神楽坂~飯田橋散歩 9月11日(土) | 東京散歩道

東京散歩道

「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「夏企画 神楽坂~飯田橋散歩」の様子を簡単にご紹介します。

(夏企画は夏季限定の夕方からのショートコース)

 

出発は神楽坂駅から。

 

まずは、あかぎ児童遊園へ。

 

 

あかぎ児童遊園は、新宿区矢来町から赤城下町にかけて広がる区立公園。

昭和44年(1969)11月に開園した面積611.24㎡の区立公園で、公園の高低差を活かすように設計された二頭のゾウの滑り台が人気。

ネットで数多く紹介されています。

 

あかぎ児童遊園の次は、赤城神社へ。

 

 

途中、赤城神社の裏参道で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

 

赤城神社は、新宿区赤城元町に鎮座する、岩筒雄命を御祭神とし、相殿として赤城姫命を祀る神社。

牛込の総鎮守として崇敬を集める神社で、由緒は、正安2年(1300)、赤城山麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治が本国の鎮守であった赤城神社の分霊を祀ったのが始まりといい、その後、牛込早稲田の田島村にあった社を寛正元年(1460)に太田道灌が牛込台に遷し、さらに弘治元年(1555)に、大胡宮内少輔(牛込氏)が現在地に遷座。

江戸時代は徳川幕府により江戸大社の一つに加えられ、明治になって、「赤城大明神」から現社号に改称。

近年は、平成21年(2009)から22年(2010)にかけて「赤城神社 再生プロジェクト」という工事が行われました。

このプロジェクトにより、境内に隣接していた赤城幼稚園は閉園となり、跡地にマンションが完成。

また、老朽化した社殿は再建され、新たにホールやギャラリーなどの施設も設けられました。

こうして、赤城神社は最新の現代風の神社へと様変わりし、境内にある「あかぎカフェ」は、女性や若者たちからお洒落なスポットとして、人気を集めています。

 

赤城神社の次は、コボちゃん像へ。

 

 

途中、何人かが神楽坂プリュスでカバ印アイスキャンデーを買っておやつタイム。

 

 

コボちゃん像は、新宿区神楽坂6丁目、神楽坂通りに立つブロンズ像。

『コボちゃん』は、植田まさしさんが描く、刈り上げ頭がトレードマークの少年・コボちゃんを主人公とする4コマ漫画。

作者の植田さんは、神楽坂地域に長年居住しており、『コボちゃん』も連載初回(1982年)の原稿が神楽坂で書き上げられたことから、以前より地元商店街のキャラクターとして活躍。

立像は、神楽坂商店街振興組合が東京都や区の補助を受け、彫刻家・山田朝彦さんが制作した台座約20㎝、像本体が約80㎝のブロンズ像で、平成27年(2015)8月16日に除幕式行われました。

 

コボちゃん像の次は、繁榮稲荷神社へ。

 

 

繁榮稲荷神社は、法正寺の参道に鎮座する稲荷神社。

「岩戸稲荷神社」とも称され、地域の人々の信仰を集めています。

 

繁榮稲荷神社の次は、寺内公園へ。

 

 

寺内公園は、新宿区神楽坂5丁目にある、平成15年(2003)3月1日に開園した、面積238.42㎡の区立公園。

公園一帯は、鎌倉時代末から明治40年(1907)の区画整理で西五反田に移転するまで、「行元寺」という寺院があった場所。

また、神楽坂花柳界の発祥の地ともいわれ、多くの芸能人や文士に愛された土地でもありました。

しかし、バブル崩壊後、一帯は地上げをうけ、その後の高層マンション建設に伴って区道が付け替えられ、公園ができることに。

公園名は、当地が寺の跡地で「寺内」と呼ばれていたことに由来します。

 

 

寺内公園を抜けた後、極細の路地を抜けて、善國寺へ。

 

 

善國寺は、新宿区神楽坂5丁目にある、鎮護山善國寺と称する日蓮宗の寺院。

創建は、文禄4年(1595)に、徳川家康の意を受けて、池上本門寺第12代貫主・日惺上人が馬喰町に開山。

以後、徳川家の手厚い保護を受け、寛文10年(1670)に焼失した当山を徳川光圀が麹町に移転し再建。

その後も火災に遭い、寛政4年(1792)の火事の後、神楽坂の地に移りました。

また、「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集める毘沙門天(本尊)は、芝の正傳寺・浅草の正法寺とともに江戸三毘沙門の一つに数えられ、現在は新宿山ノ手七福神の毘沙門天として知られ、多くの人がお参りに。

境内は、昭和46年(1971)に完成した威容を誇る本堂が建ち、その前に、嘉永元年(1848)に奉納された安山岩製の石虎(阿形・吽形)が安置されています。

 

善國寺の次は、横丁&路地巡り。

 

 

ここでは、暗くなった「本多横丁」「兵庫横丁」「かくれんぼ横丁」「芸者新道」などの人気小路や極細路地をみんなで散策。

 

横丁&路地巡りの次は、伏見火防稲荷神社へ。

 

 

伏見火防稲荷神社は、新宿区神楽坂3丁目、見番横丁に鎮座する稲荷神社。

由緒は不明ですが、名前から火災除けの神様として祀られていると思われます。

 

伏見火防稲荷神社の次は、若宮公園へ。

 

 

途中、ドラマのロケ地としても知られる熱海湯階段を通過。

 

 

若宮公園は、新宿区若宮町にある、平成6年(1994)3月28日に開園した、面積1,368.38㎡の区立公園。

公園周辺に「江戸城外堀跡」「牛込見附跡」などの史跡があることや、江戸時代に武家屋敷中心の町がつくられたことから、園内に、冠木門、瓦葺の門、漆喰塀、瓦葺屋根を持つ四阿などを設置。

武家屋敷をイメージした和風広場として整備されています。

 

若宮公園の次は、泉鏡花旧居跡・北原白秋旧居跡へ。

 

 

泉鏡花旧居跡・北原白秋旧居跡は、新宿区神楽坂2丁目にある新宿区指定史跡。

泉鏡花は、明治32年(1899)、明治期の文学結社「硯友社」の新年会で神楽坂の芸妓・桃太郎(本名 伊藤すず)と親しくなり、友人から借金をして、明治36年(1903)3月、当地にあった借家に彼女と同棲。

しかし、師である尾崎紅葉に同棲が知られると厳しく叱責され、すずは一時、鏡花のもとを去りました。

そして、同年10月に紅葉が没すると、すずを正式に妻として迎え、明治39年(1906)7月まで、この地に住みました。

一方、北原白秋は、明治41年(1908)10月から翌年10月までの約1年間をここで過ごし、明治42年(1909)5月に短歌『もののあはれ』63首を発表するなど、活動も素晴らしいものがあったとのこと。

旧居跡には解説板と記念碑が立っています。

 

 

泉鏡花旧居跡・北原白秋旧居跡を見た後、神楽小路を抜け、軽子坂の坂下にある名画座・飯田橋ギンレイホールをチェックして、飯田橋駅でお散歩終了。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com