウェイ社製のピアノや蓄音機などが残されています。

 

大田黒公園の次は、角川庭園・幻戯山房 ~すぎなみ詩歌館~ へ。

 

 

角川庭園・幻戯山房は、杉並区荻窪3丁目にある区の施設。

俳人で角川書店の創設者である角川源義(1917~1975)の旧邸宅の寄贈を遺族から受けた杉並区が、平成21年(2009)5月に区立公園として開園。

幻戯山房と名付けられた近代数寄屋造りの建物(昭和30年竣工、国の登録有形文化財)は、旧書斎が展示室で、角川源義ゆかりの品や俳句などが展示されています。

その他にも、句会等を催せる詩歌室や茶室が設けられており、有料で利用することができます。

また庭園は、ウメやサツキ、サルスベリなど四季折々の草木や花が楽しめる日本庭園となっています。

 

角川庭園・幻戯山房の次は、荻外荘公園へ。

 

 

荻外荘公園は、杉並区荻窪2丁目にある、荻外荘(※)の庭園であった南側部分を一般開放している区立公園。

現在、具体的な整備に向けた「(仮称)荻外荘公園整備基本計画」を策定し、近衛文麿居住当時への復原に向けた取り組みを進めています。

※昭和前期に総理大臣を3度務めた政治家·近衛文麿の邸宅。

当初は、昭和2年(1927)に、大正天皇の侍医を務めた医師の入澤達吉が、建築家の伊東忠太に設計を依頼して建てた邸宅で、昭和12年(1937)に近衛が入澤から邸宅を譲り受け、その後、西園寺公望が「荻外荘」と命名。

近衛は、ここで政治会談や第二次・第三次近衛内閣の組閣を行うなど、荻外荘は、近衛の主要な政治の場となりました。

特に、昭和15年(1940)の「荻窪会談」は、第二次近衛内閣の基本方針が確認された会談として有名です。

また、戦後、昭和20年(1945)12月16日に近衛は邸内の書斎で自決しました。

このように、荻外荘は昭和期の政治の転換点となる重要な会議が行われた場所として、平成28年(2016)3月1日に国の史跡に指定されました。

 

 

初日の記念写真は荻外荘公園で。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

荻外荘公園の次は、与謝野公園へ。

 

 

途中、環八通り沿いにある「パン工房 PukuPuku」に立ち寄って、再びおやつを調達。

 

 

与謝野公園は、杉並区南荻窪4丁目にある区立公園。

与謝野公園は歌人·与謝野晶子・寛(鉄幹)夫妻が晩年を過ごした住居跡地で、晶子が昭和17年(1942)に63歳で生涯を終えた後、昭和57年(1982)から30年間は「南荻窪中央公園」として親しまれてきました。

その後、平成18年(2006)頃「公園に与謝野の名を冠して町おこしを」との声があがり、これを受けて、区が公園の拡張と再整備に着手。

晶子没後70年の節目となる平成24年(2012)4月28日、名称を改め「与謝野公園」として開園しました。

園内に晶子自身が設計した住居は残っていませんが、門柱を設け、玄関へ続く通路をまねて、かつての与謝野邸を訪ねる風情を感じとれる設計がなされており、門柱脇の花壇には、「花咲かせ隊」の協力で四季折々の花が彩りを添え、またケヤキの大木やヤマモモ、住居があった当時と同じく藤棚などが配されています。

さらに最大の特徴は、庭園に調和した歌碑14基。

これは歌人の松平盟子さんらが選定。

人生・恋・家族にまつわる夫妻の名歌が1首ずつ刻まれています。

他にも、門柱を挟むように位置する2枚の案内板「与謝野寛(鉄幹)晶子旧居跡」には、夫妻が荻窪に居を構えた経緯や晩年の生活模様を記載。

実際の住居(「采花荘」「遙青書屋」「冬柏亭」)の平面図もあり、往時に思いを馳せることができます。

また夫妻が好んで植樹したツツジや、晶子が多くの歌に詠んだツバキなども点在しています。

 

 

与謝野公園で、二回目のおやつタイム。

 

そして、与謝野公園を後にし、荻窪南口仲通り商店会を抜け、荻窪駅南口に出てお散歩は終了。

 

その後、ご希望されたメンバーさんと軽く打ち上げをして解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com