お散歩ナビゲーター小島信康です。
今回は只今開催中の東京お散歩教室「第165回 西荻窪周辺ぐるっと散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。
出発は西荻窪駅から。
まずは、駅前の「パンの田島 西荻窪店」と「サンジェルマン 西荻窪店」に行って、おやつ用のパンを購入。
続いて、東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアムへ。
東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアムは、杉並区上荻3丁目に所在するアニメーションに関する総合博物館。
「日本のアニメの歴史」から「これからの日本のアニメ」まで、アニメーション全般を総合的に紹介する施設として平成17年(2005)3月に開館。
アニメーションの原理体験やアフレコ体験など、アニメ制作の過程を直接体験できる参加型の展示や、新しいアニメ情報を盛り込んだ企画展など、様々なかたちでアニメについて学ぶことができます。
さらにアニメに関する資料やクリエイターのインタビュー映像などを閲覧できるアニメライブラリー、代表的なアニメ作品を系統立てて上映するアニメシアターなどもあります。
ちなみに名誉館長はアニメーション作家の鈴木伸一氏。
藤子不二雄作品に登場する「小池さん」のモデルとして知られている方です。
東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアムの次は、荻窪八幡神社へ。
荻窪八幡神社は、杉並区上荻4丁目に鎮座する応神天皇を御祭神として祀る神社で、寛平年間(889~898)の創建と伝わる旧上荻窪村の鎮守。
永承6年(1051)、源頼義が奥州の安倍貞任征伐の際、ここに宿陣して戦勝を祈願し、康平5年(1062)に凱旋するにあたり、神恩に感謝して当社を篤く祀ったといいます。
その後、文明9年(1477)に上杉定正の命を受けた江戸城主•太田道灌が、石神井城主•豊島泰経を攻めたとき、この故事にならって当社で武運を祈願。
このとき植えた高野槇の樹一株が、今なお境内に聳える「道灌槇」で、ご神木として崇められています。
また、社殿は数度の造営を経て、明治28年(1895)に本殿、昭和11年(1936)に拝殿が完成。
その他、社宝として、勝海舟の大幟、掛軸などがあります。
荻窪八幡神社の次は、ロケット発祥之地へ。
ロケット発祥之地は、杉並区桃井3丁目にある記念碑。
かつてこの地にあった中島飛行機は、戦後、社名を「富士精密工業」に改め、東京大学生産技術研究所の指導を受け、ロケット開発に着手。
そして、昭和30年(1955)にペンシルロケットの初フライトに成功。
富士精密工業は、その後、プリンス自動車工業、日産自動車、IHIエアロスペースと変遷を重ねましたが、ロケット技術は脈々と受け継がれ、現在の日本の主力ロケットを生み出す原動力となりました。
記念碑は、往時を偲びつつ、宇宙開発の更なる発展を祈念して、平成13年(2001)11月に建立。
碑の中には、ペンシルロケットの実物大の模型が納められています。
ロケット発祥之地の次は、井草八幡宮へ。
途中、西荻地域区民センターの前に設置された、籔内佐斗司氏の西荻窪六童子の一つ『上向き童子』をチェック。
井草八幡宮は、杉並区善福寺1丁目に鎮座する、八幡大神を御祭神として祀る旧上井草村・旧下井草村の鎮守。
明治時代までは、この付近の古い地名から、「遅野井八幡宮」とも呼ばれており、境内東側付近からは縄文時代中期(約4,000年前)の住居址や多くの土器が発見され、その中の顔面把手付釣手形土器は、国の重要文化財に指定。
このように辺りは太古から森も水も豊かで、そのような地で、当宮は900余年の歴史をもつと伝えられ、社前には源頼朝が奥州平定後、報賽のため手植えしたといわれる松が社殿前に雌雄2本植えられていました。
しかし、雌松(赤松)は明治初年に枯れ、都の天然記念物であった雄松(黒松)は、昭和47年(1972)1月、二股に分かれた幹の一方が強風によって折れて以来衰え、翌年枯れてしまいました(現在は2代目の松が植えられています)。
また、当宮は江戸時代、徳川家光による6石余の朱印領の給付や寺社奉行•井上正利に社殿造営をさせるなど、篤く崇敬されており、とりわけ、今川氏堯が寛文4年(1664)に改築した本殿は、現存する区内最古の木造建築物として、拝殿奥の覆殿に奉斎。
祭日は10月1日を中心に、3年ごとに神輿の渡御、5年ごとに流鏑馬の神事が行われます。
初日の記念写真は、天然記念物に指定されていた、源頼朝手植えの松の樹根の一部の前で。
皆さん、撮影ご協力有難うございました。
井草八幡宮の次は、善福寺公園へ。
善福寺公園は、杉並区善福寺に所在する、開園面積約80,264㎡の都立公園。
公園一帯は、多摩川が東京湾に流入して形づくられた隆起扇状地で、武蔵野台地の一部を占めており、標高約50m、西側はほぼ平坦な台地で、東側は石神井川・妙正寺川・神田川などが流れ、起伏に富んだ丘陵になっています。
また、善福寺池は、三宝寺池・妙正寺池・井の頭池とともに武蔵野台地の東側にあって、地底や水辺からの湧水によってできた池である点が共通の特徴。
