明大前~三軒茶屋散歩 2月23日(水) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第166回 明大前~三軒茶屋散歩」の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は明大前駅から。

 

まずは、扶桑教太祠へ。

 

 

扶桑教とは、第二次世界大戦前の神道十三派(教派神道)の一つで、長谷川角行を開祖とし、富士信仰を中心とする山岳信仰を基盤として、明治維新後に組織化されたもの。

薩摩出身の宍野半が明治6年(1873)に結成した富士一山講社が、明治8年(1875)に神道事務局所属の扶桑教会、ついで明治15年(1882)に扶桑教として一派独立した、神道教団の一つです。

扶桑教太祠には、御祭神として大祖参神(天之御中主大神・高皇産霊大神・神皇産霊大神)、相殿に天照大御神・月夜見大神・木花開耶姫大神・彦火瓊々杵大神・天神地祇八百萬神が祀られており、境内には平成29年(2017)に復興竣工した扶桑富士塚がある他、ツーリングライダーの拠点で、交通安全、厄除開運、商売繁盛、出世開運、学業成就、合格成就のご利益がある全国オートバイ神社第零号総本庁「道開社」が鎮座しています。

 

扶桑教太祠の次は、松原一丁目日章館亀井邸市民緑地へ。

 

 

松原一丁目日章館亀井邸市民緑地は、世田谷区内に16ある市民緑地の一つ。

枝垂桜やヒマラヤスギをはじめとする多様な庭木を集め、育てていた、昭和5年(1930)に建てられた洋館付和風住宅のお庭。

完全に宅地化された松原地区の中で、みどり豊かな空間を後世へ残し、かつての生活文化を伝え、地域の絆を深めようと、地域の人々により、様々に活用されています。

 

 

ちょうどお伺いしたときは、ひな祭りイベントの最中で、色鮮やかな吊るし雛の数々を見せていただきました。

 

松原一丁目日章館亀井邸市民緑地の次は、羽根木公園へ。

 

 

途中、美濃屋豆腐店に寄って、おやつ用の豆乳ドーナッツを購入。

 

 

羽根木公園は、世田谷区代田4丁目(一部は松原6丁目)に所在する、総面積約79,650㎡有する区立公園。

由来は、その昔、六郎次という鍬や鎌を作る鍛冶屋が住んでいたことから「六郎次山」と呼ばれていました。

また、大正時代末期には、敷地の一部が、根津財閥の所有地であったことから「根津山」とも呼ばれました。

羽根木の名称は、この地が荏原郡世田谷村大字羽根木の飛地であったことからで、東京都が昭和31年(1956)、羽根木公園として開設。

その後、昭和40年(1965)に世田谷区に移管され、昭和54年(1979)には、国際児童年を記念して、全国で初めての冒険遊び場であるプレーパークが開設されました。

 

 

羽根木公園は、全体が小高い丘になっており、南斜面地は笹が生い茂っていましたが、昭和42年(1967)に世田谷区議会議員に当選した55名により、55本の梅の記念植樹が行われました。

その後、昭和46年(1971)の東京都100周年記念や昭和47年(1972)の世田谷区制40周年などの記念植樹を経て、現在は約60品種、約650本(紅梅約270本・白梅約380本)を数える都内でも屈指の観梅の名所となり、毎年2月の梅の見頃には、地元の実行委員会による「せたがや梅まつり」が開催(今年は中止)されます。

 

羽根木公園の次は、代田富士356広場へ。

 

 

途中、パン・ド・ラサでパンを購入し、代田富士356広場でおやつタイム。

 

 

代田富士356広場は、世田谷区代田3丁目に所在する、小田急線のトンネル上部に整備された区立の広場。

この整備プランは、地域の人たちとワークショップ形式の検討会により作り上げたプランで、広場からは、電車がトンネルに出入りする様子が見え、天気が良ければ富士山を望める日もあります。

また、線路の模様のある園路や地域の人々の手による花壇など、小さいながらも風景を楽しめる広場となっています。

 

代田富士356広場の次は、世田谷代田駅駅前広場へ。

 

 

代田という地名は、「ダイダラボッチ」に由来するという説があります。

「ダイダラボッチ」は伝説上の巨人で、「山を背負って運び、足跡は湖沼になった。」という天地創造の民話として語り継がれてきました。

かつて、代田の北東部に湧水により形成された低地があり、巨人の足跡に見立てて「ダイダラボッチ」と呼んだともいわれています。

そんなところから、駅前広場には、地域の人々の提案を基に、舗装で「巨人の足跡」が表現されています。

 

世田谷代田駅駅前広場の次は、代田八幡神社へ。

 


 

代田八幡神社は、世田谷区代田3丁目に鎮座する、応神天皇(誉田別命)を御祭神として祀る神社。

由緒は、天正18年(1590)の小田原征伐により後北条氏が滅ぼされ、その配下であった世田谷城主•吉良氏は実相院に籠居。

吉良氏の家臣七家(清水・秋元・齋田・斉田・柳下・山田・大場の代田七人衆)が代田本屋敷付近に土着し、帰農。

翌天正19年(1591)、この代田七人衆により、代田地区(旧下代田、本村、中原、大原)の鎮守として宇佐八幡宮(現•世田谷八幡宮)より御分霊を勧請したことが創祀といい、以来、代田の発展に伴い、幾多の変遷を経ながらも自然崇拝、祖先崇拝を基調に、氏子中より氏神(産土神)として篤く信仰されてきました。