池の名称は、昔、この付近にあった寺の名からとったと伝えられています。
さらに、ここは交通の便に恵まれず、自然の景観がよく保たれていたことから、この風致を保存するために、昭和5年(1930)10月、都市計画法によって風致地区に指定。
この区域では、建築物その他、工作物の築造、土地の形質変更、樹木・土石の採取、あるいは風致維持に影響ある行為を制限。
その後、昭和32年(1957)に東京都市計画公園として決定され、昭和36年(1961)6月、都立公園として開園。
現在に至ります。
公園到着後、まずは上池から周り、途中広場で一休み。
出発時に買っておいたパンをみんなで食しました。
おやつタイムの後は、市杵嶋神社へ。
市杵嶋神社は、善福寺公園内に鎮座する、市杵嶋姫命を御祭神として祀る、井草八幡宮が管理する神社。
由緒は、源頼朝が奥州征伐の際、この地に宿陣するも、折からの旱魃で軍勢は渇きに苦しみました。
そこで頼朝が飲水を求めて弓筈で7か所に穴をあけましたが水の出が遅く、弁財天に祈り、やっと水を得たという故事(当地の旧名「遅の井」の由来)に倣って、建久8年(1197)に江ノ島弁財天を勧請したのが始まりであると『善福弁才天略縁記』で伝えられており、旱魃の折には、近隣の練馬や中野の村々からも雨乞い祈願に人々が参ったといわれています。
また、かつては社殿へ向かう太鼓橋が架けられていましたが、現在橋は井草八幡宮の境内に移設されており、年に一度、例大祭のときに、池の中にある社殿に向けて臨時の橋が架けられます。
市杵嶋神社を見た後は、遅野井の滝をチェック。
こちらは、頼朝ゆかりの泉が枯れてしまったため、ポンプで水を汲み上げて、往時の湧水の湧き出し口を滝の形で復元しています。
その後も上池の池畔を散策していたら、なんとカワセミと出くわしました。
上池を一回りした後、続いて下池へ。
下池は上池よりも手つかずの野趣あふれる雰囲気。
池の周りをぶらついた後は、知る区ロード・はだしのオアシスへ。
知る区ロードは、杉並区が防災のまちづくりの意図で昭和63年(1988)から始めた施策。
全長約36㎞になる東西の輪が重なるようにしてつながる散策路を形成しており、区内の主な名所旧跡や公園、区の施設などを巡れるようにルートが設定され、この道を辿ることで、杉並区全域を周遊でき、区を知ることができるロードの意味をこめています。
また、遊歩道の途中に4カ所、建築家の六角鬼丈が設計した「オアシス」と名付けられたポケットパークを設置(みみのオアシス、ときのオアシス、はなのオアシス、はだしのオアシス)。
これらはそれぞれ五感で楽しむ工夫が施されており、「はだしのオアシス」は、足の刺激をモチーフにしたオアシスで、民家の庭のようなスペースに、芝生と反射区(足の裏のツボ)を表した大きな足形石「足裏経絡石」と、裸足になって足裏の刺激を感じて歩く「ふれあい小径」と名付けられた園路が設置されています。
知る区ロード・はだしのオアシスの次は、原寺分橋下の湧水へ。
途中、地蔵坂に設置された、籔内佐斗司氏の西荻窪六童子の一つ『縁結び童子』をチェック。
原寺分橋下の湧水は、杉並区西荻北4丁目にある善福寺川の湧水ポイント。
非常時に利用できる都市に残された貴重な水源です。
原寺分橋下の湧水を見た後は、坂の上のけやき公園へ。
坂の上のけやき公園は、杉並区西荻北4丁目にある区立公園。
樹齢推定200年以上、株立ちのケヤキとしては区内最大の幹周りとなるケヤキの大木が目印となっています。
このケヤキの大木は、「トトロの樹」と呼ばれ、地域の人々から親しまれていました。
ところが、平成20年(2008)3月、土地所有者の相続により、区の環境課に保護樹林の指定解除の要請が出され、要請が受理されたため、地目がそれまでの畑から宅地へと変更されました。
しかし、その事実を知った近隣住民がトトロの樹の伐採を惜しみ、「トトロの樹保護に関するお願い」という署名運動を開始。
署名はわずか2か月で8,000名を超え、杉並区長に提出されました。
区はそれを受け、土地を購入した不動産会社と交渉を重ね、同年9月には正式に区の所有地となり、公園化が決定。
その後、何度も区と西荻住民との間で話し合いが行われ、平成22年(2010)3月、公園は完成しました。
坂の上のけやき公園の次は、伏見稲荷神社へ。
途中、西荻北中央公園に設置された、籔内佐斗司氏の西荻窪六童子の一つ『龍神童子』をチェック。
伏見稲荷神社は、杉並区西荻北3丁目に鎮座する、宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神を御祭神として祀る神社。
昭和3年(1928)、十数店の集まりによって振興会という名称で当地に商店街が創立され、その後、この商店街の守護神として、昭和26年(1951)に京都伏見稲荷大明神の御魂を勧請したのが当社の起源。
「西荻伏見通り商店街」の名称の由来にもなっています。
伏見稲荷神社を参拝後、西荻窪駅南口に設置されている、籔内佐斗司氏の西荻窪六童子の一つ『花の童子』を見て、お散歩終了。
解散となりました。
ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。
それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。
東京お散歩教室