なお、社殿は戦災により炎上したため、戦後再建。

社地は環状7号線の整備に伴い、東側半分が用地として収用されています。

また境内には、現在、区内にある鳥居で2番目に古い、天明5年(1785)に奉納された明神鳥居(区指定有形文化財)が立っています。

 

代田八幡神社の次は、円乗院へ。

 

 

円乗院は、世田谷区代田2丁目にある、代永山真勝寺と号する真言宗豊山派の寺院で、玉川八十八ヶ所霊場50番。

本尊は旧来は不動明王だったと思われますが、現在は大日如来像。

開山、開基などは不詳ですが、記録から遅くとも寛永2年(1625)以前からあったものと考えられます。

境内は享保年間(1716~1736)に一度炎上し、再建されましたが、次は昭和20年(1945)5月25日の空襲で再度、全焼。

この再建にあたり、本堂は昭和29年(1954)、台東区にあった総泉寺(現在は板橋区に移転)の旧本堂を移築しています。

また境内地周辺では、昭和元年(1926)~2年(1927)の耕地整理にあたり、竪穴住居5軒と環濠の断面を発見。

合わせて弥生土器26点が発掘・採集されており、これらは当時、世田谷区内では珍しい、まとまった弥生時代の遺物とされ「円乗院式土器」と呼ばれ、区指定有形文化財に指定。

現在、世田谷区立郷土資料館に保管されています。

 

 

円乗院を拝観後、門前で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

円乗院の次は、若林稲荷神社へ。

 

 

若林稲荷神社は、世田谷区若林2丁目に鎮座する、倉稲魂命と天照大御神を御祭神として祀る神社。

かつては福寿稲荷といい、そこに天祖神社(神明社)が合祀されたもので、明和6年(1769)に地頭(領主)より社領を奉納されていること、また、元禄5年(1692)の手水鉢が残されていることから、江戸時代初期から中期にかけての創建と推測されています。

 

若林稲荷神社の次は、烏山川緑道へ。

 

 

烏山川緑道は、延長約7㎞ある緑道で、千歳台にある千歳温水プールあたりから、三宿の北沢川緑道との合流地点まで続いています。

烏山川は、世田谷区内をかつて流れていた二級河川で、目黒川を形成する支流の一つ。

1970年代以降、ほぼ全面的に暗渠化され、ほとんどが下水道(烏山幹線)へ転用。

その暗渠部が緑道化されて、「烏山川緑道」となりました。

 

烏山川緑道の次は、太子堂八幡神社へ。

 

 

太子堂八幡神社は、世田谷区太子堂5丁目に鎮座する、誉田別尊(応神天皇)を御祭神として祀る神社。

創建年代は不詳ですが、平安時代後期、源頼義・義家親子が陸奥の豪族・安倍氏の征討に向かう途中、当社で戦勝祈願をしたと伝えられており、後の文禄年間(1592~1596)に八幡神社として体裁が整えられました。

境内には、昭和11~12年(1936~1937)に新築整備された社殿、鳥居、神楽殿、社務所がある他、境内社として稲荷神社、出羽三山神社・鹽竈神社、弁天社が祀られています。

また、境内の片隅では「幸せうさぎ」が飼われていて、参拝者の人気を集めています。

 

太子堂八幡神社の次は、ゴリラビルへ。

 

 

ゴリラビルは、世田谷区太子堂3丁目、茶沢通り沿いにある、昭和54年(1979)3月竣工の地上3階建てのビル。

手のひらに少女を乗せた巨大なゴリラが屋上にいることから、太子堂の珍スポットとなっています。

また、2階には、「K- 1ジム三軒茶屋シルバーウルフ」が入っています。

 

ゴリラビルの次は、スカイキャロット展望ロビーへ。

 

 

スカイキャロット展望ロビーは、世田谷区太子堂4丁目にある、キャロットタワー26階にある展望施設。

地上約120mからの眺望を楽しむことができ、西側の展望エリアからは東京西部(季節によっては富士山も)、また東側の展望エリアからは都心の夜景や東京タワーも眺められます。

キャロットタワーは、平成8年(1996)竣工の複合施設で、地下5階・地上27階(利用階26階)建て。

オフィスの他に商業施設や「世田谷文化生活情報センター 生活工房」、「世田谷パブリックシアター/シアタートラム」といった文化施設を併設。

また、東急世田谷線に直結しており、東急田園都市線三軒茶屋駅にも地下通路で接続されています。

キャロットタワーという名称は、公募で選ばれたもので、建設中の外壁の色が人参の色に見えたことから、このような名前になりました。

 

こんなふうに、あちこちご案内して、三軒茶屋駅でお散歩終了。

 

解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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